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合気道には当身が不可欠な理由

May 24, 2019

 

 

「養神館の[正面突き]や[顔面突き]は、どちらも横拳ですが、これを技の途中に入れる当身と同じに考えてしまうと混乱してしまうと思うのです」と、ひとつ前に『養神館の正面突きは、空手の中段追い突き?』を書いています。できれば、その記事から読んでください。

 

ここでは仕手の入れる当身について、書いています。

 

 

当身って何?


再度、塩田剛三先生の『合気道修行』から引用します。

 

当身は「拳や蹴りなどにこだわりません。(集中力によって)体中いたるところが当身の武器になる」「拳の使い方はいろいろです。正拳も使いますし、私の場合、人差し指や中指の第二関節もよく使います。堅い物にぶつけるのならともかく、人間が相手ですから力が集中しやすい一本拳で、体の弱い部分を狙った方が効果的だからです」ですから、この部位をこう使うと限定されていません。

 

 

繰り返しになりますが、私が知る限り、柔術でも当身について詳しく書いてある本は、ほぼありません。せいぜい用いる部位ぐらいです。

植芝盛平先生が「実戦では当身が七分」とおっしゃっていたのにもかかわらず、合気道の稽古では皆無に等しく、当身を含めて合気道を稽古している流派団体はとても少ないはずです。

 

養神館は当身を重視しています。当身については『合気道修行』がもっとも詳しいのです。
いくら重視しているといっても殴り合いではありません。

 

塩田剛三先生は「こういった瞬間の攻撃の場合、もはや当身とも投げとも区別できないようになることがあります。しかし、そんなことはどうでもいいのであって、とにかく相手が崩れればそれでいいわけです」とおっしゃっています。

 

 

 

「実戦では当身が七分、投げ三分」の中身

 

「実戦では当身が七分投げ三分」 植芝盛平開祖のこの有名なフレーズは、あちこちで引用されています。引用する人によって差があるものの、塩田剛三先生のように「もはや当身とも投げとも区別できない」とおっしゃっている方は少ないかもしれません。

 

説明するのが難しいですが、そもそも植芝盛平開祖が教えられていたのは型(カタ)でも形(カタチ)でもないでしょう。

ほとんどの技は名称すらなく、昨日やったことと今日やったやり方が違うのが当たり前。それを合気会では二代目道主が中心となって体系づけられた。養神館では塩田剛三先生が中心となって体系づけられた。

 

その際に、合気会では危険な技法、特に当身はどんどん排除されていった。

養神館では、ほぼそのまま残したということではないかと思います。
他にも当身を重視しているということでは、日本合気道協会(富木流)や岩間神信合氣修練会も同様だと思います。

 


現在の養神館でも、体透かしや入身突きは多用されます。
養神館での体透かしは、ただ亀になるのではなく、胴体による当身。あるいは足による払いです。
入身突きは、正面入身投げや天地投げ(一)と同種のものだと私は思います。入身突き自体、多様な使い方をしますが、定義しろと言われた「入身しながらの突きだ」と答えるしかありませんが(笑) 他にも小手返しや隅落としなどの際に入れる当身なども、入身突きのバリエーションだと思います。
タイミング、間合いや入る角度、腕の使い方、重心移動の仕方、用いる部位など、ほぼ共通しています。どれぐらい共通しているかというと、いわゆるフックとロシアンフックの差より、ぜんぜん近いはずです。

 

なんのことを言ってるんだコイツはと思われるかもしれません(笑) 

分からなかったら読むのをやめるか、次の見出し「敵より遠く我より近く」に行ってください。

 


養神館の場合は、基本技で固くやっている理合いが、自由技で流れになり、多人数取りで一挙動の「もはや当身とも投げとも区別できない」ものになるのが理想だと思います。


体透かしや入身突き以外に、演武を見ている限り「当身とも投げとも区別できない」ことをされているのは、ごく少数の師範だけです。塩田剛三先生からバンバン当てられていた先生方だけです。

「当身とも投げとも区別できない」ことを受けるには、それなりの若さを含めた身体能力が必要ですし、仕手として使うには安全に受けられるよう制御できる自信がないと出せません。

 

 

だから高度で難しいのは当然ですが、当身を追求し続けなければ、一瞬の崩し・投げの技がどんどん遠ざかるだけです。白帯のうちは技の名称に沿った動きだけでいいと思いますが、多人数取りをやるようになれば、それだけだと合気道の理想からは遠過ぎるでしょう。


個人的には、まず実戦どうのより、合気道の理合いを追求するため当身を使えることが必要不可欠だと思います。私は「もはや当身とも投げとも区別できないようになる」が、植芝盛平開祖の追求された合気道の姿だし、武産合気に最も近いはずだと考えています。


これも塩田剛三先生の『合気道修行』から引用すると、「手の攻撃をよけてから反撃するのではなく、逆にその攻撃の中に入っていくことによって可能となる技です。といっても、ただやみくもに体を相手にぶつければいいのではなく、そこに体全体から発する力を 集中させなければなりません。この集中力については後ほどくわしく説明しますが、体中のどこにでも自在にこの力を発揮させることによって、合気道本来の完全に自由な闘い方が可能になるわけです」

 

合気道本来の完全に自由な闘い方、これが当身を追求すべきと考える最大の理由です。

 

 

 

「敵より遠く我より近く」と当身の関係

 

あらゆる剣を使う武道で、「敵より遠く我より近く」というフレーズが使われます。これを心理的要素を含んだ間合いだと説明されることがあります。私は直接「一足一刀の間」が「敵より遠く我より近く」だと、道場で説明されたことがあります。そのときは、へ!?と思いました。


ほぼ前後の移動しかない競技だと、間合いのコントロール・駆け引きが重要だと思いますが、それが「敵より遠く我より近く」なのか? と疑問でした。

 

私は「敵より遠く我より近く」は、間合い=距離も含んだ位置関係だと思っています。合気道の場合は、間違いなく位置関係、ポジショニングではないでしょうか。別の言い方をするなら、こちらは相手の中心を取っているけれども、相手はあらぬ方向を向いている状態。

 

相手の攻撃は届かないけれども、自分からはいくらでも攻撃できる有利な位置に居続けるポジショニング。崩すためだけではなく、有利なポジションに位置取りするために入身転換します。ところがそういう有利な位置をキープし続けることはできません。

 

自分が攻撃したときはもちろん、相手の強い攻撃を確実に受けようとしたり、崩そうとすると自分の正面をさらすことがあります。そういうときに、どうすればいいでしょうか。

 

 

 

上の画像は、塩田剛三先生の海外向け『Dynamic Aikido』に掲載されている基本技の肩持ち一ヶ条抑え(二)の冒頭です。受に左手で肩を掴まれ押されたところを、少し右に出て、押してくる力の線を外します。その動きと同時に塩田剛三先生は、受の顔面に当身を出されています。

 

ここで当身を出すのは、どういう理由でしょうか?

 

 

何より相手が肩を掴んで押してくるのは、殴るなりなんなり、次の攻撃をしようとしているからですよね。あるいはそのまま押して壁に押し付けようとか。肩でも胸でも手でも一緒ですが、とにかく掴んで押すのでも引くのでも、それしかしないということはありません。


右に出て、押してくる力の線を外すのは、力をもろに受けないためですが、右に出ることで、自分の正面を相手に晒します。これは顔面を突いてくれと言っているようなものです。横に出るのと同時に当身を入れれば、その攻撃線を先に封じることができます。

 

顔面を突いてこなかったとしても、力の線を外せば、相手はつんのめったように近づいてくるかもしれません。ぶつかってくるかもしれません。
横に出なくても、状況は同じことです。

 

あらゆる技がそうですが、「敵が近く我が遠く」になってしまう瞬間や、死角を作ってしまう動作があるのです。流れでスピードで圧倒すれば大丈夫だという考え方もあるようですが、自分より3倍速く動ける人はほぼいなくても、1.5倍ぐらいなら、いくらでもいるはずです。早さは相対的ですが、それでも絶対差はあります。

 


それらを先に潰す、封じる、距離を取るためにも当身は必要なのです。

合気道は型武道。仮に蹴りや頭突きを考慮しなかったとしても、最低限として手による相手の攻撃を受ける位置かどうかを重視しなければ、もはや武道ではない何か、かもしれません。


 

 

ひとつの技で、当身は三度入るのか?

 

植芝盛平開祖はおっしゃったこととして、ひとつの技の中で当身を三度入れろなのか、三度入るなのかがハッキリしませんが、あちこちで読んだ記憶があります。

三度も入るなら、投げるまでもないんじゃないと思いますが(笑)


書籍で探してみましたが、見つけることは出来ませんでした。本当に開祖がそうおっしゃたかどうかは分かりませんが、技の中では相手が急所、骨格的に弱い場所を無防備に晒す瞬間は、何度もあるのです。受より回数は少なくても、仕手も同様です。

 

しかし、当身を重視しているはずの養神館の型でも、ひとつの技の中では1度が普通です。
先ほど「相手の攻撃を受ける位置かどうかを重視しなければ、もはや武道ではない何か」と書きましたが、実際に言うほど簡単ではありません。それは後ろへも背中や尻による当身、ほかにも接近したところからの指、掌底、肩、膝、肘などによる多種多様な当身があるからです。

 

相手の攻撃を受ける位置かどうかは、多くの場合は、分かりやすい理屈と感覚的にも理解できます。これがほとんど密着してとなると、感性だけではなく、多種多様な当身を知ってなければどうにもなりません。

たとえば精晟会だと三ヶ条で潜りと呼ばれる技は、受の手を持ち、その腕の下をくぐったとき、肘で脇腹後ろに当身を入れます。仕手として受けとしての役割りじゃなくて、こういう当身があって入れられるという知識がないと、隙だらけになってしまいます。

 

 

戦国時代に体系づけられたという古からの柔術の流れには、多様な当身が伝承されていたはずです。明治時代、柔道になって競技化のために当身がほぼ排除され、大正昭和に合気道になって、ほぼ当身が消えようとしています。


合気道に限らず、本来柔術は、相手を殺傷せずに捕らえようとするものですが、多様な当身をなくして、そんなことが可能でしょうか。

 



植芝盛平開祖の当身対抗技は

 

かなりマニアックな内容になりますが、早稲田大学スポーツ科学センターの先生が書かれた「植芝盛平の当身対抗技の技術史的研究」という論文があります。


その論文には、綾部の大本教にいた開祖を東京に呼び寄せ、経済的庇護とともに、門人となった海軍大将竹下勇の技術備忘録を元にした「当身対抗技の分類」があります。

 

「組んで対する,離れて対するといった二種類の格闘形態でみると,離れて対する格闘形態が426手で全体の62.9%と半数を超えている。ここからは,当身の攻撃は,一定の距離を取ることによって成立しやすくなることが確認できるが,その一方で組んだ状態からの当身が 37.1%(251手)想定されていることは注意すべきである」とあります。


「植芝盛平の当身対抗技の技術史的研究:嘉納治五郎が追求した武術としての柔道との関係を中心に」工藤龍太

 

 


組んだ状態からの当身対抗技には、なんと半座半立で「受が両手で取の両手首を取り、右足で蹴る場合」というものまであります。立ち技で「受が背後から取の後襟を右手で取り、左手で打ち込んでくる場合」というものもあります。

 

通常武道の技術体系は、一方で攻撃方法があり、その反対に対処方法がセットになっています。攻撃方法をなくせば、対処方法もなくなるのです。


確かに正座状態から両手を持たれて、蹴られるのをどう捌くかを稽古するのはとても難しい。それでも積極的に失伝させる・なかったことにしてしまうのは残念過ぎませんか。愛の武道だから、攻撃はないと徹底したら、武技としては何にもありません。

 

竹下海軍大将の備忘録からも、植芝盛平開祖が、単に手を取るだけだけではなく、その次の攻撃も想定して技を考えられていたのは間違いないでしょう。

 

 


護身には当身が必要不可欠

 

精晟会渋谷では、護身のためにも当身の稽古を重視しています。もちろん理由があります。


ひとつ前の『武道のススメ! 合気道のススメ!』にも書いたことを自分で引用します。

 

私が思う武道武術は、肉体的弱者のためのもの。すでに肉体的に強いのなら、技術なんて必要ありません。圧倒的なフィジカル差があると現実問題としては、どうにもならないのが当然ですが、何かしらの回答があるのが、武道武術だと思うのです。


どれだけフィジィカルを追求しても、上には上のフィジィカル強者がいるものです。それをどうにかしたいなら、海外のVIPやセレブのように武装したボディーガードたちに護ってもらうしかありません。どんな武道や格闘技だって、ルールじゃなくても条件設定があり、万能ではありません。
肉体的強者ではない。やっつけられないかもしれないけれども、それでも今よりはマシな自分でありたいと考えるなら、マシになる方法を見つけるしかありません。


極端な話、関取やプロレスラーのようなデカくて動ける身体になれば、まず襲われないでしょう。そんな肉体を持つ人を襲うのは、複数か武器を持っている場合です。でも、小柄な人や女性はどうなるでしょう。

なんども書いていますが、大きな体重差はとてもやっかいです。ましてや合気道は、速習性に乏しいのです。それがなんとかなるのは、当身だけかもしれません。

 

精晟会渋谷を立ち上げてから、最初のうち、なぜか若い女性が多く、またそのほとんどが「男の人をやっつけたい」「合気道でやっつけられるようになるかどうか」ということに興味を持っていたのです。
若い女性たちは、どうして「男をやっつけたい」と思っているのか


 

ここに書いている通りなのですが、やっつけることは出来なくても止めることができるかもしれない。気合いは「エイッ!」だけど、心の中で「来るな!」と叫んで掌底を突き出せと言って稽古しています。それが出来れば、もっとエグイ当身もできる。

 

本当に身の危険があるときにでも、形勢逆転できるのは当身のバリエーションだと思っています。

乃木坂46の堀未央奈さんに伝授した当身もあります。誌面に出さないでくれとお願いしたのは、表面的なやり方だけを知るのはとても危険なのです。普段から、それに近いことを稽古しておかないと。

乃木坂・堀未央奈さんは「ホントに倒せますか?」と言った
 

 

護身といっても、ちょっとしたトラブルから生命の危険があるものまで様々ですが、もし万が一のとき助かる可能性が出てくるのは、当身だけ。

まさか大男に首を絞められた状態で、稽古のように小手返しや四方投げが決まると考えてます?

万が一にも万が一のときは、むちゃくちゃに暴れるしかないのです。様々な当身の方法を知っていて稽古していれば、使えるかもしれません。

 

圧倒的なフィジカル差があると現実問題としては、どうにもならないのが当然ですが、何かしらの回答があるのが、武道武術だと思うのです。

それが合気道からの、唯一の回答だと思います。

 

 

 

※ブログに関連して、精晟会渋谷ではどんな当身の稽古をしているのかを、動画にまとめました。

 

 

 

 

 

 

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