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養神館と他の合気道とのいちばんの違いは?


DynamicAikido

画像は塩田剛三先生の海外向け書籍『Dynamic Aikido』から

稽古のために武道場の更衣室に向っていたときのこと、反対側から来た人が「おっ瀬川さん!」と声をかけてきました。誰だと思って視線を向けると、以前やっていた合気道の流派の先輩です。10数年ぶりの再会。

あちらは稽古が終わって着替えるところ、こちらは稽古着に着替えるところ。更衣室でお互いに着替えながら、数分間話しました。

あちらは引っ越して以前の道場に通えなくなり、合気会の道場に入門されたということでした。そして「もう別の武道をやっている感じですよ」とおっしゃいます。

以前の流派と合気会だと違いはあるだろうけれど、別武道というほどの違いはない、はず。私が養神館に入ったことはご存知だった。

「養神館の方がまったく違うと思いますよ。なんたって正面打ちの入り身技は、仕手・捕りから打っていきますから」と話した。正面打ち一ヶ条(一教)、二ヶ条、三ヶ条、四ヶ条も、養神館では正面打ち(一)の技は、仕手から打っていく。基本技の型の前提が違うのだ。

「実際、植芝盛平先生はそうされていたらしいです。吉祥丸先生が変えられたそうですよ」と話した。この手の話、養神館の中でも他流の合気道をしていない人にはチンプンカンプンなので、まずすることはありません。

そんな会話の途中に、合気会の師範の方が入ってこられました。

そして「捕りから先に打っていく? いや聞いたことがないなあ」とおっしゃいました。

仕手・捕りから打つのか、受けから打つのか

稽古の始まる時間だったので、ご挨拶程度の会話で失礼しました。

実は私、何人もの合気会の師範の方々と面識があります。他の武道での接点もありますし、稽古会に出たことも何度もあります。少人数の飲みの席でお話しさせていただいたこともあります。しかし仕手から先に打っていくとかいうセンシティブなことを話題にしたことはありません。

理合いの根本的なところに関わるかもしれないテーマです。

それに合気会の稽古で正面打ち一教表は、座り技での経験しかありません。やりながら私は「なんだよ、捕りから打ってるし(笑)」と思っていました。

下の戦前らしき動画を見ても、植芝盛平開祖の前で座り技正面打ち一教表をやられている弟子の方々。受けは手を挙げているだけで、打ってはいません。斉藤先生は間違いなく先に打ち込み、中心を抑えられています。後の先だ、誘いということかもしれませんが、外から見ているだけではなんとも。通常、合気道以外の武道や格闘技での誘いは、隙を作ることですから。

以前の流派では、二段の審査技に剣の正面打ちからの入り身投げがありました。受けが木剣で斬って行きます。それを捕りが前に出ながら逸らして入り身投げするのですが、捕りが先に前に入るというよりも、受けが振り上げたところに入らないと成立しません。

構造的には機先を制して、中心を先に取っていないと成り立ちません。

だとすれば、なぜ徒手でも同じようにやらない。私は稽古しながら、疑問でした。後の先でもいいけれども、それなら後の先ができる目付とか体の使い方の稽古をしないと意味がないんじゃないか。通常の型稽古で、そんなものは身につかないよと。

これが流派を変える大きな理由のひとつだったので、今でもかなりこだわりがあります。特に対武器だと、機先を制する方法を模索しています。入り身とは先に入って、まず止めることだと思っています。

以前にも引用しましたが、『続 植芝盛平と合気道』という本の中に、塩田剛三先生のインタビューがあります。養神館の指導方法はどうやって開発されたかという問いに、「植芝先生の場合、今日やるのと明日やるのがぜんぜん違う。基本などというものはないんです」「しかし、いま初めて来た連中にそのように教えていたのでは誰も覚えない」とあります。

基本がないという前提で上の動画を見直すと、もしかすると植芝盛平先生が座りで一教抑えの表と裏を披露されて、説明もほとんどなく、はい、やりなさいという稽古方法だった場合、どちらから打って行くという決まりはなかったのではないか。捕りも受けも同時ぐらいに手を挙げているが、攻め込んでいるのは捕りだから表の抑えができる。

そんな解釈も成り立つのではないでしょうか。

養神館では、なんのために仕手から打っていくのか

養神館の合気道と他流の合気道との外形的ないちばんの違いは、正面打ち(一)の技を仕手から打って行くところ。

では養神館ではどうして正面打ち(一)の技を、仕手から打って行くのか。まったくの私論ですが、もしかすると壮年期の植芝盛平開祖が塩田剛三先生に、そう教えられたのかもしれません。あるいは塩田剛三先生が、先を取ること、機先を制することを型化されたのかもしれません。

どんな武道でも相対で行う型は、同じような体格、同じような運動能力のふたりを想定しているのだと思います。杖道の型でも、実際には1.2倍とかのリーチ差があったり、体の使い方で倍ぐらいの早さの差を出すことは可能だと思いますが、あまりにそこを考慮しているとふたりで行う型になりません。

養神館の横面打ち一ヶ条抑え(一)では、もちろん受けが横面を打っていきます。他の合気道と違うのは、仕手も受けも構えているのです。どう考えても仕手はなんとなく構えているのではなく、隙があるなら中心を突いて行こうぐらいの意識を持っている。わざわざ構えているのは、中心力を養うためだけじゃない。つまり先を取ろうとしているのだと、私は考えています。

これももしかしたら、私だけの考えかもしれません。

実際どんな格技の攻防でも、無構えで対処できるのは、圧倒的な技量の差がある場合だけです。養神館のさまざまな基本は、「あなたたちは達人じゃないんだから」と言っているように私には思えます。互いに無構えから、受けが動き出して、その後から仕手が先に入れるなら、前提としてかなりのリーチ差か技量差があるということです。

精晟会渋谷の稽古でも他の道場でも、正面打ち(一)の技を見ていて、腕と腕がぶつかった位置が中間より仕手側だったり仕手の体勢が崩れている場合、私はやり直してもらいます。そのあとの操作による崩しがどうであれ、打ち勝っているのが仕手だから、正面打ち(一)の技が力や体格差ではなく成立する。それがベースにある理合いだと考えています。

私の考える打ち勝っているとは、下の動画で、千野前道場長が最初の40秒ぐらいまでで説明されているような状態です。

当たり前ですが、正面打ちで打つターゲットは面。受けの頭の位置まで、重心移動の力で打ち込む。それを防ごうとするから、崩れる。防がなければ、頭を打たれている。

仕手が先に打っても打ち勝てなければ(一)ではなく、(二)の技、つまり転換して崩すと私は説明します。体勢として負けている、押し込まれているから、転換して逆転させるのです。

先に学ぶべきは、打ち勝つこと。というのが養神館の思想ではないでしょうか。

身長差があって、相手が剣を持っていたらどうなるか

後日、正面打ち一ヶ条抑え(一)も稽古していたときのこと、ある女性から「身長差があって、(最初に)打ち勝てないんですが」と言われました。

相手は長身の男性でした。そうだ、そこのところを説明してなかった。この身長差だと、打ち勝つことは、まず無理。違った構造、工夫が必要です。

前述のところを違う言い方をすると、型の手順としては、仕手から打って行く。先に打つのは、受けに防御させるのと同時に、体勢を崩すため。しかしそこで体勢を崩せなきゃ、先に打っても後から打っても意味がない。

ところが相手の身長が頭ひとつ分ほど高くて、最初の打込みで崩せない。その状態で、もし相手が剣を持っていたとしたら、頭をサクサク斬られてしまう。じゃあサクサク斬られないためには、どうすればいいか。

答えは明白で、肘を下げさせなければいい。肘を上げさせれば、振り下ろせない。そのまま腕を伸ばせば受けの脇の下も伸びて、体勢ごと崩せる。

下のツイートの動画の16秒ぐらいからが、その説明です。

私はこの受け方を、精晟会横浜合気道会の松尾正純師範から教えられたのです。これなら身長差も、どちらが先に打って行くかもあまり関係ない。本質的な理合いだと、思います。

ただ基本の型としては、まず養神館の正面打ち一ヶ条抑え(一)のままでいい。基本のまま稽古して、正面で打ち合う。仕手は、受けの頭を打つところまで入ることを念頭に稽古した方がいいと思います。

打ち込んで行って打ち勝つ。一ヶ条だけじゃなく正面打ち(一)の技はどれも、そこがスタート地点なのですから。

肘を上げさせるのは、そのあと。いわば応用だと考えています。

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