スター・ウォーズシリーズの最終章『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を観ました?
何かSWの話を本気で書こうとしてるわけじゃないですけど、最終章に向けての展開で、私はとても気になっていたことがあります。
それはフォースの扱い。
あれ? 暗黒面に落ちないために注意していたことはどうなったんだろう? フォースをコントロールするための研鑽も修行もほとんど出てこないけど…
そう、心身両面の「修行」があまり出てこなくなっていました。
そして『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』では、強いフォースは血のつながりという扱いになっていました。何だよ、結局世襲かよとひっくり返りそうになりました。
ライトサイドがあれば、ダークサイドもある。ライトセーバーやジュダイの衣装など日本的な印象だけではなく、陰陽思想のような設定に、アジア的な深みを感じた人も少なくないでしょう。
特に合気道をしている人たちは、「フォース」に合気道の気を重ね合わせたりしたはずです。いやあの、私はしました(笑)
怒りや憎悪を原動力にして、破壊的な力を出すことがダークサイド。暗黒面に堕ちないためにネガティブな感情をコントロールすることが重要なテーマだったはずなのに、レイは怒りをあらわにしてフォースを使います。
そういえば最終章なのに暗黒面に堕ちたら何がダメなのか、語られなかったよな、とか。なんだよと思うことが、出てきました。
フォースの壮大な伏線は、結局は回収されなかった。世襲だよ、世襲。ライトサイドもダークサイドも関係ないのねで終わってしまいました。
【コロナ禍は合気道の世界をヤバくしていないか】
1年以上前に公開された『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を題材にしようと思っているわけではなくて、フォースの扱いの変化が、私には何か象徴しているように感じられたのです。
前にも書きましたが、Clubhouseをしています。
【合気道マニアックス】というroomです。
ここで知ることができた世界の合気道事情には驚きでしたが、【合気道マニアックス】の5回目は「スターウォーズ化する合気道」というタイトルにしました。私にはコロナ禍で、どうなんだろうと危惧していることがありました。
アメリカでは、アジア系女性に対するヘイトクライムが続いています。この原因がコロナに対する不安感や怒りを元にしているのかどうかは分かりませんが、関係ないはずがないとも思っています。
では日本は、どうなのか。
メンタルに及ぼす負の影響がないわけがありません。危険なところまで行かなくても、いくらでも厄介な事態を引き起こしているはずです。自分で自分のコントロールができなくなった人は、いくらでもいるでしょう。
Clubhouseで話したのですが、昨年、身近な道場主Aから相談がありました。ある中規模の合気道団体の代表者が、SNSで嫌がらせのようなことを書いていたそうです。
それが突如として、電話をしてきて「Googleを操作するな」と怒りまくったそうです。そして「乗り込むから」とも言ったそうです。
「Googleを操作するな」と言われても、Aはさっぱりです。
怒っている背景は、たぶんエリア名+合気道で「Google検索したとき、自分の道場が1位にならないのはおかしい。Aの道場が上位に行くのは、不正な操作をしているからだ!」と思ったのでしょう。そもそも「Googleを操作できる」と考えていること自体が、すでにヤバめな人です。
「Googleを操作できる」、なんて言うのは詐欺業者だけです。
だいいちAは、SEOなどGoogle検索について何も知りません。
しつこく何度でも私に聞いてくるので、Aの道場のウェブマーケティングは、Googleマイビジネスの登録から運用まで、私仕様みたいなものです。文章はこう書けと、Aの道場の特徴や長所を箇条書きにしてメールしたところ、箇条書きのまま入力していました。自分の道場のことなんだから、いくらでも膨らませて書けるはずですが、そんな対応でした。
だから不正な方法が可能だとしても、できるわけがないのです。
実際に乗り込んでも来たし、Aは警察にも相談しているので、これ以上詳しくは書きませんが、その合気道団体の代表者の怒りはどこから来るのでしょう?
想像すると、コロナで道場運営に支障をきたしている。その不安感ややり場のない怒りではないでしょうか。
私も昨年春は、稽古を実施することができない。でも定期で借りているスタジオ料は引き落とされる。2ヶ月で10万円を超え、3ヶ月間になると20万円になります。一方で会費は入ってこないのですから、会の解散を覚悟していました。非常事態宣言が延長されたときには、焦燥感が募りました。
規模の大きな団体の代表者なら、私の焦燥感どころではないでしょう。
しかし強いストレスということなら、もっと大変な人はいくらでもいます。
やってることは完全にアウト。正気ではありません。ましてや武道の団体を運営している人ですから、こうなるとお終いです。
ただここで書きたいのは、倫理的/人格的な側面ではありません。
【2位じゃ何がダメなんですか?】
怒鳴り込んできた団体代表者が怒っている原因は、何よりローカル検索(エリア名+合気道)でご自分の道場が2位になっていること。
そんな検索結果は知らないので見てみると、確かにそうなっていました。
2位が気に入らないなら、Googleに苦情を入れればいいと思いますが、道場の規模からしたら「1位じゃないのは、プライドが許さない」と怒り狂うのは理解できなくありません。
理解できるというのは共感ではなく、一般企業でも、そんな理不尽な偉い人はいくらでもいるからです(笑)
ウェブサイトに飛んでみると、書かれていることとと動画のギャップがすごいなと思いました。
今どき、何をやっているか、どんな稽古をしているかは動画を見れば一目同然です。公開しない道場もありますが、公開しているところは、少なくとも書いていることと動画が一致していると考えてているはずです。
ここに入門する人は、読んで・見てギャップを感じていないはずですから、別に構わないのですが。
何を言いたいかというと、検索で1位になったからといって、それがダイレクトに入門・入会につながるわけではないでしょう。
単純化して言えば、ウェブサイトへのアクセスが増大して見てくれる人が増えれば、興味を持つ人も増える。興味を持つ人も増えれば、見学や体験する人も増える。見学や体験する人も増えれば、入門・入会者も増大すると信じているのでしょう。
よくある単純なマーケティングの図式ですが、これだけならスパムメールと同じです。10万人にメールを送れば、数人数十人は引っ掛かかる。送る費用はほぼゼロに近いので、それでOK。
求人サイトなどのマッチングが必要なジャンルでは、リードジェネレーションといって、「企業があなたに興味を持ちました」だから暗に応募してくださいとアプローチします。実際には興味どころか条件に合わなくても、とにかく募集する人事サイドが「反応が増えた」と喜べば、売り上げにプラスになるという発想です。
最初に知らせて反応させることの、費用も手間もほぼゼロ。メリットしかないから、増大こそ正義という風潮が、確かにデジタルの世界ではあると思います。
武道の道場が、それと同じでいいはずがありません。
オンラインの中でも、ギャップを感じるか感じないか、魅力に感じるか感じないか。そこに高いハードルがあります。マイナスの評判が広がることだってあります。
さらには現実の世界で、見学や体験をして魅力を感じてもらうという、高い高いハードルがあります。
検索結果で上位になるのは、手段の一つであって、絶対的な目的ではありません。
1位になれないことが怒りになるのは、そこに偏執してるのでしょう。おかしなプライドが原因じゃなければ、手段と目的を取り違えています。
倫理面を別にしても、仮に検索1位になりました。サイトへのアクセス数が10万回です。体験・見学に1000人来ました。すると100人が入門しました。なんてフローを目指すべきでしょうか。
もちろん目指してもいいとは思いますが、そんなに大人数に対応できますか?
精晟会渋谷の場合は、できるだけ多くの人に来てください、なんてアプローチとは真逆です。有料ですし、ある程度はどんな道場か理解してから体験に来てくださいと、こちらからハードルを上げているつもりです。
一番大事なのは、現在会員として稽古してる人たち。毎回の稽古でここが上手くなった、あたらしいことが理解できたとなることを目指しています。あたらしい会員を増やすことは、その次です。
どんな方針であれ、とにかくアクセス数を増やしたいなら、Google広告を使えばいいのです。お金さえ出せば、検索1位よりも上に表示されます。
目的がアクセス数なら、そういうことです。広告が目的への近道です。
単純に考えて、この1年で道場から人が辞めたり、あたらしい人が入ってこないのは、コロナのせい。会社などから行動制限されている人もいれば、感染が怖いから人と接することはしないと自粛している人もいます。
コロナは怖いけれども稽古はしたいという人を少しでも増やしたいなら、感染対策をどうしているかを明示した方がいいと思います。あるいは、感染なんて怖くないぜ。という人を増やしたいなら、そうメッセージすればいいと思います。
ともあれ、どんな側面から考えても目的と手段を取り違えると、終着点はとんでもないところになりそうです。
コロナ以前から取り違えはいくらでもあるはずですが、これだけ大きなプレッシャーがかかり、先の見えない状況が続くと、そもそも正気を保つのが困難な人が増えても不思議じゃありません。
いや誰だって常に「何が目的だったんだっけな?」みたいな問いかけを、自分で自分にしておかないと、袋小路に入って行方不明になってしまいそうです。
【スピリチュアルへ傾倒していないか】
Clubhouseでやっている【合気道マニアックス】では、コロナ禍の世界の合気道事情をテーマに5回行いました。今日で9回目ですから、コロナ関連の話は終わっています。
「スターウォーズ化する合気道」の回で聞いてみたかったポイントに、「コロナ禍で、スピリチュアルなものが求められているようになっていないか?」がありました。
スピリチュアルというと語弊があるかもしれませんが、超常的なもの、ぐらいの意味だと考えてください。
上に書いたできことの団体代表者は、ウェブサイトの文章を読む限り、かなりスピリチュアルな方だと思います。Clubhouseでは他の例も話したのですが、他の参加者に、私と同様に「スピリチュアルが拡大している」感じている人はいませんでした。
ただ「うちは元々そういう方面が好きな人が来てるから」という話が出たりして、そうか、なるほどな。比較する基準が違うんだなと苦笑しました。
言葉の定義が難しいですが、ほかの現代武道と比較すると、合気道は宗教的側面が強いです。植芝盛平先生は、大本教の幹部でしたし、熱心な信者でした。
合気道以外に天風会や一九会などで修行され、行として合気道をやられている直弟子の先生方も少なくなかったようです。
ただ塩田剛三先生によると、「植芝盛平先生は、弟子に宗教を強要されなかった」と著書に書かれています。
また外国人初の内弟子、アンドレ・ノケ氏はこう発言されています。
ある日、大先生にこう質問をしたことがある
『先生はいつもお祈りをしていらっしゃいますが、合気道は宗教なのですか?」「いや、そうではない。が、君がキリスト教を信仰しているなら、合気道によっていっそう敬虔なクリスチャンになれるよ。それは仏教徒の場合も同じことだ」
これを聞いてびっくりした、と同時に嬉しかった。というのは、日本人の先生は、キリスト教はなんの価値もないものと思われているのではと恐れていたのだ。ところが先生はキリストに大変な敬意をはらっておられたのだ。
先生はよく道場のつづきの四畳半の私の部屋に来られた。壁にはキリストの肖像画が掛けてあり、先生はいつもそれに手を合わせておられた。ある日私は先生に、「先生のお力(予言力)とキリストの予言力には似ている点があるのでしょうか」とお聞きすると、先生は、「あるね、キリストはご自分の技は愛だと言われ、この植芝も技は愛だと言う。キリストは宗教を創られたが、私は宗教ではなく術を創った。それが合気道だ。
とおっしゃったと、合気ニュースの取材に答えられています。
そして養神館では、たぶん塩田剛三先生が、宗教的要素を排除されたのだと思います。
行的なことも行いませんし、宗教的な視点はまったく出てきません。
私自身は、植芝盛平先生は、大本教によって合気道の観念的な枠組みを作られたのは間違いないですし、無抵抗主義が技法に与えた影響は大きいと思っています。
だからって宗教的な修行や勉強が必要かというと、まったくそんなことは思っていません。戦前戦中までのどんな武道だって、“宗教的”なのです。
私にとっては、養神館合気道がいいと思っている大きな理由のひとつが「宗教的なところがない」ことです。
こういうことを書くと、怒る人がいるはずです。
「合気道は単なる格闘術ではない。形而上を理解しなければ、ただの武術にすぎない」と。形而上とは、ざっくり「見えないもの」ということです。
いやいや私は狙っていることとか、稽古では頻繁に、意識面や感覚面の 「見えないもの」について喋っていますし、重視していますが、それはまあ宗教的でもスピリチュアルなものでもないですね。
そういう方は、「見えないもの」が高尚だと思い込まれています。そして武術を下に見ています。
形而上を重視したからといって、本人が高尚かどうかとは、まったく関係がありません。そしてもちろん格闘や武術の腕前、スキルとも直接関係がありません。
毎日朝から晩まで稽古している内弟子のような人ならともかく、週に1、2回やるだけで、あれもこれも求めるのは、自分の潜在能力を過大評価しすぎです。
そう、評価軸をどこに置いたとしても、自分の客観的能力は変わりません。
【呼吸力や合気は手段か目的か】
いや客観的能力は変わらないんだけれども、コロナだし… みたいな中で合気を、一発逆転の秘技として求めている人が増えているような気がするのです。あくまで私の感想ですが、ネット上の傾向では未だかつてないほど、合気や不思議な技法への関心が高まっていると思います。
Clubhouseではそんな風に感じている人も、いませんでした。
だから私だけの妄想かもしれません(笑)
でもここで見捨てず、やっとスターウォーズともつながりますので、最後まで読み切りましょう。あと少しで終わります(笑)
大東流の「合気」は、合気道の「呼吸力」と同じ。合気上げは、呼吸法。合気投げは、呼吸投げだとする見解をよく見かけますが、たぶんそれほど間違いではないと思います。
大東流の合気上げも各派によってかなり違いますし、合気道の呼吸法もさまざまです。技法として、まったく同じ訳がありませんが、ここでは一括りにして書いていきます。
そもそもこの合気や呼吸力を、根源的な万能力のように考えている人が、多かったかもしれません。それがコロナで、さらに強くなっている気がします。
以前にも書きましたが養神館の呼吸法は、状況設定で1から5まであります。植芝盛平先生の初の技術書『武道』でも、多様な方法が掲載されています。
つまりは、どうにでも何にでも対応できる根源的な力ではないはずです。
生の力、パワーによる解決を目指さないのは、合気道的な力の発し方だと思いますが、そこはいわば崩しの部分。崩しの前にどうするか、崩した後にどうするのかの技の部分がありません。
崩しであるなら、手段のひとつです。手段をどれだけ目的化したところで、技は完結しません。殴ってきたのを避けるのは、呼吸力や合気ではなく、技術であるはずです。
もちろん、超常現象のような超能力で吹っ飛ばせるなら別ですが。
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に至るフォースの扱い方の変遷と似ています。いやこっちは、結局は血による修行不要の超能力対決、家族間抗争になってしまいました。
映画なんだから超能力でも構わないのですが、フォースが念動力みたいなものだと最初から分かっていれば、どうだったでしょうか。
遺伝が七割、みたいな能力だったら、どうでしょうか。
これが時代のニーズなのか、壮大な物語を回収するためには血にしておく必要があったのか。あるいはライトサイドもダークサイドもない。善悪一体なんだよという、あらたなメッセージなのか。いや、まさかね(笑)
YouTubeなどでも合気動画が一気に増えましたが、どれも観念的で、補足説明や具体的な解説を見かけません。これだと超能力のように思う人が増えてもおかしくありません。
【その合気や呼吸力はどんな意味がある?】
ここのところを簡潔に書くのは難しいよなぁと思っていたところに、都合良く代弁してくれるような動画が公開されました。
私が、この人は凄いな。数少ない本物だと思っている、やわらぎ道の石森先生が語られています。
私は石森先生がYouTubeを始められる前から、注目していました。
どうして本物だと思うかだけ先に書いておくと、この方はがっちり静止したところから「合気」を掛けられています。
「合気」の定義は別にして、合気だろうが呼吸力だろうが、接触前の誘導、あるいは接触した瞬間にかけるというのは状況設定次第だからです。当然ふわっと持って、相手が協力体制にある初心者稽古みたいなのは論外です。
さらに言えばこの先生の観念的な説明は、多くの合気道で一般的に言われている、特別感のないもの。それでここまで崩せるのは、完全に意識と身体のコントロールができているのだろうと思うのです。
『合気は護身術で使えるのか?』皆様の疑問を解決
この動画では、「合気が護身術だと言ったことはない」「戦い方の技術があって」「合気だけで強くなるのは無理」「自分を支えられない人が相手の体を持って抑えるなんて難しい」「軸がしっかりしてないと」と明確におっしゃっています。まったく異論ありません。
ただ、ここで語られている護身術とは、ほとんど路上格闘みたいな取っ組み合い・殴り合いのようなことでしょうから、私の考える護身とはかなり違います。
このブログでも何度も書いていますが、私はもっと日常的な護身で、そこで役立つ術(すべ)を求めます。
にしても、いきなり殴ってこられたり組みついてこられたら、対処するのにはそれなりの技術が必要です。それなりに対処できたとして、そこから逃げるにも脚力が必要です。
いや脚力といってもマラソンする持久力じゃなくて、短距離走ですね。
だからGWは自宅で引きこもるなら、これ読み終わったら、ダッシュしに行きましょう💨
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