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合気道は円の動き。の奥のマニアックで難解な話へ


今回も、合気道の用語。直弟子の先生方の文章を中心に紹介することで、先生あるいは流派ごとの解釈を多角的に知り、理解の的確なヒントになることを目指します。


今回は、『円の動き』です。


合気道は円の動き、角がなく丸く動くなど、どこの合気道の道場でも言葉として「円」が高頻度で使われていると思います。


ところが植芝盛平先生は、私が知るかぎり書籍や映像で「円」という言葉は、それほど使われていないようです。

直弟子の先生方は、ご自分の解釈として円について言及されています。

開祖の言葉は超難解だし、円を解釈する順番としては、直弟子の先生方の言葉から紹介することにします。




塩田剛三先生は、網羅して説明されている


私としては、円の説明は、通常これだけで十分すぎるぐらいだと思っています。

塩田剛三先生の『合気道人生』から引用します。


合気道の動きは、直線的な運動はほとんどなく、円運動です。
これは今まで述べてきたように、力の衝突、力の揉み合いは一切しない。 相手の力が十分流れるように誘導しながら、それが延び切って、無力化した瞬間をとらえ、技をほどこすのが、合気道の基本。ですから、相手の力を流し、しかも自分の体が相手の近くにあって、すぐ技がかけられるようにするには、自分が円運動を描いて体を捌くのが、最も無駄が少なく、効率的で、合理的であることは、すぐお分かりになると思います。
自分が円の軌跡を描いて動くわけです。コマが回る場合、コマは中央も周辺も回っています。 合気道も、自分が円運動を描くとき相手をもその運動に誘導します。時には相手を中央に、自分がその外周にあって円運動を行い、時には自分が中央にあって、相手を外周に置き、円運動を行うことがあります。この円運動は平面的ばかりでなく、上下の方向にも行うこともあり、また球面をすべるように相手を導くこともあります。
いずれにしても、相手の力を流すには円運動が最も効率的であるばかりでなく、円運動は直線的な動きと異なり、動きを止めることなく方向を自由に変えることができ、螺旋を描くこともできるので円運動の求心力、遠心力をも巧みに利用し、相手の体勢を崩して技をかけ、また円運動の永続性、可変性を利用して、無理なく連続技が行えるのも合気道の大きな利点です。

整理すると

1.相手の力が延び切って、無力化した瞬間をとらえて技を掛けるのが合気道の基本

2.自分が中心で相手を外周に置く。その逆もある

3.円は平面ばかりか、上下に、そして球面を滑るように導くこともある

4.円運動の永続性、可変性で、無理なく連続技が行える


直線的なものは、塩田剛三先生の動きで言えば、人差し指の一本拳による当身ぐらいだと思います。

僭越な言い方ですが、過不足ないと思います。しかもかなり分かりやすい。


ここから先は、どんどん難解度が増していきます。




合気道は円運動であり球運動であり、螺旋の動きである


植芝盛平と合気道』から、田中万川先生の言葉を引用します。田中万川先生は戦前に親英体育道道主の井上鑑昭先生(植芝盛平開祖の甥)から指導を受け、昭和14年に徴兵され戦争に。終戦後、開祖と再会し、合気会大阪支部道場を開設されたということです。


植芝盛平と合気道』から引用します。



合気道は円運動といいますが、丸い運動ではなく螺旋の動きが大切なのです。円運動は神経系統であるが故に、遠心神経に伝えられ、その円の働きが螺旋状に巻き込むように動作するのです。この螺旋状の遠心力が、相手の神経系統に円運動となって喰い込まれるから、相手は球状から出るのです(遠ざかるとか、はねられたとか)。これが合気道の動きです。いわゆる螺旋状であり、波状です。


そう、平面的な円運動はまずないと思います。二次元ではなく、丸い軌跡で三次元で上下左右に移動していけば、それだけで螺旋になるはずです。

後半の「相手の神経系統に喰い込む」というところは、私には分かりません。


他の直弟子の先生でも球運動とおっしゃっている方はいらっしゃいます。



以前、「球をまわす」のタイトルで動画をYouTubeにアップしました。これはほぼ、球体の表面をなぞるような動きです。

詳しくはブログ『「玉を捧げる」と「朝顔の手」はどうつながるのか?』に詳しく書いていますが、初期の養神館では基本動作の終末動作の動きを「玉を捧げるように」と説明されていたそうです。

開祖がおっしゃっていたなら字を当てるなら玉、あるいは魂の方がふさわしいかもしれません。



ただ球をまわすことを動きの中で使うと、螺旋になります。


「合気道は円の動き」とか「円運動」という象徴的な言い方が一般化しているので、螺旋という言葉で語られることは少ないと思います。もしかすると植芝盛平先生は、螺旋という言葉を使われていなかったのかもしれません。




開祖が言われた円を描き、円の中心を知ること


最初に「開祖はそれほど円という言葉を使われなかったのではないか」と書いていますが、それはさまざまな書籍の中で、塩田剛三先生も、田中万川先生も、また他の直弟子の方々も開祖の言葉として語られていないのです。ご自分の解釈として、語られています。


開祖の言葉として記載されている書籍は、私の知る限り二冊あります。一冊は『合気道神髄』、そしてもう一冊は『武産合気』です。もちろん難解です。



前者は持っていませんが『古武術と身体』という本に、『合気道神髄』からの引用があります。

現在、Amazonで買うことのできる『合気道神髄』は、サブタイトルが「合気道開祖 植芝盛平語録」とあり、監修が合気道二代目道主・植芝吉祥丸とあります。


ところが先に紹介した『植芝盛平と合気道』には、田中万川先生が「合気道神髄」の著者として掲載されているのです。これが同じ本なのか、あるいは別物なのか、もしかすると再編集されたものかはなんとも不明です。ネット上には、田中万川先生が刊行された非売品とあり、オークションされた形跡があります。


ともあれ、『古武術と身体』から引用します。


合気というものは、初め円を描く。円を描くこと、つまり対照力。相手に指一本触れないでも相手は跳んでしまう
円を描く、円の中心を知る。円の中心こそ… それを愛の教育に移すのです。 いつも中心に立っている地球修理固成の魂の糸筋、一番の中心に立つことです
宇宙の気はすべて魂の円におさまります。おさまるがゆえに技も無限に包蔵され、生み出すこともできます。これが合気の魂の円です。

この難解な文章から開祖の意図されるところを読み取るのは、私には無理です。

しかし「円」を持ち出したのは、どうも円そのものよりも、宗教的な意味で「中心」をおっしゃりたかったのではないか、という気がしてきます。




合気道の△○□とは平面なのか


一方『武産合気』で使われているのは、円ではなく○です。

合気道の△○□として語られる○です。


△○□を物質的にいえば、天火水地、精神的にいえば四魂、即ち奇霊(くすみたま)、荒霊(あらみたま)、和霊(にぎみたま)、 幸霊(さちみたま)であります。これはどこから現われるかというと、二つの元、水火の二元の御振舞の緩急の度合から生れたのであります。
霊も物質も言霊であるし、宇宙の実体も言霊であります。しかしこれは普通の宗教者にはわからないのであります。これを生かす言霊の妙用が合気道であります。合気道は宗教にあらずして宗教なのであります。

普通の宗教者にはわからないとあるぐらいですから、宗教者でもない私にはさっぱりです。


でも解釈している人はあちこちに存在します。もっぱら「△に入身し、◯く捌き、□く固める」ですが、『武産合気』はサブタイトル「植芝盛平語録」。開祖から、丸く捌くなんて語りは、どこにも出てきません。


そういえば、私も△は違うだろうと解釈して動画にしました(笑)




ヨーロッパに遠征し挑戦者を退けた望月稔師範の提言


望月稔先生の紹介を通して武道や和する合気について語った『心身一如の身体づくり』という本には、望月稔先生の著書『日本傳柔術』からの引用があります。


先に書いておくと、望月稔先生は昭和5年、講道館から植芝盛平開祖の元に派遣されました。講道館では三船久蔵先生の内弟子。さらに剣術、棒術、剣道、杖術、空手、手裏剣など武芸十八般を修行していたことなどから、派遣されたのかもしれません。

派遣先の植芝盛平先生の武道は、まだ合気道ではなく、大東流合気柔術の看板。


心身一如の身体づくり』によると、望月先生は植芝盛平先生の技を見ただけで再現でき、入門後しばらくして門人頭を命じられたという。

そればかりか、植芝盛平先生は海軍大将竹下勇(門人でもあり、合気道普及の立役者)に仲人を頼み、娘婿になるよう説得を依頼したとあります。


それほどの関係であったことを、押さえておいてください。


望月稔先生はヨーロッパに遠征。数々の挑戦者を退けて帰国。植芝盛平先生に大胆な提言をします。

引用します。


大東流合気柔術から脱皮して合気道と名乗るからには、技術面でも明確に大東流の枠内から出る必要がありますよ
地上天国建設の羅針盤などと宣言したからには手技オンリーの小範囲にしているべきじゃない。足技も腰技も寝技も捨身技もすべて取り入れ、当身技なども積極的に指導すべきじゃありませんか


ヨーロッパでの対戦は大東流だけではなく、持てるすべての技術を使ったから勝てたという背景からでしょう。

しかし今回書きたいのはそこではなく、次の一節です。



丸に三角に四角じゃと体の運用法をいわれるが、それはすべて平面的ですから、さらに百歩進めて立体的 『球』の運動にまで進める必要がありましょう。すべて極大のひろがりにしなければ、全人類を指導するような宣言と食い違ってしまいます


お二人の関係からしても、かなり挑戦的な物言いです。

しかしどうして望月稔先生は、丸三角四角が「平面的」だとおっしゃったのでしょう。

帰国されたのは、昭和23年。皇武館から合気会となったのも昭和23年ですから、思想はともかく、名称も技法としても大東流合気柔術に近かったのだと思われます。


このやりとり自体は開祖の「邪道じゃよ」で終わっています。


しかし平面的から立体的への会話が成り立つには、どういう前提が考えられるでしょう。

大東流合気柔術と合気道の技法として最大の違いは、大きな円転にあると言われることが多いですが、望月稔先生が「平面的」だとおっしゃったのなら、実際の動きはともかく、植芝盛平先生が概念として「立体」を語られていなかった可能性が高いのかもしれません。


それが真相なら、ここで取り上げたように塩田剛三先生や田中万川先生、さらに他の直弟子の方々も、ご自身の言葉としてだけ「螺旋や球」を語られていることが理解できます。



もっと俗っぽく言うなら、植芝盛平先生は「円」や「円の動き」という言葉を気に入られていたということかもしれません。

実際のご自身の動きを抽象化して説明される場合、開祖の場合は神様にまで行ってしまうので、弟子たちが理解するための具体的な解像度が低すぎる。解像度を上げるために、後年、それぞれの先生方が解釈した言葉で説明されたことは、容易に想像できます。



ところがこの円の動きに問題がある、とおっしゃる先生がいらっしゃいます。




悪しき円の問題点を指摘する甲野善紀先生


平成五年ですから、もう20年前ですね。

甲野善紀先生が井桁崩しの原理を季刊『合気ニュース』で発表されました。ここでは簡単にしか触れませんが、井桁崩しの井桁とは「木材などを漢字の井の字の形に組んだ形状のもの」のことです。



ダンボールの箱で考えていいと思いますが、蓋と底のない筒状の段ボールを想像してください。畳もうとして軽い力で一面を押したとき、角は同時に角度を変えていきます。

井桁崩しとは、そういう動きのことです。

甲野先生は「平行四辺形の変形モデル」だとされています。



同じ合気ニュースの『甦る古伝武術の術理』から引用します。

この本は井桁崩しの周辺、ねじらない、二力の合成、割れ、ソの字立ちの解消などが一気に出てきますが、悪しき円は「体をまわすことの問題点」として書かれています。



甲野:「まわす」という動きのどこが問題かというと、人間が手、足、腰を動かそうとすると、どうしても円を描きながら体をまわすために、その円に中心ができてしまうという点です。つまり支点を作ってしまうのですね。そのため動きがつながってしまう。それを私 は「悪しき円」と名づけ、その例として、雨の日に自動車のフロントガラスを拭きながら動くワイパーを取りあげたのです。つまりああいう円運動は、力の構造上からみると決して効率のいい、働きのある円運動とは言いがたいのです。もちろん、車の窓を拭くという働きはしますが(笑)。
そのワイパー的円運動は、止めようとすれば簡単に止めることができる。これは、よく考えてみれば当たり 前のことですが、それほど効率の悪い動きを、多くの人がなぜ長年気づかずにやってきたかというと、やはり円の理という言葉の魔力にとらわれて、「円ならいいはずだ」と円の意味をよく検討しないまま信じ込んできたからではないでしょうか。もっとも人のことは言えません。かく言う私もその一人で、今回の井桁術理に気づくまでの二十年間、円、ラセン、球という言葉の魅力に無反省のままひきずられてきました。
プラニン:しかし円の理がすべてよくないというわけでもない。
甲野:ええ、もちろん円には他の形では真似できないいくつもの優れた特質がありますからね。たとえば円の特色が活かされている代表的な動きは、車や球が転がっていくような動きだと思います。つまり、支点を決めて円を作るのではなく、円であるための抵抗のなさそのものだと思います。円に動いていますから、結果としては、その円にはもちろん中心があるでしょうが、その中心は開く動いた結果として出てきたもので、最初から円に動かそうとして作った支点、中心ではないのです。
わかりにくいとは思いますが、今、井桁、井桁と言っていますが、円の動きを否定しているのではないということはわかっていただきたいと思います。ただ、ふつうは、円をイメージして動くとその円の特質を活かすよりも、つい自動車のワイパー的な「悪しき円」になってしまうということです。


甲野善紀先生が、最初におやりになった武道は合気道。合気会本部道場で「指導員にならないか」と誘われたそうですから、もちろん合気道への理解は十二分にあるのです。


「井桁術理に気づくまでの二十年間、円、ラセン、球という言葉の魅力に無反省のままひきずられてきました」とおっしゃっていますので、円・螺旋・球というワードは、それだけ魔物なのです。


あえてここで取り上げたのは、「合気道は円の動き」という言葉はとても魅力的で、他の武道の動きとの大きな違いです。

しかし20年も前に、問題点を指摘されていたことは知っておく必要があるはずです。確かに自動車のワイパーは、ちょっとした抵抗があるだけで止まりそうです。



正直なところ、私はあまり気にかけてはいません。というのも、養神館の技法に「悪しき円」はないはずだと思っているからです。

例えば、一ヶ条二ヶ条などの(二)、裏に入る動きでも片足軸の固定した円の動きではありません。重心移動を行うのですが、股関節軸から股関節軸へとほぼ真っ直ぐ移動しながら、最終的に回っているので、単純な円転ではありません。


ところが私個人が自覚しているところでは、自由技で流れのままに技を行うと、単純な円になっていることがあります。


これが甲野先生のおっしゃる「悪しき円」なっているかというと、難しいところ。「円の特色が活かされている代表的な動きは、車や球が転がっていくような動き。つまり、支点を決めて円を作るのではなく、円であるための抵抗のなさそのもの」に該当するのではないかと。


相手の動きの邪魔をしないから、結果として単純な円運動になった。そう、考えています。





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