BIトップ外ヘッダ.jpg
合気道ブログ.jpg

身体を鍛えるということについて

October 2, 2020

 

Twitterで繰り返し話題に上ってくる筋トレ。

「武術界隈の言ってることも、 筋トレ界隈の言ってることも、 整体界隈の言ってることも、 全部中途半端にしか分からん」とツイートしている人がいて、つい笑ってしまいました。

私もほとんど同感です。

 

 

誰も自分の肉体を使って検証してないから、中途半端な理解でいいんじゃなかと。武術というなら、せめて20年ぐらいは同じことを続けて検証してくれないと、汎用的には語れない。

だけど20年も同じことを、自分の肉体を使って検証することが、そもそもリスクです。団体として集合知になっていれば別ですが、問題があった場合も共有されるかというと、なかなか難しいかもしれません。

 

筋トレではなく、練体法的なことだって、2年なら劇的な効果をあげられるけれども、10年やったら身体を壊してしまったなんてことはいくらでもあるでしょう。

スポーツだって同じです。オリンピックに出たけれども、数年後に引退。心身ともに悲惨なことになっている、なんてケースは珍しくないはずです。

このカテゴリーの言っていることだから正しい、なんてことはありません。たとえば健康のためにやっているはずのヨガ。長年やっているインストラクターが健康かというと、腰や股関節を故障しているなんて話はざらにあるそうです。

 

 

 

前に『痛くならない膝行の方法』でも書きましたが、かつてとは日常が違いすぎるのです。たぶん21世紀になってからは大きく変わり続けていますが、さらにコロナ以降は生活環境がレベルの違う次元になったかもしれません。

 

まず、しょぼい話で申しわけないですが、コロナ禍で私がやっている鍛えること。それから塩田剛三先生を中心に、著名な先生方が身体を鍛えるということに関してどうおっしゃっていたかを書籍から引用します。

 

 

 

【コロナ禍が私がやっていること

 

4月、精晟会渋谷では稽古を中止しました。すぐにこれはヤバイぞ、なんとかしなきゃと思いました。なにがヤバいかって、自分の肉体です。

稽古どころか、出歩かないのですから、身体的な危機です。

 

コロナ以前に私がどう鍛えていたかというと、それはなにより歩くことと電車で立つことです。

通勤していれば、最低でも1時間は歩きます。電車でも1時間以上は立っています。

 

首都圏に住んでいる人なら、それほど驚くことでもないはずです。

駅まで歩く、乗り換えで歩く、駅から会社まで歩く、昼を食べに出る、あるいは何か買ってくる。階段も含め、かなりの距離を歩きます。

電車は満員ではない限り、荷物を棚に乗せ、吊り革などを使わずに狭いスタンスで立っています。私にとって、揺れる電車で立つことはいわば体幹のトレーニングですし、軸や重心移動、脱力の稽古でもあります。

 

満員であっても、押される力の流し方やバランスのトレーニングにもなりますが、それはちょっと別の話かもしれません。

 

いったい私は電車で立つを何十年やっていることか(笑) 通勤電車だけではなく、新幹線のデッキで4時間立ちっぱなしもありますし、成田エクスプレスでも立っていました。東急東横線の特急や銀座線は危険だということも知っています。

 

 

 

ともかく歩くこと、電車で立つことがなくなったら、私の身体的な鍛錬はゼロです。

これはものすごく危機。

 

 

どうしようかと考えて、以前からやっている坂道ダッシュの回数を、週2回程度に増やすことからだ考えました。HIIT(高強度インターバルトレーニング)、タバタ式の20秒ダッシュして、10秒ゆっくりというやり方です。

HIITの負荷は、最大心拍数が指標で最大心拍数が85~90%必要だとされていますが、この本を読んでから、そこまでいかなくてもいいんだと割り切りってやっています。

世界一効率がいい 最高の運動

 

 

 

 

マスクをしていませんし、夜遅くに人がいないのを見計らって走っていましたが、複数で歩いている人がいると、回避して別の道に進みます。そうすると全力では走れないコースだったり、平坦になったりします。

 

ところが4月も後半になると、やたらと夜に雨の降る日が多くなりました。

鍛えるのも必要ですが、稽古再開後は剣や杖だ。特に杖取りだと考えていましたから、晴れている夜は公園に行ってシミュレーションすることが優先です。杖をただ振る、振り回すというのではなく、仕手受の動きを想像しながら、成り立つかどうかを試してみるのです。

それもやはり、人のいない夜しかなかなかできません。

 

 

しょうがないので剣杖以外は家の中でやろうと考えて、YouTubeを見ながらやりはじめました。

毎日、こんな流れです。

◯下半身中心の4分間タバタ式 ◯筋トレを2種 ◯ヨガやストレッチ

これをだいたい時間を分けて、2セットやります。2回目は、だいたい夜中です。

 

私の考え方は、同じものを毎日やらない。気に入ったインストラクターがいても、同じ動画を毎日連続しては使わないということです。

 

 

YouTubeでタバタ式を検索すると、さまざまなものが出てきます。その中で選ぶのは、4分もの。格闘技系のものはやりません。なぜって、ジャンピングバービーとか言われても家には広いマットなどなく、そんなドタバタできるスペースもありません。

 

また腹筋でHIITとか、特定の部位を攻めるものも避け、スクワットなど下半身が中心だろうと予想できるものを選びます。タイトルとサムネイル画像からの予想で選ぶと、ぜんぜんゆるかったり、逆にキツ過ぎたりしますが、それで構いません。

ゆるければ、その後にやる筋トレをキツくし、キツければゆるい筋トレをチョイスすればいいのです。またスクワットは、一般的なスクワットがメニューでも、相撲スクワットに勝手に変えてしまいます。

 

詳しい人からは、偶然で動画をチョイスして、ゆる過ぎるタバタ式を行ったらHIITではないとか言われそうですが、確実に運動効率を最大限に上げようとは思っていません。あれこれ探す時間がもったいないし、同じ内容で毎日やりたくないのです。

筋トレ前に心拍数を上げておく、いわばウォーミングアップになれば、とりあえずはOKです。

 

 

筋トレは、基本は自重トレ。腹直筋に効かせるとかピンポイントのものはなるべく避け、ピラティスのインナーマッスルメインのものを優先しています。

プッシュアップもシステマ式の方がいいと思いながら、動画はないし、そんなことをやっていたら時間がいくらあっても足りないので、動画にあわせて様々な方法を。

背中に関しては、チューブトレーニングを行っています。

 

そしてヨガやストレッチ。

 

 

 

タバタ式4分、筋トレが10〜15分、ヨガやストレッチ20〜40分、この1セットがざっと1時間、実質40〜50分です。

 

これは特別鍛えてるつもりなんじゃなくて、出歩かないなら、コロナ禍以前の身体の状態を維持するために最低でもこれぐらいは必要だろう。座りっぱなしの危険性を和らげるには、これぐらいの調整は必要だろうと思ってやっています。

 

 

 

稽古を再開してからは、稽古がない日に時間の余裕があれば2セット、なければ1セットやっています。

個人的な意見としては日常の動きや稽古で鍛えられればいいのですが、コロナ禍ではその機会が著しく少なくなっている。座る時間が長く、関節の動きも限定的。それらをカバーするのは並大抵ではありません。

私がやっていることにしても、俊敏性などがまったく維持すらできないと思っています。

細かく説明しているとキリがないですが、人混みの中を急がず、急な動きをせず、ぶつからずにすり抜けていくのは、とてもいい稽古になります。

 

 

私の「鍛える」はこの程度です。

そして、さらに私の稚拙な見解を書くよりも、こちらです。

 

 

 

【達人・名人たちはどう考えていたか】

 

植芝盛平開祖ご自身がどう考えていらっしゃったか。

残っている言葉と、ご自身の行動が一致していたかどうかはなんとも不明です。

 

 

戦後の岩間でずっと開祖につかれていた斉藤守弘先生は、『植芝盛平と合気道』のインタビューでこうおっしゃっています。

食べなくてはならないから、お百姓をやる。それだって開祖は活力にあふれているから、弟子と同じ農具では気に入らない。成田鍛冶屋に特製の重いのを打たせ、稲束をかつぐ時は弟子の倍かつぐ。開墾も一緒にやりました。稲刈りも田植えもね。

 

(中略)

 

終戦後、望月稔氏が静岡に道場を作った時、大先生が道場開きに招かれて、私もお供で行ったんです。その時大先生の背中を流しにお風呂へ入ったら、大先生、僕の顔を見て、「斎藤、お前は薄っぺらだ」っていうんだ。

それから、鉄道に一メートル三十七キロの切ったレールがあったの。それを保線区へ行って借りてきて、バーベルがなかったから、そのレールでトレーニングしたわけです。

 

風呂で開祖がおっしゃった「お前は薄っぺらだ」の真意は分かりません。でも農業をやり、稽古も一緒にやられていた斉藤守弘先生の体を「薄っぺらだ」とおっしゃったのなら、それはさらに鍛えろという意味に思えます。

斉藤守弘先生もそう解釈されたので、鉄道のレールをバーベル代わりに鍛えられたということですね。

 

 

 

 

合気系で身体を鍛えていたといえば、大東流合気柔術・佐川義幸先生が有名です。

佐川先生は、こうおっしゃったと『透明な力』に書いてあります。

一部の他流の人が弱くて駄目なのは体を鍛えないからだ。技でやるから体を鍛える必要がないと考えるのは素人だ。

 

何も分かっていない。本当は体を鍛えないと技も出来るようにはならない。だいたいやられる方が自分から飛んでいくということをやっていたらいつまでも分からない。効かないという苦しみを乗り越えていくのが大事なのだ。

 

だいたい「受け身を沢山とるとうまくなる」という教えはおかしい。受け身はやられる方でやる方とは正反対の方向だ。何だってその方向に向かって努力を続けて初めてそれに近づいていくわけでしょう。倒され方がいくらうまくなったって倒せるようになるわけないでしょう。

 

(中略)

 

[ある武術書を先生に持っていくと]こんな格好で体が鍛えられるわけないでしょう。疑問を持たないのかね。だいたい止まった形でいくら鍛えても駄目なのだ。動きの中で鍛えていかなけれ ば意味がない。

 

辛辣な発言ですが、それほど不思議ではありません。筋肉はあるほどいい。しかしその筋肉をできるだけ使わずに動くのが肝心だとするのは、多くの武術で言われているスタンスだと思います。

 

 

 

 

それでは塩田剛三先生は、どうおっしゃっていたでしょうか。

私はやはり塩田剛三先生の考え方が、現実的で、もっともしっくりきます。それは養神館だからでしょうか? きっと他流の人でも納得されるのではと思うのですが、どうでしょう。

長々と、『合気道修行』から引用させていただきます。

植芝先生がどんな体をしていたかを振り返ってみましょう。先生の場合、全体的には太いのですが、 筋肉隆々という感じではありませんでした。肖像画なんかではゴツゴツした体のように描いてありますが には少し違います。 ゴツゴツしているのではなく、 全体的にスーツとなめらかなのです。

 

私はよく風呂で先生の背中を流したり、 あんまをさせられたりしていたので実際に触わっているんですが、とても弾力性があったことを覚えています。押してパッと離すと、 グーンと戻ってくるような感じでした。

そんな先生に手を握られると、やはりちょっと違った感じがあります。

最初はそんなにガッと力が入っている感じじゃない。しかし、 知らないうちにだんだんグーンと締まってくる。つまり、ソフトなんですが、それでいて底力があるような、そんな力の出し方をされていました。

 

開祖である先生がこういう体質だから、 合気道をやる人間が皆、同じような体を作るべきかというと、そうではありません。先生もよく言っていました。

体を作るというのは自分の心構えであって、自分に即した体を作る、それでいいんだと。

 

「だから塩田はん、ワシと同じ体を作ったとしたら、あんたは自然には動けん」

とも、おっしゃっていました。 つまり、植芝先生が言うには、合気道は自然であることを最高とする武道だから、自分が無理になるような体を作ってはならないということなのです。

 

ただし、この自然ということを皆さん勘違いしていることが多い。たとえば、齢を取って体が硬くなってきたからといって、無理矢理に若いころと同じような柔軟体操をやったんじゃ、筋をおかしくしてしまう。

 

あるいは、体が小さいからというので無理矢理にウエイトトレーニングで 必要以上の筋肉をつけるとしたら、体にリキみがついてしまいます。こういったことは不自然なことなのです。無理が生じてしまえば、たとえ力が強くなっても合気道の奥義に達することはできません。

 

つまり、植芝盛平先生は、その人なりの自然に動ける体を作れとおっしゃったわけですね。

さらに引用します。

 

合気道では無駄な力を使わずに稽古を行うことが原則となっています。他の格闘技のように筋力そのものを鍛える稽古というのは、特には行わないわけです。

 

まったく筋力の鍛錬を行わない方がいいのか、それともある程度は 力強い体を作った方がいいのか、ということをよく質問されます。これについては、やり方ひとつだと答えておきましょう。

 

植芝先生は、バーベルを挙げたり、ベルトを引っ張ったりするような運動を見て「あんなのは本当につまらない運動だ」とおっしゃってました。

そして私たちにも「ああいうことをやるな」といつも言ってたのですが、実は私は一人になると、いろんな運動で体を鍛えていたものでした。なにしろ若さに満ちあふれていたころですから、エネルギーがあり余っています。それに強くなりたい一心でしたから、やれるだけの鍛錬をやって体をいじめ抜かないことには、気がすまなかったのです。

 

(中略)

 

しかし、修行時代というのはそれでいいのです。若い人に力を入れるなと言ったって、自然に入ってしまいます。それが若さというものです。そこを抑えこんだら、稽古になりません。

 

(中略)

 

いい例は、うちでやっている機動隊の訓練です。彼等には力を使うなとは言いません。精一杯やらせて、足腰が立たなくなるまでしごき抜きます。

以前、道場が小金井にあったころは、毎年四月になると、駅員さんが駅の階段の手すりを見て、ああ、今年も養神館の機動隊稽古が始まったのか、と知ったそうです。

というのは、道場でしごき抜かれるものですから、連中は手すりにつかまらないことには階段の昇り降りができません。それで手すりが磨かれて、ピカピカになるのだそうです。

 

本当は、それくらいしごき抜かないことには、武術としての合気道は身につきません。しかし、そんなことを皆にやっていたのではだれもついて来れなくなるので、現在の道場では型を決めて優しく指導しているわけです。

若いうちは、とにかく肉体を徹底的にいじめてみることです。そうした中から、自分というものがわかってきますし、精神的な強さがが身についてくるわけです。

 

そして、歳を取っていくうちに、次第に力が抜けていきます。 そうなったとき初めて、筋力に頼らない呼吸力というものの効果を実感することができるのです。

いかがでしょう。この文章には、あらゆることが含まれている。率直で適切な考え方だと、私は思います。

 

 

 

Please reload

Popular Posts
Please reload

最新記事
Please reload

アーカイブ
Please reload

  • 精晟会渋谷のTwitter
  • 精晟会渋谷のFacebookページ
  • 精晟会渋谷のInstagram
  • 精晟会渋谷のYouTubeチャンネルへ

© 養神館合気道 精晟会渋谷 Aikido Yoshinkan Seiseikai SHIBUYA , All rights reserved.