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剣杖ができると体術にどう役立つのか -後編


このポストは、後編です。「剣杖ができると体術にどう役立つのか -前編」からお読みください。

できれば「杖を使うなら、見ておくべきYouTube動画を中心に」も読んでください。


前編で書いたように、私は「現実に剣や杖を取れるとは思わないでくれ」と稽古の場で言っています。それなのに、どうして剣や杖どころか、剣取りや杖取りまで稽古するのかについて書いていきます。


そんなに大それたことを考えているわけではありません。まずは、そこから。

そして植芝盛平先生の剣杖はどんなものだったか、近づくための手段は?

具体的に剣杖を使った稽古が、どう体術に役立つのか。

のざっくり三部構成で書いていきます。




【徒手の打ちや突きは取れますか?】


あなたの道場では徒手の打ちや突きを稽古していますか? 

精晟会渋谷では、若干ですが打ちそのもの、突きそのものも取り出して稽古します。少なくとも拳や手首の作り方は、詳しくやりますし、そんなので当たったら自爆するよとよく言います。

これらは打ち突きができるようになるためというよりも、まず相手を稽古させるためです。当てる気のない突き打ちは、初心者はともかくとして、続けていても意味がありません。



剣や杖は別にしても、素手の打ちや突きなら取れるよ。有段者なら、多くの人がそう思っているかもしれません。

だけど実際は相手のレベルによりますよね。どんな人の打ちや突きだって取れるわけじゃない。私はそう思っています。



理合の稽古って、相手と自分の体格やスピードが同じなら成り立つということ。

取れているつもりでも、道場の中にそれなりのスピードで打ったり突いたりできる人がいないと、判断できる基準がないはずです。


もしかすると自分が対処できるのは、自分の打突の能力の範囲内だけかもしれません。

想像ができない・体感できないスピードは、想像外なんだから対応できないと考えるのが当然でしょう。



たとえば合気道は総合武道なんだから、蹴りを稽古しないまでも、対応できるようにすべきかどうか。

人によって答えは様々だと思いますが、様々な書籍には植芝盛平開祖が、相手に蹴らせた話が出てきます。

塩田剛三先生が植芝道場に入門したときの有名なエピソードも、「(植芝先生に)蹴っていったら、ひょいと投げられて閉口した」というものでした。

開祖の直弟子の先生方でも、自分から蹴られ、蹴りを当身として投げられている映像がけっこうあります。


つまりは植芝盛平先生の指導下では、蹴りも、合気道で対応する範疇だった。と推測できます。

その後に作られた、合気会や養神館の型の中にないだけで。型の中に蹴りのある流派もあります。合気道に蹴りはないからと、想像もできないなら対応できるわけがありません。



だからって、打撃系の格闘技や武道の人並みにやれるようになりましょうと言いたいわけじゃありません。

同じようにやりたいなら、合気道から転向するのが現実的。併修できるほど、様々な余裕と能力がある人なら別ですけど。


ただ、やったことがなければ、道場内で組んでくれる人のレベルが、あなたのレベルの上限になるはずです。

剣杖を使えば、それよりははるかにマシではないでしょうか。





【剣や杖は何もかも素手に勝る?】


素手の打突以上に、剣や杖を扱うのは難しいです。ましてや剣取り杖取りとなると、難易度が上がります。

受が剣杖を持つと、単純に徒手よりもスピードが速く、リーチが長くなります。難易度が上がるその中身は、まず徒手よりも攻撃力が格段に上がるということです。

剣杖まで行かなくても、短刀で考えてみれば、簡単に理解できるでしょう。



受が徒手での打突のレベルを上げるよりも、はるかに簡単に攻撃力を上げることができます。

これを相手に稽古していれば、少なくともそれなりの徒手の打突を相手にしているよりも、実効性の高い体捌きができるようになるはずです。

入り身するにしても、徒手の場合よりも、素早く大きな入り身が必要になります。


精晟会渋谷では、杖取りそのものよりも、こんな体捌きを毎回のように稽古しています。


剣杖ではなく徒手相手にだって、合気道はまず体捌きとポジショニング。受けなくても成り立つとすれば、それしかありませんし、ベースだと思います。

隙がない動きで安全で有利な位置に立つ。多くの武道で同じだと思いますが、特に合気道は攻撃的なことをしなくても、相手を崩せることが究極の目標ではないでしょうか。



塩田剛三先生の動画でもありますが、相手の短刀突きを止めることなく、クルクルと何度も躱してから投げる。あれは相手の突っ込んでくるスピード、加速を落とさせてから対処しているのだと思います。やってみれば分かりますが、確実にスピードが落ちます。もちろん後ろに逃げず、すり抜けるように前に出て躱しているのです。


そのためには、素早い体捌きが必要になります。そして安全な位置へとポジショニングできること。



いくら打ったり突いたりする軌道を変えない型稽古でも、本気でやってきたら、簡単ではありません。

上の動画をエンディングまで見ていただくと出てきますが、私は何度も杖の逆横面打ちで前腕を叩かれています。骨に響く感じで、かなり痛いです(笑) 


叩かれてしまうのが私の身体能力の低さなのか、あるいは入り身方法が間違っているのか。

両方かもしれませんが、最近は大きく入ってからの足の使い方を変えています。そんなことも、やってみなければ分かりません。木刀に対してやるのは、さすがに危険すぎますが、杖ならそれほどの危険はありません。もちろん他の人には、そんなスピードでやらせたりしませんが、理屈ではこうなる。でも実際に、自分がやったことはありません。みたいなことはしません。


理合には検証が必要で、どの程度ならやれるかが分からないと、剣杖を使うのは妄想にしかなりません。

検証するから、どういう方法で段階的に体捌きを稽古すれば向上していくのかが見えてきます。




【植芝盛平先生は剣杖をどう教えられていたか】


多くの直弟子の方々が、「翁先生は合気道は剣の理合と言いながら、剣を教えてくれなかった」あるいは「木剣を使って稽古していると機嫌が悪かった」とおっしゃっています。


また小林保雄先生はDVDの中で、「模造刀を使っていると機嫌が悪かった。だから合気道では木剣を使う」とおっしゃっています。



あくまで私見ですが、私はこれらのことを、植芝盛平先生は、剣を使うのは体術が満足にできるようになってからだ。ましてや真剣を模して、あたかも真剣を相手にできるかのようにやってるのは大間違いだと考えられていたのではないかと思うのです。

どこに書かれていたのか探せませんでしたが、呼吸投げをやっていると「人はそんなに簡単に倒れないとおっしゃり、不機嫌だった」という文章を読んだことがあります。確かに一教二教三教や四方投げ、小手返しなどの極めたり締めたりする技と比較すれば、呼吸投げは具体的な感触や手掛かりに乏しく、格段に難しいのです。


つまりは基礎的な技をしっかりできるようになるのが先だと、おっしゃりたかったのではないかと。

そう書くと何か養神館の技術体系・稽古体系みたいですが、私は養神館ですから、そういう思考回路になります(笑)



想像するより、直弟子の方々の文章を引用してみます。

合気ニュース社の『続植芝盛平と合気道 -開祖を語る13人の弟子たち』からの引用です。


まず多田宏先生です。具体的に言及されています。

(多田)大先生は、一時期、道場生が剣や杖を使うことを非常に嫌われたのです。「やってはいかん」と怒られた。しかしその後、教えられるようになりました。

そして示現流の稽古法、立ち木横木打ちを岩間で教えられて、自宅でもやるようになったとあります。

ですので、開祖が剣杖を教えられたのは、やはり岩間時代が主。当時の方々は、岩間に行ったときに教えてもらう。あるいは植芝盛平先生が、東京の合気会本部道場に来られたときに教えてもらうということだったのではないかと推測できます。


だから前編に書いたように、斎藤守弘先生はずっと教えられていた。

また塩田剛三先生は、横木打ちをされていたそうです。斎藤守弘先生(武道家のこたえ)によると、塩田剛三先生は岩間によく来られていたということですし、ご自身の著書でも終戦後岩間に家族で住まわせてもらっていたことを書かれていますので、塩田剛三先生も稽古方法を開祖から教えられたのは間違いないでしょう。


ちなみに開祖の横木打ちは、「杖を使うなら、見ておくべきYouTube動画を中心に」でも紹介しているDVD『植芝盛平 合気道の王座』で見ることができます。




他の書籍も含め、私が知る限り、1950年代に内弟子だった田村信喜先生の言葉が最も詳しいです。

(プラニン)大先生から木剣や杖を勉強されましたか。
(田村)昔のお弟子さんには柔剣道の高段者が多かったと聞いております。 だから刀の持ち方や、杖を持った構えはこうというような教え方はされなかったと思います。一応そういうことのできる人が、さらに何かを掴むための措導であったのではないでしょうか。私などもいきなり木剣や杖を持たされてお相手をさせられ、初めはおおいにまごついたものです。先輩方のやり方を見習い、稽古人同士で打ち合ったりしました。
稽古人の中には、剣道の高段者や居合をやる人にもたくさんおりましたので、その方たちにも教わりました。内緒で外の道場に習いに行ったりする人もおりました。とにかく人よりも早く強くなりたい一念で、みな抜駆けを狙ったわけです。
しかし合気の剣は他の武道の剣と違うのです。稽古や演武のときに大先生が使われた剣が私どもの脳裏に焼きついており、それが私どもの修行の根幹になっております。

剣の握り方、杖の扱い方はそれぞれの流儀によって、あちこち違いますが、その剣や杖を扱う基本的なところさえ、植芝盛平先生は教えられなかった。明確にされなかった。ということは、得物としての剣や杖はどうでもよかった? 



自説へのこじつけ気味ですが、教えていない田村師範に剣や杖の相手をさせられたのなら、ただ素手よりも攻撃力の高い道具として位置付けられていたのではという気さえしてきます。



ちょっと別の角度から書いてみます。

剣道をやっている人の竹刀の握りと、剣術や居合の手の内とではかなり違うはずです。太刀筋も同様です。剣術の中でも陰流、神道流、念流の三大源流で大きく違うでしょうし、さらにそれぞれの系統の中に様々な流儀があるのですから、植芝盛平先生がこうだと具体的に示されなければ、植芝道場内の剣はバラバラだったはずです。


それでも開祖が意に介されなかったのなら、やはりどうでも良かったんじゃないかと。



時系列が明確ではありませんが、先に引用した文章やDVDからは、植芝盛平先生の剣は示現流なのではないかという気もしてきます。しかし開祖の剣が、示現流のままではないことは、他の映像を見ても明らかだと思います。

あくまで稽古方法として示現流の横木打ちをされていたのではないかと、私は想像します。




【剣でも素手でも成り立つかどうか】


どうでもいいとは、まず武器として扱えるようになることを求めていなかった。ただ素手よりもリーチの長い攻撃力の高い道具で攻めてきたら、どう対処できるのかが重要で。

開祖がご自分で相手されるときは、好きな得物を持って好きに攻撃してこい。そんなことだったんじゃないかという意味です。


さらに引用します。


晩年は、杖または杖の先が矛になったものをお使いになっておりました。
剣は右半身に構える。槍は左半身。この二つで一つになるのではないでしょうか。 武士の表芸といわれるのもこの剣と槍でしょ。合気道では、剣にしろ槍にしろ、それが自分の体の延長と考え、自分の手のようになるまで練習せよと教わりました。お箸でご飯を食べ、お箸が気にかかったり邪魔になったりする人はないでしょ。剣もそのように、持っているということさえ忘れてしまうようになればよいのです。
剣道のほうは、よく剣と体が一体となる、剣のなかに自分が入り、剣と化するというような表現がされますが、行きつくところは同じなのだと思います。ただ、発想が違うわけでしょう。
もともと武士は剣や槍を身近に持っていたので、いざというときこれを使ったのは当然の話でしょう。合気道は素手の武道と言われますが、合気道の技も剣対剣、剣対素手、素手対素手という風に組み立てられております。だから剣を使うところを素手で試み、素手のところに剣を使ってみるなどして、それができるならその技は正しいというようなやり方で稽古しております。


杖の片方を矛にした短槍というのは、今までに何度も書いています。

田村先生の言葉「だから剣を使うところを素手で試み、素手のところに剣を使ってみるなどして、それができるならその技は正しいというようなやり方」というのは、合気道の方法をとても端的に表現されていると思いますし、そこが矛盾するなら合気道ではないと思います。

もちろんリーチが違うので、間合いが違う。間合いの違いは大きな違いですが、基本的な技の構造は同じだということです。



精晟会渋谷の稽古では、木刀に鍔をつけて稽古するときもあります。

たとえば手元を打つ稽古のときはガードをしないと危険ですし、元の術理が真剣対真剣の場合なら鍔があるからここで止まると説明するためです。

だからといって真剣を使うつもりもないし、使いたいとも思わない。武器の形状に過度に依存する技法を、やるつもりもありません。なぜって徒手の技につながらないことを稽古しても、それは合気道の本筋ではなく、寄り道でしかないと考えているからです。



下の画像は、中段に構えた同士から中心を取りに行く。そのとき相手の剣をレールにしています。

これは養神館の剣操法体の変更(一)を剣対剣の設定なら、こうなるのではないかという動きの意図を説明しているところです。鍔がないと成り立ちませんが、徒手なら成り立ちます。


刀で斬るには引かなければいけない。いや刀の反り、振り下ろす軌道は引かなくても斬れるという話もありますが、私は真剣を扱うつもりがないので興味がありません。刃物として斬ることはどうでも良くて、合気道で必要なのは、斬るよりも叩くではないかと思っています。



居合などで真剣を使うのは、そういう武道で道場内の稽古だから。稽古でも演武でもないのに外に持ち出したら、その行為自体がたぶん違法でしょう。



開祖が剣や杖を具体的に教えられなかった真意は想像するしかないですが、「ご自分で相手されるときは、好きな得物を持って好きに攻撃してこい」だったのは、確かじゃないかと思います。




【具体的に教えられなかった理由は?】


どうでもいいとは、まず武器として扱えるようになることを、それほど求めていなかった。ただ素手よりもリーチの長い攻撃力の高い道具で攻めてきたら、どう対処できるのか。それは剣でも槍でも杖でも、基本的には変わらない。

開祖がご自分で相手されるときは、好きな得物を持って好きに攻撃してこい。そんなことだったんじゃないかという意味です。



さらに引用します。田村信喜先生へのインタビューです。


(プラニン)ほかの武道の先生方は、大先生の剣を批判したりしましたが、なぜだと思いますか。
(田村) いわゆる剣道とか居合道の使い方とは、合気の剣は発想が違うのではないでしょうか。先生が剣を使われるときに横で見ていると、動きが非常に緩慢に見えることがありますが、相手をしているとそうは感じられない。いままで目の前にいた人が打ちかかった瞬間、ふっと消えてなくなったような気がして、はっとしたときはすでに切られているという感じでした。
ときどき本部道場にお見えになっていた居合の羽賀準一先生が、自分の先生は中山博道先生と大先生のお二人だけと言い切っておられました。(中略)
このようにたいていの先生方を簡単に撫で斬りされるほどの方が、大先生のことを「いやあ、ふつうの人にはわからんよ、田村くん。わからんのが当り前だよ。僕もやってみるまでインチキだと思っていたのだから」とおっしゃっていました。私たちは、羽賀先生のお話で自分の先生の実力を再認識したようなわけです。
(プラニン)大先生と羽資先生は試合をなさったのですか。
(田村) 羽質先生はニ十四、五歳の頃、すでに剣道の日本選手確保持者で、その頃、皇宮警察の剣道師範をしておられた。よく合気会に走びに来られ、大先生ところでご馳走になってましたが、若い自分をこんなにもてなすのはインチキなんだろうと思っていたと言っておられました。韓国の警察に転動になり、出かける前に大先生のバケの皮をはいでやろうと思われて試合を申し込まれたのです。
大先生はすぐお受けになった。 二人で道場に出ると、大先生は羽質先生に、「そこにある木刀をどれでもよいから持って打って来なさい」とおっしゃり、ご自分は道場の中をグルグル回って歩かれた。羽質先生は打とうとするが、どうしても打てなくて「参りました」と言ったそうです。
「ああ、しまった! こんな先生だったのか。一年半も通ったのに、何も習っておかなかったと悔やんだが、あとの祭りだよ 」と笑っておられました。

このエピソードは、どうも『羽賀準一 剣道遺稿集』にも書かれているようです。


打ち込めなかった理由は分かりませんが、開祖が淡々と間合いを外し続けられたのか、あるいは特殊な能力なのか。

いずれにせよ「いやあ、ふつうの人にはわからんよ、田村くん。わからんのが当り前だよ。僕もやってみるまでインチキだと思っていたのだから」ですから、分からなくて当然です(笑)



少なくとも残っている様々な資料から言えるのは、開祖は、剣や杖の扱い方を詳しく教えていない。具体的に教えられたのは、示現流の稽古法だけかもしれません。


先にも紹介しているDVD『植芝盛平 合気道の王座』では、植芝吉祥丸先生に真剣を持たせてご自分が徒手で対峙する動画があります。また塩田剛三先生の著書では、白鉢巻きを締め、真剣で斬り合う稽古の様子が書かれています。



塩田剛三先生は著書『合気道人生』には、年に一度、二十日間修行とあります。メンバーは、開祖、剛三先生、大阪の道場を預かっていた白田林二郎氏、元関取の天竜氏の四名。


三日に一度ぐらい闇夜の時を狙って午前二時か三時、先生は起床され「これから闇の稽古や」といわれ、稽古着をつけ例の鞍馬山の牛若丸の修行場所に向かいます。鼻をつままれても分からぬ全くの闇夜です。

(中略)

<この荒修行で得たものは何か>それは一生懸命毎日を過ごしたこと。自然とともに二十日間あったこと。それ以外は私にはよく分かりませんでしたが、しかし得難い経験になったことは間違いありません。

真剣で斬り合うのは、さすがに技法を学ぶことが主目的ではないだろうな思えます。



だからどうも開祖は、剣や杖の扱いの細かなところにこだわりがなかったし、こだわるなとおっしゃりたかったのではないでしょうか。大切なのは、そこではないと。



剣の横木打ち、そして『植芝盛平 合気道の王座』では短槍で防具をくくりつけた立木をガスガス突かれています。これらの打ち込みは、まず、打つ突くことで跳ね返ってくる力に耐えうる筋骨を作ることが目的だったのではないかと思うのです。同時にそれをしていないと、いくら剣を振ったり、杖で突いたりだけしても意味ないよと。

素手の打突でもミット打ちなどをしてみれば簡単に分かりますが、威力が増せば増すほど、まず自分の肉体が衝撃に耐えられなくなります。




【イメージとして使う剣や杖】


もちろん今の道場で、横木打ちをするのは、まず不可能でしょう。個人的にも環境的に無理です。


それでも剣や杖をそれなりに使えるようになれば、メリットは数多くあります。

精晟会渋谷では、コロナ以前から剣杖を使っている方だと思います。その理由は、剣杖の動かし方をイメージできると、徒手での感覚的な向上が見込めるからです。


たとえば持たれたところを意識しないということ。


養神館の臂力の養成は、単独と相対と剣操法とがあります。相対では、腕を上げられないように受が両手で抑えます。基本動作では、動きや感覚を掴むためなので、それほど大きな負荷をかける必要はないと思います。

でも諸手持ちの上げ手からの技だと考えて、思いっきり空間に固定されるとなかなか動かせません。その前に崩しを入れますが、剣を持って行うと比較的容易に上げられるのです。


持たれることで少なからず緊張するし、そこを意識してしまう。すると、持たれたところを上げるようにしてしまう。受は斜め上から抑えているので、ベクトルがぶつかります。ぶつかれば力と力の対決。


精晟会渋谷で頻繁にしているのは、まず剣先を上げようとすること。上げたいのは腕ではなく、剣先を振り上げて、相手を斬りたいのだ。相手は斬られると困るので、振り上げられないように抑えているとイメージしてもらいます。


上げ方はもちろん、剣操法の臂力の養成のようにです。剣先を上げるなら、両者のベクトルはほぼぶつかりません。そして、持たれたところの意識していたのが、かなり薄れています。


次の段階では剣先ではなく、もっと先を上げようとする。釣りをしていて当たりが来たので、釣竿を振り上げるように。

これは剣で中段に構えたときに、相手の目を狙っています。杖でも徒手の構えの前手も同様ですが、狙っています。徒手なら二畳分離れたところですが、そこに相手がいれば相手の目を。単独でやる場合でも、仮想の相手を狙います。

その狙ったところを振り上げる。

すると剣先を上げるときよりも、さらにぶつかりが減少し、さらに持たれている意識も薄れます。



「ぶつからない」力の使い方、「接点ではなく離れたところを動かす」というイメージの使い方。

どれも、とても重要な合気道の核心的なファクターです。

これらを徒手の稽古だけで、掴むのはとても大変。でも剣や杖という道具があり、ちゃんと構え、狙うことが習慣になり、振り上げや振り下ろしが身についてくれば、それを変化させながらイメージすれば近づきます。


これは何々流の剣とか、何々杖というのとは、ちょっと違います。


養神館の臂力の養成は、単純にいえば剣の振り上げや振り下ろし動作だと私も説明しますが、純粋に剣なら、少し奇妙な大きな動きです。もちろん体術的な動作だと、私は考えています。



他にもいろいろメリットはありますが、もっとも重要で役立つのは、こういうことです。



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