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  • 養神館合気道 精晟会渋谷

植芝盛平先生は草履で太刀取りされていた



そういえば植芝盛平先生は、どうして岩間に野外道場を作られたのか。そしてそこでは素足だったのか、それとも何か履かれていたのか。ということが気になってきて、調べてみました。


どうして気になってきたのか。

それはClubhouseを始めたからです。コロナ禍の稽古はどうなっているのか「海外の稽古事情」を、5回やるつもりで始めました。

Clubhouseで【合気道マニアックス】始めます  

(次回は14日21時から)



聞いてみると、海外、といっても4カ所だけですが、スウェーデンの某都市、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロシア・サンクトペテルブルグのいずれも日本より厳しい状況。ロスではロックダウンの期間が長く、道場は閉鎖されているなどで使えない。できるのは、オンラインか、人数を制限して屋外での剣杖稽古。


サンフランシスコの空手道場では、すべてオンラインによる稽古で、昇級審査もオンラインというところがあるそうです。確かに接触しない型だけなら、それでも可能です。画面越しでも、相対で一本組手などのタイミングもできそうです。

だけど合気道では、独りで型を繰り返しても・・・




【合気道の屋外稽古の可能性】


コロナ禍の稽古をどうするのか、どんな可能性があるのかを探りたかったのですが、日本だって仮に今より厳しい状況になったとしたら、屋外しかないかもしれません。

厳しい状況って、たとえば変異種やオリンピックによる人の移動によって、パンデミックの質的変化がないとは言えないでしょう。


しかし屋外稽古って、スウェーデンもニューヨークも日本より寒いはず。それで道着で稽古できる? と思って聞いてみたら、着込んで手袋着用だそうです。

(ちなみにサンクトペテルブルグでは凍っているところが多く、今のところは屋外で稽古できないそうです)


警視庁の杖道では、手袋で扱えるように出来ているそうですから、やれなくはないでしょう。以前にも書いていますが、全剣連杖道と警視庁の杖道は同じ先生が中心となって作られていますが、技術的には異なるはずです。

個人的には合気道で手袋をするなら、もしかしたら剣だけにした方がいいかもしれません。



いずれにせよ、この状況があと1年も続けば、道場の規模、構成員、稽古内容が大きく変わっているはずです。

状況がさらに悪化するなら、海外のように、屋外での接触しない剣杖を使った稽古だけになる可能性だってあります。




【素手に役立つ屋外の剣杖稽古ができるか】


精晟会渋谷では今までにも書いている通り、剣杖を使うのは、素手の体術を向上させるためです。

剣杖ができると体術にどう役立つのか -後編


それが屋外での剣杖ばかりになったら、どうなるのか。


まず相対で、つまり組杖や組太刀、剣対杖で稽古しても、当てるところまで打ったり突いたりできなくなるかもしれません。足が滑るので、当たるところまで突く打つをすると危険かもしれません。

素手の打突でも、表面に当たるどころか、その先まで行かないと「力をもらう」ことにはなりません。ましてや当たらないのなら、何もする必要がないのです。


剣杖ができると体術にどう役立つのか -後編  に書いていますが、それほど習熟しなくても、素手の打突よりも強力で、体捌きや間合い感覚を向上させるものとして剣杖を位置付けているのに、まったく当たらないようにするなら、あまり意味がありません。

かといって怪我をする事故の可能性を高めてしまっては、本末転倒です。



とまあ、いろいろと懸念があります。

日本でも屋外で組杖をやったという人がいたので、聞いてみました。足は滑らなかったかと。


すると「私は走る用のスニーカーなので滑らなかった。でもおしゃれスニーカーの人たちは滑ってました」と。滑ること自体は、私も公園でひとりで振ってるから知っています。これを相対でやった場合、離れたところにしか打ち込めないだろうし、緊張感のある稽古はできないだろうなと思っています。

とはいえ、グリップ力が強くクッション性の高い高機能スニーカーもなあ。足裏の繊細な使い方ができないだろうし、足裏の感覚も筋肉も鍛えられないんじゃないの、なんて心配が出てきます。




ちなみに神道夢想流杖術から、全剣連杖道の制定型になって、体勢の変更があったといいます。古流は槍や薙刀など長物の用法を含むため四股立ちが基本であるけれども、初心者向けの普及形では腰高になっていると。

杖道入門


そういっても神道夢想流でのハッキリとした四股立ちは、現実でも映像でも見たことがありません。


ただ屋外で使うことが前提なら、滑らないだけじゃなく、ぶつかり負けしないとか、的として小さくするなどの理由から四股立ちで半身から半身への動作はあるかも、とは思います。

だからといって合気道が四股から四股への半身動作になったら、それはもうほぼ相撲ですし。



なかなかポジティブに捉えることが難しいです。





【開祖はどうして岩間道場を作られたのか】


そうすると気になるのが、岩間道場。植芝盛平先生は、どうして野外道場をお作りになったのか。一般的には岩間=野外道場という認識はないかもしれないですが、書籍には書かれています。


植芝吉祥丸先生が『精説 合気道教範』の中でこうお書きになっています。

岩間町に野外道場建設
昭和12年に支那事変が起き、ようやく戦争も激しさを加え、引き続いて昭和16年の 太平洋戦争へと突入してゆくのだが、門下生も戦いに参加させられていった。召集を受け、藤平光一、大沢喜三郎などの優秀な人材が道場から姿を消していった。
盛平は財団法人皇武会の存在と戦争激化の状態を考えて、一応、東京における我が使命は1区切りに達したと東京道場を私にまかせ、新天地ともいうべき野外道場の建設にとりかかったのである。
かねてから、盛平は道場を開き、それに専従すれば、雑務に追われ、しかも道場という枠内のため、生きた修業はできがたい。野外にあって武農一致の形からこそ、自由奔放の修業ができると考えていたのである。その土地は知人の紹介で茨城県岩間町に定め、昭和10年頃からひそかに敷地購入に着手したのであった。

そして完成したのが、昭和20年敗戦の年ということですから10年がかり。

小見出しは「岩間町に野外道場建設」ということですが、なぜ野外かについては記述がありません。





その理由の一端を、斎藤守弘先生が『植芝盛平と合気道 開祖を語る19人の弟子たち』のインタビューで、こう語られています。

「やっと合気道が認められてきた。陸海の青年将校は、たるんどる。これを再教育しなければならない。それには、適切な場所がない。野外道場を作るべきである。野外道場で青年将校を再教育しなかったら、とても戦争には勝てない。合気道を学ばせなくてはだめだ」とね。
そして野外道場として、この土地をみつけて道場ができあがり、終戦となったのです。それだけが私の知っている事であって、それ以上の社会の状況による先生の心境の変化等に関しては分かりません。

植芝吉祥丸先生の記述と斎藤守弘先生のインタビューとでは、かなり印象が違います。

ただ斎藤先生は、こうとも語られています。


戦争中は、大先生は自分が研究した武道を、軍から無理やり命令されて、敵を倒すための、人を殺すための手段として教えさせられたり、中野の学校 (憲兵学校) からも凄い技を教えてくれと言われてやられていました。
しかし、戦争が終わってその必要がなくなり、やっと先生自身の考えていた和合の合気道、先生の信念通りの合気道がやれると喜んでいました。

戦中戦後と開祖の価値観が大きく変化したであろうことは、想像できます。



本題ではないので、これ以上触れませんが、岩間道場を鍛えるための場所。東京の道場ではできない修行のための場所。それが武農一致であり、野外道場と位置付けられていたのは間違いないでしょう。

斎藤先生は、朝から晩まで一緒に、泥まみれになって農作業をしたと語られています。



そして岩間以外でも、野外稽古は行われていたのです。





【塩田剛三先生が語る野外稽古】


塩田剛三先生の著書『合気道人生』では、二ヶ所が出てきます。

まず、竹田という場所。

植芝先生は野外訓練ということを年1度行いました。それは兵庫県の姫路から播但線の汽車で行く竹田という所で、夏三十日開内弟子だけ約四十人が集合し合宿するのです。
朝五時より神様の業を一間半はど、その後みそぎを一時間、それから朝食後午前十時頃より午前中の稽古、昼食後約二時間休憩、四時から六時まで積吉でした。一日おきに外に出る野外稽古は実に大変な稽古でした。

稽古内容は何も書かれていません。内弟子だけの稽古ですから、特別なものだったのでしょう。


竹田というのは、たぶん雲海で有名な天空の城・竹田城周辺だと思われます。東京から行くだけでも大変です。

ご存じない方のために、朝来市観光協会が作った動画を貼っておきます。





そしてもう一ヶ所は京都。

京都植物園の山の中腹に、牛若丸が修業したといわれている所があり、そこは小さな盆地で合気道の野外訓練にはもってこいの場所でした。そこより約五十メートル位下に江戸初期の有名な儒学者であった林羅山先生の生家と称される三間程度の家がありました。そこを先生は買い取られて主だった弟子を二、三人連れて行かれ、二十日間居住し修業されました。
その時連れて行かれたのが、大阪の道場を預っていた白田林二郎氏、和久田三郎氏(相撲評論家天竜氏)、それに私でした。先生は坂を登る時にはうしろから押させるのが常でした。

竹田もですが、鞍馬山で牛若丸が修業した場所とは、さらに意味ありげです。


ここでは一汁一菜で二十日間修行すると書かれています。

さらに夜間の修行もあり、その様子は物語的に加来耕三先生が『武闘伝』でお書きになっています。


(内容は下に貼り付けたツイートの、時間のところをクリックするとスレッドで表示されます)


植芝盛平先生が買い取られた場所で、二、三人しか連れて行かないのですから特別も特別。

さらにはこの暗闇での稽古です。


開祖が何をどう、具体的に考えられていたのかは分かりませんが、とにかく野外での稽古を特別視されていたのは間違いなさそうです。場所も、何やら特別感が漂います。

畳敷きの道場稽古をリアリティに欠けるもの、自然の中で生活し修行してこそ、天地自然の理を得られるとか解釈してしまいたくなりますが、さっぱり分かりません。


岩間をお作りになるまでは、内弟子や二、三人の弟子にしか行われなかった野外稽古なら、選ばれた人が特別なのです。




【残されている開祖の野外稽古の映像】


それではやっと本題です。

野外稽古されている開祖や弟子の先生方の足元がどうなっているのか、様々な映像で探してみました。


野外稽古の足元がハッキリと分かるものがありました。

合気ニュース『植芝盛平と合気道 第6巻 合気道の心』に収録されていました。1961年日本テレビ制作のドキュメンタリー映画「合気道」です。


他のDVDなどにも断片的に使われていますが、『植芝盛平と合気道 第6巻 合気道の心』はノーカットのようです。

これに記録されている野外稽古の映像は、とても貴重。様々なことが分かります。

場所が、どこなのかは分かりません。愛宕神社と出てきますが、映像を見る限り、京都にある愛宕神社の総本宮ではないようですし、東京・港区でもないようです。


ともかく、終戦から15年を経ていますから、晩年も晩年。

計算すると77歳でしょうか。お亡くなりになったのは86歳です。



植芝盛平先生と斎藤守弘先生の深夜の横木打ちも出てきますし、短槍で立木を突きまくるシーンもあります。そして武器取り。深夜に斎藤先生ほか2名の短槍を持った先生方を相手に武器取りをされています。

短槍とは杖の一方を削って、尖らせたものです。



そして昼間の映像で「真剣の合わせ」とナレーションされる場面。

植芝吉祥丸先生が真剣を腰に刺し、抜刀しようとするところに開祖が飛び込んで抑えます。このシーンはDVDを買ったときに見たはずですが、記憶にありませんでした。



稽古で開祖の方法でやってみましたが、かなり難しいです。

実は最初に、顔面に突きが入っています。当身しながらの入り身、そして体を左に開いて当身、ですが、私には最初の当身をしながらの動きが困難でした。


その後、真剣の正面打ちへの対処もやられています。


投げまではされず途中で止められていますが、特徴は大きな入り身と当身です。やはり開祖は相手の脇まで跳び込まれています。YouTubeに上げられている演武で、この太刀取りを見ることがありますが、その多くが中途半端な入り身。私はなんだそれ、全然安全じゃないし。と思っていましたが、開祖の大きな入り身を改めて確認することができ、良かったです。


そしてこのシーンでは、足元のアップもあります。

タイトル通り、開祖は雪駄か草履のようでした。他の先生方も同様です。


考えてみれば当然ですが、屋外では時代的に草履雪駄。たぶん昭和の武人は、庶民が靴になっていっても、草履を日常的に履かれている人が圧倒的に多かったのではないかと思います。平成では、もしかすると靴の方が多いかもしれません。





【藪蛇な展開になってしまいました】


草履でも土の上なら、普通に踏み込めば滑ります。



問題は日常的に履いているかどうか。草履雪駄で歩くときには、爪先側にほとんど体重を乗せないと思います。むしろ足指で鼻緒を持ち上げながら、歩くのではないでしょうか。爪先立ちになったら、足指を痛めます。

だからすり足。できるだけ上下動させません。


逆に言うと、上下動せず、安定した体勢を維持しながら動くから、すり足を使います。畳や板張りの道場で行っている歩法や体捌き、打ち込みなどを、同じように屋外で草履履きで行うなんてことは、日常的に鼻緒のある履きものを履き、身体の一部のようになっていないと不可能だと思います。もちろん踵に履き物の後ろをぶつけて、パタンパタンと音を立てたりしない歩き方で。


いやー、だけどそれは、かなり難しい。

小股で歩くならともかく、革靴やスニーカーを履かない生活をしないと、たぶん無理です。高機能のクッションがあったりすると、なおさらです。




現在、日本的な武道をやっている人でも、すり足とすり足ではない足使いとを、意識せずハイブリッドして使っているのはないでしょうか。

安定したすり足を徹底してやるなら、膝の緩みも腰の高さもたぶん異なってくるはずです。

前述の神道夢想流杖術から、全剣連杖道の制定型になって、体勢の変更があった理由は、これかもしれません。



「屋外で剣杖を稽古するならどうするか」を考えると、頭が痛くなってきそうです。

コロナが収束してくれれば、解決なのですが。





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