
稽古が終わり、駅に向かって歩いているときのことです。不意に「先生は満員電車で押される力を外せるんですか?」と聞かれました。
えっ!? そんなことできるわけないじゃん。満員電車だと足の位置動かせないでしょ。どころか、片足で爪先立ちで斜めになってたりするし。自分の姿勢を、ぜんぜんコントロールできないから無理よ。と答えました。
どうして、そんな妙な質問をされたかというと、稽古の中で、満員電車の比喩を使ったからです。しかしそんな質問をされるということは、あんまり伝わってないなとおかしくなってきました。
う〜ん、伝え方は難しい。
じゃあブログで、意図と方法を、直感的に分かるように書いてみようと思い立ちました。満員電車の感覚が、ここで役立ちます。
満員電車に乗ったことない方には、ここでごめんなさい。
でも満員電車の経験が一度もないなら、幸せなことです。
ガッツリぶつかった状態から
発端は、両手持ちの稽古をしていて「ぶつからない」ように動くと説明していたら、「ぶつかる」が分からないと言われたことです。これはどう伝えればいいんだと。
考えてみれば、私も合気道を始めたばかりのころ「ぶつかりをなくす」とか「ぶつからないように動く」とか説明されて、なんのこと???という感じでした。
もうちょっと突っ込んだ説明はないの、と思っていましたが、ありませんでした。
私は何とか伝えようと「ぶつかる」が理解できないなら、ガッツリぶつかった状態から過程を見せれば分かりやすいかもと、押し合いをしてみました。
その一部が、こちらです。
何これ、相撲かよ、って感じかもしれません(笑)
でも、ガッツリぶつかっている状態というのは、こういうことです。
手首を持たれてぶつかっているのは、狭い面積。だけどこういう押し合いは広い面積がぶつかっているだけで、構造的には同じことです。
当然、広い面積でぶつかっている方が、対処の難易度は高いです。
でも、広い面積がぶつかっている方が、見た目で分かりやすいはずだと考えてやってみました。
というか片手持ちや両手持ちで「ぶつからない」力の使い方ができても、こういう動画のような押し合って、「ぶつからない」力で押し勝てなければ、大して使えていないということです。
順を追って、説明していきます。
ぶつかっている感覚は力の衝突
相手が押してきます。
こちらが何もしなければ、押し崩されるか、跳ね飛ばされてしまいます。
だから押されてしまわないよう、こちらも押し返す。すると接点・接触面でぶつかる感覚が生まれます。するとどうなるか。力と力の衝突ですから、重い方が勝ってしまいます。
もちろん、最初からぶつからないで躱すとか、透かす、流すなどの技法も合気道にはあります。転換の動きを使う技は、ほとんどがそうです。
でもいったん、転換技法は忘れてください。最初からぶつかっていなければ、ぶつからなくする必要はありません。最初から「ぶつからない」ことしか稽古していなければ、「ぶつかってから、ぶつからなくする」力は永久に得られないと思います。
流派や武道によって考え方は様々ですが、徒手でも武器でも、届かない打ちや突きでしか稽古しないなら、それは殺陣の振り付けみたいなもの。最初から「ぶつからない」のは、それと同じです。
じゃあ接触したのに、力と力の衝突にしない方法は、自分が力を発揮しないこと?

いや違うんです。力を出さないんじゃなくて、相手に衝突感を感じさせないことなんです。
力を出しているのに、衝突感を感じさせないとは、つまり相手に錯覚させているということです。
錯覚させるためには、まずは中心力です。
中心力は何より姿勢の力
ぶつかったところから力を抜いてしまうと、当たり前ですが、フニャっと潰れてしまいます。
だから姿勢を維持しておくことが必要です。
他の技法もありますが、養神館では中心力を維持するため、常に中心を失わないということが言われます。養神館の用語としての中心力とは、こういうことです。
塩田剛三先生の著書『合気道修行』から引用します。
養神館では構えの稽古を重視していますが、これがじつは、中心力の訓練になっているのです。
構えでは、両手・両足、腰、頭を、一線上に結びつけます。そして、頭から真下へ一本の垂直な軸を作って、そこに重心を置くのです。
塩田剛三先生は構えで垂直な軸とお書きになっていますが、これは重心線です。構えたときの重心線は、正面から見ると、正中線と一致します。
半身に構えたところから、技を行って、残心したときの姿勢は、真半身になっています。このときに重要なのは、後ろ足から腰、背中、後頭部までが真っ直ぐになった線。このラインが、正面から来る力につっかい棒として機能します。
言い方を変えれば、前方から来る力を地面へ逃すアースになっています。

ややこしい言い方になりますが、後ろ足からのラインを張り、姿勢を維持するだけの力以外を抜くのです。脱力という言葉は頻繁に使われますが、全身を脱力すれば、潰れてしまいます。
だから姿勢を維持する以外の力を、できるだけ抜くのです。
そして後述しますが、この姿勢を維持して小指から踵のラインを上げるようにすれば、小さな重心移動で、前方へ進む力も発生させられます。
動かしたいのは接点じゃない
持たれたところを意識して、そこをなんとかしようとすると、相手が対抗してきます。片手持ちや両手持ちなら、接点は相手の手の内。手の平と指ですから、敏感だし、複雑に動かせます。
そんな敏感なところと手首を接点に対抗したら、持たれた側は、かなり不利です。パワー勝負になってしまいます。
だからイメージを使います。
イメージは何でもいいと思いますが、剣杖を使っているなら、自分が握っているところ、あるいは握られているところではなく、剣先杖先を動かすつもりで行えば、かなりぶつかりは消えると思います。
このあたり、詳しく知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。


イメージ過ぎて分かりにくいかもしれませんが、相手の腕は力んで丸太になっている。丸太で押してきている。でもこちらは、細っそい力の流れで相手の丸太を通り抜け、仮想の刀の先端を動かしているイメージです。剣杖を使っているならと書いたのは、ベースのない想像ではなく、普段使っている道具や動作なら、イメージの精度が上がるはずです。
接点を意識している密度を薄めることができ、そして普段から剣杖を指や手首を柔らかく使っているなら、このときの自分の腕も柔らかくなっているはずです。
これらは手首を持たれた場合の説明ですが、先の動画のように手を使わない押し合いの場合でも、接点ではなく、その向こう側。例えば相手の後ろに、ぴったりくっついて、もう一人いると想像します。
実際に触れている相手は存在せず、その後ろにくっついたもうひとりを動かすイメージで行います。
ただ全身でのぶつかり合いになると、接触面が広いので「ぶつかっている意識」を薄める・消すのは、かなりやっかいです。
満員電車のアレとアレの感じ
あなたは満員電車に乗っているとき、どんなことに気をつけていますか?
私は荷物を網棚に乗せられれば乗せて、できるだけフリーハンドになります。そして周囲の人との接触面を柔らかくするように努めます。
なぜって、ゴツゴツして周囲の人を攻撃しないためです。肩肘張って、動かされないぞと身体を固めていると、攻撃する意図がなくても周りの人が痛いからです。ましてや隣りの人のせいではないのに、押されてきたからといって肘で押し返していたら軋轢を生みます。
だからできるだけ、身体を柔らかくして、特に接触面は柔らかくします。
これがまんま、接触面の「ぶつかっている意識」を薄める・消すということです。

接点を意識せず、ぶつかる感じをかなり消すことができた。
というのは、相手が力を加える対象の手がかりを減少させたということだと思います。技の中で相手は押したいのに、押したい対象が、あれ?という感じになったということだと思います。
そうなれば、相手は力を出しにくくなります。
拮抗したところからだと、それだけで崩れ始めます。
これは養神館で言うところの指向性を持った集中力でも中心力でもなく、全方位での呼吸力。あえて言うなら、抜きの呼吸力。
でもそれだけだと、相手を投げたり倒したりすることができません。相手があれ?となると、意識は接点に集中します。そこに遠くからの力がやってくると、なかなか対処できません。
この力の発生源は、足裏でも腰でもいいのです。どちらも重心移動の力だと思いますが、筋力をほとんど使っていません。
こういう力は、対処するのがとても難しい。
遠くからやってくる力は、上の動画の中でも言っていますが、満員電車に乗っていて駅が近づく。ブレーキがかけられた。すると大勢の人が、少なからずドドドッと移動します。
すると自分のとなりの人は、押すつもりがなく、むしろ動かないよう耐えようとしているのに、運動エネルギーを自分の身体を媒介に私に伝えてしまう。もちろん大勢の体重が移動する力が伝わってくるのですが、人数はとりあえず無視しても、意図のない力にはなかなか対処できません。

もし隣の人が肘をこちらに張ったり、硬いカバンを持っていると、ぶつかっている感じになります。こういうケースでは、諍いが起こらないまでも、なんだよこいつという空気になります。
でもそんな尖った部分を作らず、角をなくして隣の人に痛い想いをさせないようにしようとしていると、把握できない波をそのまま媒介していると思います。
こんな運動エネルギーの伝わり方を、自分ひとりで作ってしまう。
例えば足裏からなら、拇指球・小指球・踵の三点で立っているところから、インエッジ(拇指球-踵のライン)へと重心移動する。養神館の技法の中にはよく出てきますが、はっきり見えるのは残心のときです。これによって、全身の重心移動を作り出します。

こうすると手や肩などの接点は、ただの通過点になります。ちょっとした方向づけぐらいに使います。
感覚的には、満員電車に乗ったときに味わってみてください。いろいろ学べるはずです。
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