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「合気上げ」は、合気道発祥かもしれないとする衝撃的なおふたりの大東流合気柔術の會主宰者による対談

January 4, 2019

 

 

昨年末『対談 合氣の秘傳と武術の極意:大東流と合気道の究極奥儀「合氣之術」の秘密を語る』というタイトルで、驚くような内容の本が出版されました。

書店でちょっと立ち読みしただけで目が点になり、どうすんのこれ。3,000円オーバーなのに、もしかしたらトンデモ本かもしれない。買うのか買わないのかどっち、と少し悩みましたが、とんでもなく大量の資料が写真付きで掲載されているのです。そしておふたりが技法を、写真で再現されています。

 


私は資料収集して武道武術を研究しようなんて気はないのですが、自分の教えていることの背景がどうなのかぐらいは知らないと無責任過ぎると思うのです。高名な先生でも「自分の先生から教えられた」「自分が経験した」という以外の、なんの根拠も示さず語っていることが、あまりに武道武術には多いのです。少なくともこの本は、根拠になるものが豊富なのです。

 


『対談 合氣の秘傳と武術の極意』でもっとも驚くいたところは、合気上げの起源。
ざっくり、ざっくりと書くと、大東流は大東流柔術だった。合気柔術となったのは、大正11年ごろ、大本教の「植芝塾」で大東流柔術を教えていた植芝盛平を師である武田惣角が来訪。そのときに大本教聖師・出口王仁三郎から合気のワードを被せるようにを提案される。植芝盛平はもちろん、武田惣角も諒としたとする説を紹介。
さらには合気道式合気上げである呼吸法は、昭和13年に発行された植芝盛平著の技術書『武道』に掲載されている。一方、大東流では、検証可能な座技の合気上げ的な技法は、それ以前に出てこない。という論が展開されます。

 

つまり一言で言えば「座取り合気上げスタイルは、合気道から大東流への逆輸入、植芝盛平から武田惣角への流れではないか」という新説を提起したということだと思います。

 

ビックリしませんか?

 

多くのマニアを魅了する「座取り合気上げ」。合気道を長年やっている人の中にも、合気上げジプシーいるがぐらいです。「座取り合気上げ」は大東流合気柔術の売りで、大東流合気は日本武術の到達点などと言われたりするのに、いやこの原型は、合気道から大東流に入ってきたんだよと言われたら。


ここまで読んで、さっぱり分からないという方は、これ以上読み進まない方がいいです。「合気道の源流は、大東流だと言われている」ぐらいのことは知らないと、そりゃあ無理です。できるだけ簡単に書くつもりですが、題材自体がけっこうマニアックですから、ひとつひとつ説明していると、膨大な量になってしまいます。

 

 


前書きから

本書は古神道家で大東流合気柔術玄修会を主宰される大宮司朗師範と、日本武術史研究家で大東流合気柔術神氣会を主宰される平上信行師範が「合気之術」の秘密をめぐって対談されたものです。おふたりとも大東流合気柔術師範ですが、他の著書でも合気道にも詳しく、以前から合気道にも好意的に思えます。

『対談 合氣の秘傳と武術の極意』に何が書いてあるのか、平上信行師範による前書きから、冒頭部分を抜粋します。



「合気之術」.........それは日本武芸の究極奥義、絶対必勝秘法として古来より密かに囁かれ、無数の武芸者たちから欣求され続けてきたものですが、その実像については現今様々な異質の論説が入り乱れ、いま一つ明確ではなく、技術的にも術理的にも曖昧模糊とした大変に不思議な存在です。 
そもそも「古来より」と称しても日本の武術界において、果たしていつの時期頃からその様な詞と認識が確立して来たのか? それは存外、極近年に形成された新たなる解釈であり認識だったのではなかったか? そしてその用語の定義自体が時代の流れとともに変容し、驚くべき真逆の転化を遂げているのだとも言われます。 


しかしてその核心技術とも言える「合気」とは一体何なのかという事が未だ明確には定義、確定されては おらず、現代においては多くの場合不可思議にして生半に会得しがたい武術極意、そして秘傳中の秘傳として内容のかなり不詳のまま、その驚くべき効能のみが云々されていると云う、真に面妖かつ不可解な存在になってしまっている......! 
要するに「合之術」とは、古の武芸者たちのかくあれかしという想いと願いとを根本に、形而上学的世界にて形成されたイデアのみの夢世界であり、現では絶対不可有なる幻の極意傳であったのかもわかりません。 


しかしながら日本で育まれた膨大なる武術諸流派の中で、その不可思議なる「合気之術」、そしてその核心 技術たる「合気」の用語を流儀の表看板として掲げた武術博脈が一系だけ存在しました。明治期に彗星の如く出現し地上最強柔術として一世を風靡した「大東流合気柔術」、そしてまたそこから派生して戦後に巨大なる日本武道組織の一つとして発展し隆盛する「合気道」の系脈です。 
しかしその大東流と離も一般公開されだした最初から「合気柔術」を名乗ったわけでは必ずしもなく、よくよく探求してみると明治以降、大正か昭和、恐らくは昭和の初め頃の特定のある時期からやっと「合気」のワードを伝書に冠し始めた様なのであります.........! 


本来古博を黒墨守するのが建前である筈の武術古流儀というものが、その自らの名称をこの様に変容させる 事自体、真に面妖ですが、実際の所ここの部分には不可思議にして奇怪なる歴史的密儀が確かにありました。それは大東流を伝えた柔術名人、武田惣角師範と、後に「合気道」を創始した植芝盛平師範との不思議な邂逅に端を発する.........。そしてそれから十何年かに渡る両師範の奇妙な交流を通じておりなす活動、綾文様の中に真に驚くべき秘儀が存在し、その様な中から「合気」なるもの、その名称と理念、そして実際技法博が次第に形成されていったと考えられるのです! 

 


なんか大仰ですが、これが真実なら関係各所で大きな騒動になりそうです。

 

 

 


そもそも合気道の呼吸法とは何か?
 

本書では大東流の合気上げの元は、合気道の呼吸法ではないかという説が展開されています。
ところがその呼吸法について、公式に、具体的に解説された文章や動画はとても少ないのです。

 

合気会では呼吸法、心身統一では呼吸動作など、流派によって名称の違いはあるものの、大抵は正座し、取りが胸の高さに両手を出し、受がその手首を掴んだところから始まります。取りは受の肩方法に向って呼吸力を出し、崩れたところを横に崩して制する稽古法。主眼は呼吸力を養成するものだと思われます。


では呼吸力とは何か。

『合気道教範』植芝吉祥丸著から引用してみます。

呼吸力とは、自分の重心すなわち臍下丹田と思われるところから、気・心・体の一致した力が、合気道の鍛錬によって流れるように出ていく総合的なものをさすのである。身体各部の集約された呼吸力が出ていく上で、もっとも大きな働きをしているのは腕であり、手であり、とくに手刀状に作用された場合である。

 


的確な表現だと思います。


ただこの「呼吸法」が「呼吸力の養成法」として優れたものなのかどうか。両手を胸の高さに出し、そこを動かないように空中に固定されたものを押し崩すだけなら、呼吸力としてどれほどのものなのか。初心者に呼吸力的な感触を掴ませるためには優れた方法だと思います。特に上級者が初心者を誘導してあげるというスタイルなら、「生の筋力ではない何かの力」を感じてもらうにはいい方法です。


ところが空中で手首を持たせるので、持たせる瞬間に少し誘導するだけで取りに有利な状態へと追い込みやすくなります。しかも受は押し込んで持つわけではないので、最初の段階では力と力がぶつかっていません。『対談 合氣の秘傳と武術の極意』でも出てきますが、大東流の多くの合気上げの立場からすれば「合気道の呼吸法は狡い」とされてしまうぐらいの差がある状況設定です。

 

 

私はいくつもの流派の道場で呼吸法・呼吸動作をやったことも見たこともありますが、養神館合気道ではかなり違います。
養神館では「座り技両手持ち呼吸法」の名称で、(一)から(五)まであります。状況設定が5つあるということです。(五)は両膝の上に置いた手を上から抑えつけます。それを上げるのではなく、回転してベクトルを外して投げます。これらの呼吸法は、そもそも大東流にあり、植芝盛平開祖が合気会成立以前に教えられていたんだろうなと想像していました。
現在の合気会の合気道は二代目道主が作られたもので、その段階で現在の簡易的に集約した呼吸法になったのだろうと。
 

 

先日、開祖がまとめられた技術書『武道』を、斉藤守弘先生が解説した「武産 合気道」 別巻: 植芝盛平翁の技術書『武道』解説編のKindle版を購入しました。すると座り技呼吸法は1から4まであるのです。臂力の養成もカッコ付きで諸手持ち呼吸法と記載されていました。広範な動作を呼吸力の養成法として、昭和13年頃にはやられていたのだなということがわかります。

 

 


それらの多くを、塩田剛三先生はアレンジしながらも呼吸力の養成法として、養神館の基本とされたのだなと想像しました。そして以前に書いているように臂力の養成自体、大東流の書籍に出てきますので、大元は大東流なんだろうなと。

 

臂力の養成は、一教運動でもあるという説

 

 



それでは大東流の合気上げとは何か?

合気上げとは何かの前に、本来なら大東流で言う「合気とは何か?」について定義する必要がありますが、私は「そんなこと知らんがな」というぐらいにお手上げです。どうしてお手上げかというと、大東流の先生方が著書などでおっしゃっていることが、みんな違うからです。大東流にも、いくつもの派があります。


『対談 合氣の秘傳と武術の極意』でも合気の定義は、「現在の合氣武術界において大体定着してきた」「敵の力を無力化する技術」として、論が進みます。

 

敵の力を無力化する技術というのは、佐川幸義先生の高弟の方々がおっしゃっている「力抜き」。佐川幸義先生に学んだ先生方は書籍等で発信されている点数が多いので、合気=無力化する技術という解釈が主流になってきたのでしょう。しかし力抜きが「力を出せないようにする技術」だとするなら、合気道の技のすべてが当てはまるはずです。力を発揮させないようなポジショニングが、入身・転換ではないでしょうか。


佐川伝の高弟の方々は、あまり動画を公開されないのでなんとも判断が出来ません。文章と写真だけで論を進められても、なんのエビデンスもないのですから小説とどう違うのか。合気はオーラが浸食していく現象だとおっしゃってる先生もいらっしゃいますが、もう「信じるか信じないかはあなた次第」の世界です。

 

 

大東流では「踵が上がり、声が出るのが合気の掛かった状態」という先生方もいらっしゃいますが、どうして声が出るのかは分かりません。一般的に声が出るのは驚いたときだと思いますが、反応には個人差が大きいはずなので不思議です。踵が上がった状態というのは、重心が浮かされているということだと思います。


上に合気道の呼吸法・呼吸動作が、大東流の多くの合気上げの立場からすれば狡いとされてしまうぐらいの差がある状況設定ですと書きました。大東流にも、合気道の呼吸法とほぼ同じ状況設定で合気上げの稽古とされているところもありますが、多くは取り・仕手が膝の上に手を置き、受が上から抑えつけた状態から始まり、立ち上がらせてしまうのです。立ち技ならまだしも、座り技で立ち上がらせるのは、とても難易度の高い技術だと思います。

 

しかし根本的な疑問ですが、どうして立ち上がらせる必要があるのでしょうか。

 

 

受が立ち上がってしまう状況は、受からしたら重心(丹田)が上げられ、不安定になっている。不安定になれば、簡単に投げられてしまう倒されてしまうということだと思います。でも投げること倒すことが目的なら、わざわざ重心を立ち上がってしまうほど浮かせるような難しいことをする必要があるのでしょうか。立ち上がってしまうには脱力させず、固める必要もあります。


重心は上げるも含めて、ちょっと中心からずらせば不安定になるはずです。膝上に置いた手を上から抑えられるのは、合気道的な立場、少なくとも養神館の技法からすれば座り技両手持ち呼吸法(五)と同じです。手首の操作はしますが、基本的には体の変更(二)をして抑えられているベクトルを外せば勝手に崩れてくれるじゃないと思います。もちろん体の変更(一般的には転換)しているのですから、脚が動いています。


脚を固定したままで上げるということなら方法は他にもありますが、そうなると合気上げは腕相撲のような競技・勝負方法として位置づけられているのではと思ってしまいます。江戸時代にだって、正座して両手を抑えつけられるなんて状況は現実的ではないでしょう。

 

 



大東流の合気上げ、合気道の呼吸法の目的は

合気道において、「呼吸法」はあくまで「呼吸力の養成法」であって、他の武術でいうところの鍛錬法や錬功法と同様の位置づけに近いと私は考えています。それどころか、すべての技が呼吸力の養成法であり、稽古をするための状況設定だと思っています。

 

塩田剛三先生は、呼吸力の核心は中心力であるとされましたが、さまざまな設定で自分の中心を崩さず、呼吸力で相手を崩すのが養神館の稽古。技の状況設定が、具体的なシチュエーションではない。例えば(一)は引かれたときで(二)は押されたときという設定がありますが、現実には無段階にその中間がある。無段階だと安全に稽古できないし、呼吸力・中心力を養成することになかなか近づけないので、(一)や(二)の設定があるんですと、詳しく聞かれた場合は説明します。あくまで私個人の見解ですが。

 

合気道の呼吸法は呼吸力の養成法で、呼吸力の感触を掴ませるための稽古法だと私は思っていますが、それが合気道界でメジャーな考え方かどうかは分かりません。


近しい関係にあった合気会師範が、稽古での最後に座技での呼吸法を行われていました。説明されたときに「これができれば何でもできる」とおっしゃっていました。間違いだとまでは思いませんが、そう説明してしまうと勘違いする人が増えてしまいます。前述のように『武道』には4つの呼吸法が掲載されています。現在広く行われている呼吸法は、この中のひとつ。空中で手を固定された状況設定での、呼吸力の稽古。汎用的に使える呼吸力を養成するものではありません。

 

同様に大東流の合気上げも、両手を抑えつけられたところから立ち上がらせることが、汎用的な「合気」の養成法なのでしょうか。世の中的には、合気は万能の奥義で座取り合気上げはその測定法、完全に立ち上がらせれば達人という見方が多いのでしょうか。


私は大東流を学ぶ人たちから、合気上げしてもらったことがあります。異なる大東流だし、習熟度も様々ですが、ほぼ立ち上がってしまうところまで掛けてくれた人もいました。なるほど、凄い技術だし、面白いと思いました。

しかし、持たれた瞬間に掛けられていること、立ち上がらせていること、この2点に疑問がありました。瞬間で操作するなら、外す方が簡単。また、ある程度以上に浮かせられた状態は、蹴ってくれと言っているようなものだと思いました。空手など打撃系の威力のある前蹴りではありませんが、踏みつけるように蹴ることができます。それも顔面を。膝蹴りでもできます。


合気道や大東流を代表しているわけではなく、あくまで個人的なやりとりですが、大東流としては正座から足の甲が畳に着いたままの状態で立ち上がるから、蹴ることはできないという見解。私は、いや養神館は呼吸法でも他の座技でも、すぐに爪先を立てて動ける状態にするから蹴ることができるよ。足の甲が畳に着いたままというのは、そういう状況設定でしょうと。完全に硬直するなら別だけれどもと。

 

合気系に限らず型稽古中心の武道は、1挙動2挙動で組み立てられていて、基本的にスピードの差を問いません。だからこそ、隙、死角になる位置関係には敏感にならないと理合いすら成立しないと。

 

 

 

 

それぞれの合気・呼吸力の現れ方

 

座技の合気上げや呼吸法の動画はないのかと探してみましたが、比較できそうなものがありませんでした。ひとつだけ「達人の合気比較」として、まとめられているものを見つけました。各流派の比較としては、抜群に分かりやすいです。

合気会本部道場 佐々木の将人師範/大東流合気柔術琢磨会 森恕総務長/大東流合気柔術本部 近藤勝之本部長/合気道養神館 井上強一館長 

各師範の両手持ちあるいは片手持ちからの崩しが、同じアングルから撮影されています。

 

 

それぞれの先生方で崩される動きが違います。身体の位置が変わる方、腰を引く方、手首から先しか動いてないように見える方など、さまざまです。

外形的には手だけを動かす方が高度な技法で、身体が動くのはそこまで高度ではないという見方もできますが、これは武道の力の使い方です。身体操作として難易度が高いと素晴しく、難易度が低く出来る人が多い動き方がダメということではありません。フィギアスケートや体操なら難易度の高い技が、高い評価点がつきますが。

 

養神館的な偏った見方かもしれませんが、私としては手首を持たれて押されたり引かれたりするのを止めるのなら理解できます。

立ち技でなら崩すことによって踵が上がり、爪先立ちになるのも理解できます。でも、程度の問題かもしれませんが、座り技でなら立ち上がらせるほど浮かせることの理由が理解できません。

 

故・井上強一養神館館長が披露されているのは「抜き」と呼ばれるものです。間違いなく敵の力を無力化する技術です。受の踵は上がっていますが、浮かされたり海老反っているわけではありません。

抜きは、反射や骨格構造や皮膚のゆるみを利用するなど様々な要素が組み合わさった技術だと思いますが、一番は相手の力の流れに逆らわないことではないでしょうか。

井上強一館長は著書『合気道 呼吸力の鍛錬』の中で、こう書かれています。

 


開祖は与える呼吸力ばかりではなく、相手の力を無力化し、吸収してしまう力の使い方を身につけていたから、晩年になって力の強い人間を相手にしても、楽に制することができたのだ。
しかし、どうやれば相手の力を抜くことができるのか、そのコツを具体的には教えてくれなかった。
だから若い頃の塩田宗家は「お願いします」と何度も開祖に技をかけてもらい、受けを取る中から、自分の体でつかんでいったのだという。
(中略)
塩田宗家は呼吸力という言葉を使いながらも、晩年には与える呼吸力と相手の力を無くす技の両方を使いこなしていた。無くす技は、本来の意味から言うと呼吸力の定義からはみ出すかもしれない。したがって、「抜きの技」「合わせの技」「とらえの技」などという表現を使う場合もある。

 

 

井上強一先生が披露されている抜きは、塩田剛三先生から学んだものであり、塩田剛三先生は植芝盛平開祖から学んだということです。


私の解釈では「抜き」もまた、開祖の言葉だとしてあちこちに登場する「争う心をなくす」ということであり、「相手の欲するところを与えるのだ」が心法であり思想であり、具体的な手法だと思うのです。相手が抑えてくるなら抑えさせてあげて、そのベクトルに乗ればいい。少なくとも上の動画の井上強一先生の抜きは、そう見えます。効果としては、たぶん片手を取りに来たところを体の変更(二)で流し、崩すのと同じことを、ほぼ手首の操作だけでやられている。
対抗して力を還流させて持ち上げる、立ち上がらせる必要はまったくない。それが合気道の合気道たるゆえんだと、私は思うのです。開祖の言葉、正確なところはわかりませんが「天地と一体となって動け」天地自然の理とは、まず重力に逆らうのではなく、仲良くすることだと思うのです。

 

 



大東流柔術から合気柔術、そして合気道へ

植芝盛平開祖は、さまざまな武術を学び、武田惣角から大東流を学びます。(武田時宗→近藤勝之へと続く団体で大東流関連の登録商標を持たれている)大東流合気柔術のウェブサイトにはこうあります。

惣角と盛平は大正11年(1922)、惣角一家が盛平の綾部の家に約6ヵ月間過ごすことになって再会します。 当時大本教団に所属していた盛平は大本教の出口王仁三郎のすすめもあって、自宅内に道場を建て大東流を教えていました。 綾部での滞在の終わりに、惣角は、惣角に代わって大東流を教授できる「教授代理」を盛平に授与しています。後に植芝は、当時、大東流の最高の免許証であった解釈総伝証を授かりました。二人の関係が以前ほど緊密でなくなってからも、その後の10年間には数回顔を会わせています。
歴史資料によると、植芝は、およそ20年間にわたり大東流を稽古していました。その後、徐々に変更を加え、ついに合気道を形成するにいたりました。

 

 

上の動画に出てくる大東流合気柔術琢磨会とは、武田惣角より免許皆伝を受けた久琢磨を中心に、創設された団体です。琢磨会のウェブサイトでも「久琢磨は朝日新聞社在職中、大東流合気柔術を最初は植芝盛平から、後に武田惣角より学んだ」とあります。この朝日新聞とは大阪の朝日新聞社です。昭和初期のことですが植芝盛平開祖が、そこで教えていたのは「大東流合気柔術」とあります。
『対談 合氣の秘傳と武術の極意』には大東流合気柔術の名称が正式に現れるのは、大正に入ってからだとあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大宮

「合気」は日本武芸の極意也と言う論もありますが、その具体的な合気術の秘技を伝えたと言われる大東流がその存在を知られる様になったのは、明治以降の事ですし、しかも初めは単に「柔術」と称しており、「合気柔術」と呼称する様になったのは大正時代以降の様です。となると大東流の中核をなすとされる「合気」ですが、その言葉自体は、大東流においてそれほど古い伝統のある言葉ではない可能性さえあります。 
大東流柔術という言葉が現れてきたのは明治三十年代の始め頃とされ、実際明治三十二、三年頃の「大東流柔術」の名称を冠した伝書が複数確認する事が出来ます。しかしながらこの「柔術」に「合気」の言葉が被せられた「合気柔術」の資料が現れるのは大正に入ってからなのです。

 


 

それが最初に書いた「合気柔術となったのは、大正11年ごろ、大本教の「植芝塾」で大東流柔術を教えていた植芝盛平を師である武田惣角が来訪。そのときに大本教聖師・出口王仁三郎から合気のワードを被せるようにを提案される。植芝盛平はもちろん、武田惣角も諒としたとする説」につながるのです。


これに対して、大東流には元々「柔術」と「合気柔術」の別体系の教えがあった。盛平や王仁三郎が介入する以前から惣角は「合気」という語を用いて指導していた。などの説も紹介されている。しかし、「アイキ」が出てくる第一次資料の真影、写真等がまったく示されず、伝聞情報のみで、何の証明にもなっていないとあります。

 

なんとも分かりません。大東流柔術の伝書はあって、大東流合気柔術の名称での伝書等が大正11年以前に存在しないなら、もしかしたら出口王仁三郎の影響かもしれません。が、私にはあまり興味がないのです。


合気道が大東流合気柔術と違うのは、同じ名称の技でも円転するなど大きな動きで外形的にも用法の違いは明らかです。部分が似ているとなると多くの日本の柔術であるのですから、我こそはオリジンだと言ったとしても、それは思い込みです。

日本で柔(やわら)、あるいは和術(やわら)とされるものは、本来「相手の攻撃力に抵抗しないで、随順しながらその攻撃力を無効にする」理合いの技。
合気道が愛の武道、和の武道とされているのは、相手と対立しないことを思想として、理合いとして追求しているからだと思います。そこに大本教の影響があるのは、間違いないでしょう。出口王仁三郎は無抵抗主義だったと言われています。

 

 



技術書『武道』に登場する呼吸法
 

「柔術」に「合気」の言葉が加えられた時期の問題。そしてさらには「合気上げ」が登場したのはいつかということも、『対談 合氣の秘傳と武術の極意』では議論されています。
まず合気道に現在行われているような座技の呼吸法が、初めて登場したのは、昭和十三年に発行された開祖による技術書『武道』。私は『武道』を持っていません。異常に高額です。『武道』を斉藤守弘先生が解説された『武産 合気道』によれば、前述のように座り技呼吸法は1から4まであります。


『対談 合氣の秘傳と武術の極意』から引用します。

 


理念の出現 


平上

「座法両手取り→吊上げ→崩し→投げ(→極め抑え)」という究極の「合気上」スタイル出 現の問題もしかりでありますが、実際の所、高い眼でみますと「合気上」こそ「合気」の根元的な錬功法であり、究極の関門也という様な観念が生じたのも比較的近年............いや、極近年の様にも感じられるのですが、この点はいかがですか。 
大宮

うーん。鋭い指摘かも知れません。ただ先にも述べました様に少なくとも昭和十三年に発行された植芝盛平師範の『武道』には現在合気道において行われている呼吸法と殆ど同じものが紹介されており、それを「気力の養成」として解説している事は注目したいと思います。だから そうした考え方はこの当時以前から既に存在はしていたと思いますね。 
平上

「合気上」における理念的バックボーンを含めての出現の時期はともかく、その技術的スタイルが確実に現れるのはどのくらいの時期にまで遡れるのかが極めて大きな問題であり、ここにこそ合気柔術史の大きな秘密が隠されていると私は考えます。よって少しくどいですがいま少し検討したいと思うのです。 

 

 


「合気上」の真の発明者

 

平上

事が極めて重要なので今まである程度量してはきましたが、個人的な研究者の見解としての立場から今一度同じ事を申し上げます。要するに武田惣角師範の時代には、大東流には「合気上」 の名称(技の固有名称)は勿論、技法自体も行われていなかったと思います。そのスタイル、そしてその奥深い理念までを案出したのはやはり植芝盛平師範ではないかと私は考察する者です。 
大宮

その意味合いはさきほども話がでましたように、武田惣角師範が行ったのは立ち技における「八光攻」的な技術であり、座法両手取り「合気上」は行われていなかったのではないかという事ですね。しかし惣角師範の晩年の伝を受けられた佐川先生系や堀川先生系では確かに行われています。ただ確かに先程松田師範の著作で検討したように、佐川師範系でも最初は「手解」として行われ、それが次第に「合気上」に発展した可能性を論じましたけれども。 

 

 

 

「手解」の秘密 


平上

その「手解」博にも大きな秘密があると私は考えています。八光流や一部の大東流の系脈では確かに天神真楊流に類似の「手解」が行われます。しかし単なる類似ではなく、本当に酷似しているといえるのであり、これが偶然とは少し考えにくいと思います。 
大宮

なるほど。つまり正しく天神真楊流の手解の手法を継承しているのではないかという事ですね。手解法は大東流の全ての系脈で行われているわけではない様ですが、いつの時期か大東流に天神真楊流の技術陣が入ったという事でしょうか。 
平上 

しかりですが、その前に一つ考えなければならない事は、基本的に大東流という流儀は手解という考え方を否定した流儀であるという事なのです。 

 


そして天神真楊流を学んだのは、植芝盛平師範だという展開…

 

 

『対談 合氣の秘傳と武術の極意』に書かれていることが妥当なのかどうか、また豊富に掲載されている伝書等が本物なのかどうかなど、わからないところが多過ぎます。

 


多くの大東流の先生方は、合気がなければ技は効かない、合気があれば一瞬で崩せるとおっしゃいますし、その稽古法として合気上げがあるのだとされています。しかしその合気の概念や合気上げの手法も、様々なのです。

たぶんそれらの合気がなくても、技を効かせる方法はいくらでもあります。とても合気の概念や合気上げの原型が、植芝盛平先生から流入したとは思えないのですが、時系列で追っていくと本書の論が妥当なのかもしれません。

日本の柔術・柔には、そもそも合気的な思想があった。植芝盛平先生は様々な武術や大東流を学び、大東流柔術を教授する過程で呼吸力の観点から技を再編成したり、養成法を抽出していったという流れのところに関しては妥当性が高いと思います。

 


私は養神館ですから当然ですが、先の動画では井上強一先生の「抜き」がもっとも合気道的な技法だと思います。もっとも好きですし、追求したいと思います。それが大東流のそれぞれの団体で定義するネーミング「合気」であるかどうかは、どうでもいいのです。

 

 

 

『対談 合氣の秘傳と武術の極意』は間違いなく貴重な内容

 

ちょっと引用させてもらい過ぎました。『対談 合氣の秘傳と武術の極意:大東流と合気道の究極奥儀「合氣之術」の秘密を語る』のPRに役立つことも書いておきます。


これだけ豊富な資料を掲載して、深い知識で合気周辺に迫った本はないと思います。資料/情報として驚異的なのです。根拠がどこにあるかを具体的に示し、資料を写真で掲載しているものは、そうありません。

 

 


だいたい合気や合気上げについて書いている本やDVDには、えっ!?っと目が点になってしまいます。この値段で、これだけの内容なのかと。それに対して『対談 合氣の秘傳と武術の極意』は、マニアなら「なんてコスパがいいんだ」と思うはずです。大東流でも合気道でも、多くの流派団体がある。少なくとも大東流に関しては俯瞰的に語られているところが素晴しいです。数年後には絶版になって、中古本価格は跳ね上がると思いますよ。


もっともこの本を読んで、合気上げができるようになるわけではありません。

 

 

 

技法として合気上げそのものを知りたいなら、こちらがお薦めです。

立ち上がらせる合気上げが、汎用的に使える「合気」を使えるようになるものかどうか。その答えのひとつは、大東流の佐川先生と松田先生に学ばれた塩坂洋一先生が『合気問答』の中で明らかにされていると思います。
写真と文章だけですが、ここには広範な合気が詳しく解説されています。

 

 

 

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