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体験の人が合気道に求めている思想性


精晟会渋谷へ体験に来られる方のほとんどは、当たり前ですが合気道も他の武道も未経験。

私は必ず「どうして合気道に興味を持たれたんですか?」とお聞きします。そこが分かれば、その人の興味の方向性がつかめます。体験のときには技しか行いませんが、説明をその方向に合わせます。


でもどうして興味を持ったかなんて、ハッキリしているなんて思ってはいません。

私自身は、合気道に惹かれたのは中学生のときですが、植芝吉祥丸先生の本を読んで「なんとなく」です。イラストで解説される技の円転が新鮮で面白く、魅力を感じたことを記憶しています。それに植芝盛平先生の佇まいやお顔は、なんとも魅力がありました。

道場がないか調べましたが、通えるような場所には存在していませんでした。



なんとなく合気道に興味を持って始めてみたいと考えている人なら、まず場所と時間、そしてやっている稽古方法、動き、雰囲気などが好きか好きじゃないかで選べばいいと思います。

精晟会渋谷の会員の中には、武道に興味があるけど、合気道ならできるかもと考えたのがきっかけの人だって複数います。私はそれぐらいが、普通だろうと思っています。




合気道は具体的なニーズに応えられるのか?


一方で今までにもいろいろ書いていますが、護身のためとか、背中の張りや肩こりを解消させたいとか、合気道に求める具体的なニーズがある方もいます。スピリチュアルなものを求める人も少なくありません。

それらの求めることに対して、私が言うのは「合気道だけでは無理」、あるいは「精晟会渋谷にはない」です。スピリチュアルに関しては、養神館合気道では、たぶん塩田剛三先生が宗教的な要素を排除されたのです。



実際のところ、そのニーズがどれだけ強いのか、切実なのかは深く聞いてみないとわかりません。聞かれたから、とりあえず答えたけど、それほど強くはないよという場合だってあるでしょうし。

いずれにせよ申し込み前にミスマッチがあるならあると、分かった方が良くないですか?

もちろん逆に、この道場は信用できる、共感すると思って体験に来られて入会された方もいます。



だから求められそうなこと、聞かれそうなことは、できるだけ公開しているつもりです。ところがこのところ、体験で続けて予期していなかった興味をお聞きしました。

それが「合気道の精神を知りたい」「合気道の思想を知りたい」でした。


それはまったくと言っていいほど、このウェブサイトやブログでは触れていないので、今回はそこを書いていこうと思います。



精晟会渋谷のこのウェブサイトやブログでは稽古についての考え方も書いていますし、SNSで毎回の稽古を公開しています。

ただ分かりやすくすればするほど、正反対の意味にとられかねません。そこが悩ましいところ。

たとえば、この記事。私は合気道の稽古をしたからって、無理だと思った方がいいと言います。役に立たないわけじゃないけど、でもね、のニュアンスを伝えているつもりです。





合気道の精神・思想とは何か?


「合気道の精神とは」と聞かれると、え?となります。

もちろんそんなに簡単には答えられないからです。

開祖・植芝盛平先生がなんとおっしゃったか。植芝盛平先生口述『武産合気』から引用します。




今日はお尋ねにより、合気道とは何か、ということについて申し上げてみましょう。
合気道とは、宇宙の万世一系の理であります。
合気道とは、天授の真理にして、武産の合気の妙用であります。
合気道とは、天地人、和合の道とこうなるわけであります。
また合気道とは、万有の処理の道であります。
合気道とは、言霊の妙用であり、宇宙みそぎの大道であります。
この道を思惟する人々は、宇宙建国完成の経綸に奉仕しなければいけないことになっております。

とまあ、ほとんど宗教的な世界観です。だから、簡単に理解できる人はそんなにいないでしょう。

さまざまな直弟子の先生方のインタビュー等を読んでも、大先生は神様の話がほとんどだったが難解だったという感想で、まず理解できたという方はいらっしゃいません。


そうなんですが、この文章から合気道の精神として「天地人、和合の道」だけをピックアップしても、合気道の先生方で、ちがうとおっしゃる方は少ないと思います。

天地、つまり自然と調和する。人と調和して仲良くするのが合気道の精神と言っても、それほど抵抗はないと思います。


そこも、なんとなく「合気道は和合の道だ」と捉えているだけだから、抵抗がないのではと思います。ところが解釈は、千差万別かもしれません。




養神館に道場訓がないのはナゼか


昭和の時代、政治家が多用した「禊はすんだ」という言葉があります。不祥事などを起こし、疑惑を解明しないまま議員辞職。次の選挙で当選すると、周囲から「禊はすんだ」として、疑惑の追求をやめさせようとする空気を作るのです。

この禊とは、誤用というより乱用でしょう。もし神道を信奉しているとしたら、冒涜です。


和合という言葉も、どうでしょうか。

馴れ合うことを「和合の道だ」とする道場だって、あるかもしれません。



ところで養神館には道場訓がありません。どうしてでしょう。

その理由を、塩田剛三先生の著書『合気道修行』から引用します。


武道の本質は理屈でわかるものではありません。理屈があって、それを他人から聞いてわかった気になってもしょうがないのです。(中略)
私は養神館ではそれをやりたくありませんでした。なぜなら、いくら立派なことを並べても、それが押しつけであったら意味がないと思ったのです。
他人から与えられた言葉は、しょせん他人のものでしかありません。自分の納得によって出てきたものではないはずです。
怖いのは、言葉を知ることによって、あたかもその本質までわかったような気になることなのです。

まったく同感です。

それでは、和合についてはどうでしょうか。同様に、塩田剛三先生の著書『合気道修行』から見ていきます。




塩田剛三先生の和合の捉え方


引用します。


それでは、合気道の最高の技とはなんでしょうか。それは、相手に敵対心を放棄させ、仲良くなってしまうことです。
こう言うと、なんだか化かされたような気になる人がいるかもしれません。今までさんざん、闘いに勝つための技術を語っておいて、最後で取って付けたように、相手と仲良くしろと言いくるめるのでは、単なる建前と思われてもしょうがありません。
しかし、ここが合気道の面白いところなのですが、理合を身につければ身につけるほど、そこに生じる"和"というものを実感として理解できる ようになるのです。
合気道は和の武道と呼ばれています。
だからといって間違えてはいけないのは、試合を行わないから"和"なのではなく、パートナーと無抵抗に技を掛け合うから"和"なのでもなく、ましてや強くなる必要がないから "和"なのでもない、ということです。本当は、真剣の斬れ味を持つ技そのものが、”和”によって成り立っているわけです。
それは理屈ではありません。最初から思想性だけを求めて合気道に取り組んだからといって、理解できるものではないのです。
合気道の哲学を表現しているものは技そのものです。技の理合を自分自身が実践することによって、なるほどこれが"和"なのか、と納得することができます。
ですから、大切なのは、自分の行っている技が、正しい理合にのっとっているかどうかということなのです。理合を実践しないままに、ただそれらしい動きをして、相手が自分から飛んでいっても、それは合気道の説く"和"を本当に理解したことにはなりません。


まさに、です。

浸りきって合気道を語る人は、SNSに溢れています。言葉だけでいいなら、それは武道である必要なんてありません。

ちなみにこの言葉。合気道で最も強い技は何かと聞かれて「自分を殺しに来たやつと友達になることさ」と答えたのと、同じですね。 超偉人伝説 神様と呼ばれた男 合気道塩田剛三伝


合気道の精神や思想が「和合」に集約されるとしても、養神館の立場は、この引用した塩田剛三先生の考え方になると思います。




ぶつからないために、ぶつかる


私程度でおこがましいですが、やはり合気道の技は和で成り立っていると実感します。

精晟会渋谷の稽古で、和や和合という言葉は使いませんが、ぶつからない、ぶつからないところが正解だと言い方はよくします。ぶつからないとは、言い換えれば、力で対抗しないということです。

体格差やパワーで押し切っても、それは合気道じゃない。だから自分より体重の軽い人と組むときは、そこを重々意識しておく必要があります。



ところがです。

ぶつからないからと言っても、養神館の場合は、たぶんどこの道場でも、基本技ではしっかり止めることが基本だと思います。その理由はふたつ。


ひとつは、止め方を知らない・分からないのに、流したりするだけの稽古では、もし間に合わないときにどうするのでしょうか。合わせるのは、何よりタイミングです。


もうひとつは、相手の力をもらうためには、まずぶつかって、その力をなくしてしまうことが必要です。それを自分のものにしていかなければ、とても底の浅い合気道にしかならない。ぶつからない技を行うためには、まずぶつかることから始めないとダメなんじゃないかなと思っています。



例えば、このツイートのときの稽古は、まさにそんな意図でした。




植芝盛平先生が信仰されていた大本教の存在



「合気道の思想を知りたい」と言われた方には、技の思想ですか?と聞いたところ、どうもちがうようでした。

技の思想なら、体験の中でやりながら説明を加えられるけどなぁ。全体の思想となると・・・

ですので、こんな風に答えました。


合気道の開祖・植芝盛平先生は、終生、大本教という宗教の信者で、あるときまで幹部でした。だから植芝盛平先生のバックボーンにある思想は、大本教をベースにした神道系の考え方だと思います。

稽古でも、植芝盛平先生は神様についてのお話が長かったそうです。

とはいえ開祖は、神様の取扱いには厳しかったけれども、信仰を強要しなかったそうです。


大本教の聖師で、20世紀最大の霊能者とも言われる出口王仁三郎のいわばボディーガードでもあったそうです。現在の神道系新宗教の多くは大本教から出ているんですが、塩田剛三先生は出口王仁三郎氏について「ありゃあウソだ」と言っているぐらいなんです。『中心力の時代


あ、えっと塩田剛三先生って、養神館をおつくりになったんですが、ご存知です?


すると「知りません」という答えだったので、話はそれで終了しました(笑) 

時間的にも、それ以上はムダです。






合気道の背景にある神道の影響とは


このブログでは、それなりに詳しく書いておきます。


と合気道の用語でも書いた「結び」は神道用語です。


禊はもちろん、神道用語です。

植芝盛平先生のおっしゃったことはもちろん、合気道の中で使われる言葉は、神道の影響が強いのは間違いありません。


しかし、ただ神道といってしまうと、誤解を招くかもしれません。

先に書いたように政治家が使う禊を、神道の禊だと解釈すると、とんでもない間違いだと思います。まあ政治的慣用句です。少しは宗教に関する知識がないと、理解できるはずがありません。



なにより知っておいた方がいいのは、日本は長い間、神仏習合だったということです。





日本はどうして神仏習合が千数百年も続いたのか


神道は、縄文時代からの日本土着の素朴な信仰が起点と言われています。そこに仏教が伝来。平安時代には神に菩薩号をつけたりして、神仏習合が起こります。

ざっくり言えば折衷。よく言えば日本人は柔軟で寛容。悪く言えば適当ということになるでしょう。

一神教の欧米からすれば、グロテスクかもしれません。


植芝盛平先生の武術的な師匠である武田惣角。惣角が修行したことのひとつに、修験道があると言われています。修験道は神仏習合によって、生まれたのです。



何が言いたいかといえば、神仏習合はいい加減だからダメだではなく、その曖昧さや柔軟性こそが日本の文化の原点。新しいものだって作ってきたのかもしれませんよ、ということです。

もしかすると四季のある日本の風土に、神仏習合を可能にしてしまう土壌があったのかもしれません。何かしらの必然性はあったのではないかと思います。


神道という言葉自体、できたのは仏教が入ってきてから。土着の信仰であったものを、集合体として名称を付けないとマズいという理由かもしれません。土着の信仰を括ったのなら、中身は恐ろしく多様ですね。明確な教義や経典がないのも当然です。

そうして仏教を受け入れ、習合した。習合とは、受け入れなければ始まりません。




哲学者の梅原猛さんや宗教学者の中沢新一さんは、対談で「神仏習合が、日本の思想のほとんど中心」とさえ、おっしゃっています。


編集工学研究所所長の松岡正剛さんは、「日本社会や文化の奥にひそんでいるのはいるのは、矛盾と統合。和と荒、生と負、陰と陽、凸と凹、表と裏、みやびとひなびの同居。矛盾しているものがアワセになっていくのが日本流」だとされています。




今でもハッキリした信仰なんてないのが大多数の日本人だと思いますが、明治時代に劇的な変化が起こります。


神仏分離令という法律の公布です。明治政府は、神道と仏教を分離させようとするのですが、廃仏毀釈、つまり仏を廃し、釈迦の教えを毀すという運動になっていきます。

廃仏毀釈は江戸時代にもあったそうですが、それは国学の影響が大きいのだと思います。国学とは、儒教や仏教の影響を受ける前の日本の文化や精神性を明らかにしようとする学問です。



古事記は漢字で書かれていますが、その漢字は中国から入ってきたもの。日本にコトバはあったけれども、モジはなかった。そこで古事記では、当て字として漢字を使った。和漢折衷です。

儒教や仏教の影響を受ける前の日本の文化や精神性を明らかにするといっても、それらを記載した書物は中国から入ってきたモジを使っているのです。とすれば、何か矛盾がありますよね。



さらに天皇陛下は、古事記・日本書紀に登場する天照大神の万世一系の血統をつぐ現人神であるとし、いわゆる「国家神道」へとつながったのでしょう。神話を強引に現世につないで、軍国主義へと突き進みます。



そもそも神道は、土着の素朴な信仰、森羅万象に神を感じるという自然発生的なもの。八百万の神々というのは、さまざまで極めて数が多いということですから、どうやっても国家神道にはならない。神道という言葉は使えないはずです。

今でも神道というと、国家神道的な価値観を語る人たちがいますし、逆に国家神道を連想して毛嫌いする人もいます。本来の神道はぜんぜんちがうのに、と思います。



国家神道の時代、多くの宗教団体が弾圧されました。

植芝盛平先生が終生信仰されていた大本教は、政府の弾圧を受け、不敬罪(大正10年)や治安維持法(昭和10年)で起訴され、徹底的に破壊されてしまいます。


Wikipediaには「日本政府は陸・海軍の幹部軍人が多数入信したことで、大本に警戒感を抱いた。そもそも大本は国常立尊という天照大神より上位の神を重要視しており、現人神たる天皇の宗教的権威及び統治権の根拠を脅かしかねなかったのである」とあります。




古神道というカテゴリーと伝承


神道の中でも、日本古来のと強調するときに、古神道という言い方がされるようです。

武道の世界では似たような使い方で、古武術という言い方がありますが、私はウソくさい(笑)

と思っています。


それは、いつからの伝承? 昭和の植芝盛平先生の技法だって失伝したり変化が激しいのに、どうやって江戸時代の技法をそのまま伝承してるのよ、と思います。一部が残ってはいるでしょうが、400年前から正確に伝承されているなんてことあるでしょうか。

口伝ベースなら、何百年もの伝言ゲームで、跡形もないものになっている可能性の方が高いです。



古神道も同様です。この動画の中でも喋っていますが、多くの合気道で古神道の行法として行われている鳥船や振魂などは、明治時代に川面凡児という神道家が仙人から教えられたものだと言われています。


仙人から教えられた、天狗から教えられたなんて話はたまにありますが、だからって必ずしもウソで無意味だとは思いません。出どころを隠すため、あるいは権威づけのための方便として、仙人だ天狗だとするケースのあったでしょう。

変化は大きいにせよ、この手の行法を残していた確率が高いのは修験道かもしれません。


出どころが曖昧で怪しくても、何かしらのプラスの効果があればいいのでは。と私は思います。

でも古神道の行法をやっているから、合気道は日本古来の〜と続けるのはどうでしょうか。




塩田剛三先生の宗教と武術に対する考え方


それでは大本教がどうかといえば、正直なところ私には分かりません。神道系の新宗教ということですが、どうも他の宗教とのハイブリットではという気がします。

植芝盛平先生に同行され、大本教の本部にまで行かれていた塩田剛三先生が、出口王仁三郎氏の神秘力を「ありゃあウソだ」とおっしゃったのであれば、塩田剛三先生は、植芝盛平先生のことを信用していなかったのでしょうか。


たぶん、そうです(笑) あくまで宗教的なことに関してですが。

どこに書いてあったか探せませんが、塩田剛三先生は「植芝盛平先生は神様のことに熱心だったが、どうも私は」というような趣旨のフレーズがありました。

でも大学卒業後の内弟子生活では、「絶対服従の中で師とともに寝起きする」ことの必要性を『合気道修行』の中で語られています。



また塩田剛三先生の技に対する考え方は、言い方が違うだけでほとんど植芝盛平先生のままだと思います。加えて『合気道修行』では植芝先生の神秘力として、いくつかの神がかったエピソードを書かれています。

あまり出ていないエピソードを取り上げてみます。


植芝道場で内弟子は、夜は道場に布団を敷いて寝ていたそうです。植芝先生は奥の部屋。ある夜のこと、いきなり奥の部屋の戸がバーンと開いて、先生が木刀を片手に真っ黒な道場へ飛び出してきた。暗闇の中で「キエーッ」という気合とともに、何かに向かって木剣を斬りつけた。灯りをつけると、そこに首の飛んだネズミの死体が転がっていたとあります。


引用します。

「バカモーン!」
先生の雷が落ちました。
「ネズミが神さんのお供えを齧っとるというのに、神様の前で寝ていたお前らが、なんで気がつかんのじゃ!」(中略)
私たちが気づかなかったからと先生は怒っているのですが、そんなことを言われても、私たちにわかるはずがありません。烈火のごとく怒った先生を前にして、私たちはただ頭をかくばかりでした。

このように塩田剛三先生は、植芝盛平先生の不思議な力を目撃しているのです。書籍等で公に紹介しているのも、塩田剛三先生が圧倒的に多いのです。

しかし引用した部分からもわかるように、植芝盛平先生の神秘力を追求したい。自分もそんな力を得たいとは思われていないようです。


もしかすると直弟子の先生方の中には、植芝盛平先生の神秘力を得たいと修行された方だっていらっしゃるかもしれません。でも、ほとんど公には何も出てきていないですね。

ということです。


明確に、塩田剛三先生のスタンスがわかるところを引用します。

「いつか植芝先生を投げる」の小見出しからです。



こんな具合に、植芝先生という人は、本当に神がかった達人でした。それだからこそ、門人の方々が先生を雲の上の存在として敬い、先生の説いた崇高な理念をよりどころとして後進の人たちに道を説いていったのも当然だという気がします。
しかし、修行時代の私の興味は、あまりそういう方向には向いませんでした。先生の神がかりな力はあくまで宗教から来ているもので、武術本来の技とは関係ないと思っていたからです。
武術は人間のやることです。だったら、修練を積めば、植芝先生の領域まで到達できることも、けっして不可能ではないはずです。「彼も人なり、 我も人なり」という言葉もあります。
ですから私は、先生を尊敬し、師弟の礼を尽して側にお仕えしてはいましたが、神様のように手の届かない存在に祭り上げたりはしませんでした。

ということです。

宗教は、武術本来の技とは関係がない。養神館全体でどうかはわかりませんが、私はまったく同感です。植芝盛平先生は信仰を強要されなかったのですから、それでいいと思います。

考え方を学ぶのと、信仰するとでは大きな差があります。




植芝盛平先生の思想的バックボーン


とはいえ、植芝盛平先生の合気道完成に、宗教が大きく関わっていたことも疑いようのない事実。

合気道は愛なり、万有愛護、受け入れるなどは、森羅万象に神を感じる、八百万の神々という素朴な古来の考え方なくしては出てこなかったでしょう。


さらに大本教聖師・出口王仁三郎との出会いが、あらゆる面で植芝盛平先生の飛躍を可能にしたのでしょう。植芝盛平先生が初めて開設された道場は大本教本部だし、武術家としての名声が拡大したのも、大本教から。



大本教について調べていると、出口王仁三郎氏の著書『霊界物語』をとんでもなく詳しく解説したサイトに辿り着きました。

『霊界物語』は81巻の大長編。古事記をベースにしたあらゆる宗教を網羅した大本の経典。ところが大本教への弾圧で、発禁処分になっています。現在では、販売されているとのことですが、たぶん一般書店で見かけることはないと思います。


解説しているのは、王仁三郎ドットジェイピーというサイトです。

こちらのサイトによると、「霊界物語のテーマは、言向け和す」とのこと。言向け和すとは、古事記に出てくる言葉だとあります。言向け和すで世界平和を目指すとは、とんでもなく壮大な夢です。


これ以上書きませんので、興味を持たれた方は読んでみてください。このサイトの主催者の解釈が妥当であるとすれば、植芝盛平先生の思想のほとんどは、『霊界物語』から来ているよなぁと思えました。




あえて古神道とは言いませんが、日本の国土に古代からあった感性は、合気道の技に受け継がれているといっても間違いではないと思います。



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