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“疲れない体を脳からつくるボディハック”を題材に


疲れない体を脳からつくるボディハック 表紙

『疲れない体を脳からつくるボディハック』という本を読みました。帯には「1日10分のトレーニングで脳をアップデートし、体の不調を取り除け!」とあります。

私は少々運動しても疲れないし、やりすぎても一晩寝たらまず回復しています。腰が痛いとか膝が痛いとかもありません。問題は、まったくありません。

いやウソです(笑) 慢性的な睡眠不足で、本書のいう脳のバグがあると思います。

まあそれぐらいなので、この本を買う強い動機はなかったのですが、立ち読みしたときにコラムに書かれている内容が、普段私が言っていることと、笑えるほど一致していたのです。

“スマホと脳の危険な関係”はよくある内容ですが、“筋トレは軽々しくすべきではない?”や“体が柔らかいことは、はたしていいこと?”などは世の中の認識のメインストリームではないでしょう。

このへんが一致するなら、応援する意味でも買っとけと思ったのです(笑)

不調を改善するには、脳と体の関係性を理解してチューニングしろという発想は、なるほどと納得しますし有益だと思います。不調はともかくとして、本書を読んでいると思い通りに自分の身体を動かす、精度を上げるには、脳と体の結びつきを回復させる。アップデートすることが必要なんだろうなと解釈しました。

私が不調じゃないのは、自然であることを最上とする合気道をやっていて追求しているから。武道の動きの意味、合理的な体の使い方を、日常でも汎用的に使えるように置き換えて行動しているからだと思っています。

特に今は、毎回杖を使った稽古をしています。杖を好きに扱って、力の流れを活かしながら思い通りの軌跡で、思った位置でピタッと止めることは、本書に出てくるトレーニングと比較しても遜色ないどころか、はるかに有効な訓練かもしれません。

しかし自分の思い通りの軌跡になっているかどうかは、鏡に映したり動画で撮影したり、あるいは人からフィードバックしてもらうなど、客観的な手段がないと、妄想の中だけで正確な杖を振り回していることになりかねません。

前方の相手を突くのなら、思ったところへ軽く当てる。あるいはギリギリで止めるなどで、正確さを判断することができます。でも体に沿って後ろに回すなどの動きは、チェックする手段がないと、自身の頭の中の軌跡から少々離れていても認識することができません。

本書でいうところの「地図がぼけている」は、誰だって後方は、訓練しない限り地図がぼけているはずです。もちろんこの本は、体のことを扱っていて、武器などを得物を持った、いわば拡張された身体について言及しているわけではありません。でも、脳との関係性を理解してチューニングするのは同じだな、使えると思いました。

本書は不調の原因やその解消方法について書かれていますが、このブログは「合気道ブログ」なので、動きの質を上げるために役立つという視点のみで構成しています。

不調を解消したい方は、本書を購入してトレーニングしてください。

【体の使い方を決めている脳へのアプローチ】

著者は「私たちの体は20万年前からほとんど変化していないのに、生活スタイルだけが劇変してしまっている」という説を引用されています。

20万年前からのスパンで捉えて変化していないかというと、日本人だって急速に手足が長くなっているのですから、ちょっと疑問ですが、体の変化より、現代の生活スタイルが短期的に見ても、はるかに変わっているのは間違いありません。

ヒト本来の身体機能が失われている。と著者は言います。

確かに、なんでもかんでもモニターを通しての仕事・生活は、視覚以外の五感、味覚・聴覚・嗅覚・触覚をほぼ必要としません。目以外の身体を、ほぼ必要としません。

本の中でも取り上げられていますが、ペンフィールドのホムンクルス。これを現代人で計測し、描き直したとしたら、目がとてつもなく肥大化していたりして…

いやそんなことはないと思いますが、あったとしたら想像するだけでゾッとします。

それはともかく、視覚優位で、そのほかの刺激が少ない。著者の言い方だと、「体から脳への刺激に不足・偏りがあるため、問題が生じている」になります。

意訳すると、つまり、まず入力そのものに問題があると。

ヒトの体が動く仕組み_図

上の図は本書のものを分かりやすく描き直したつもりですが、ズレがあるかもしれません(以下、同様)。

この図の1のところ。脳が処理する以前に、体が受けた・感じた刺激が不足している。偏っているというのが、著者の考えです。脳まで行かない脊髄反射もあります。ありますが、それはさておき。では、どうして入力に問題があるのか。

【土台である“感覚システム”の不調】

入力に問題があるのは、「中枢神経系からの発達ピラミッド」の土台である感覚システムが、現代の生活スタイルで不調なのだと解釈されています。

「中枢神経系からの発達ピラミッド」とは、Williams & Shellenberger『Pyramid of Learning』として引用されることが多いのですが、土台に五感に平衡感覚と固有受容性感覚を加えた7つの「感覚システム」が存在し、頂点に「認知・知性」があります。

中枢神経系からの発達ピラミッド_図

著者によれば、不調の改善もパフォーマンスの向上も、まず土台である感覚システムの下段の三つを鍛えることからとしています。「土台が狭く小さければ、発達ピラミッドも小さいまま。つまり、すべてのパフォーマンスが低い生活になってしまいます」とあります。

触覚は皮膚にあるセンサーで「表在感覚」、

平衡感覚はバランスを保つ感覚で「前庭感覚」、

固有受容性感覚は筋肉の伸びなどを察知する感覚で「深部感覚」とも呼ばれているそうです。

視覚優位の生活で、この三つ感覚が揺らいでいるのは容易に想像がつきます。

一応お断りしておきますが、根拠になる「発達ピラミッド」はあちらこちらで使われることが多いものの、原書でどう書かれているのかが不明です。

というか世間に出ているそれらのものは、解釈がなく、ただ権威づけのために貼付けているだけのものが多いので、本書が特別不誠実とは思いません。思いませんが、学術的にはどうなのか疑問で、私には判断できません。

基本的に発達ピラミッドは、赤ちゃんからの発達のプロセスを示したもの。これが成人にも当てはまるものなのかどうか。また土台が広くなれば、その上のパフォーマンスが向上するものかどうかは私にはわかりません。たとえば筋委縮性側索硬化症と闘い続け「車いすの天才科学者」と呼ばれたスティーヴン・ホーキング博士は、この土台が広いとは考えにくいのではないでしょうか。

そんな疑問はあるものの、運動をする上では「前庭感覚」「深部感覚」がシャープに機能していないと、思い通りの動きができるはずもありません。

「表在感覚」が優れていないと、合気道の持たれる・持つ技は、形をなぞっているだけかもしれません。

だから動きの質という視点からすれば、「前庭感覚」「深部感覚」「表在感覚」が土台になると言われても納得感があります。

そして、この「前庭感覚」「深部感覚」「表在感覚」の三つは、ボディスキーマ=身体図式だとされているそうです。

【ボディスキーマとボディマップについて】

ボディスキーマの前に、ボディマップについて書いておきます。『疲れない体を脳からつくるボディハック』では、ボディマップとボディスキーマの関係についても触れられています。

こんなややこしい内容を理解しないと動けないかというと、そんなことはぜんぜんないので、うっとうしければ飛ばして読んでください。

ボディマップとは「体の地図」のこと。体の地図という言い方は、あちこちで使われますし、この精晟会渋谷のウェブサイトの中にも何カ所かで使っています。私は稽古のときには、身体の地図という言い方をけっこう使いますが、その意味するところは、本書でいうボディマップとボディスキーマを一緒にしたようなものです。

ところが本書を読んでから、(後述しますが)別々に考えた方がいいし、連動したものだけど別々の稽古方法を考えた方がいいなと思いはじめました。

本書のボディマップとは、脳の中の体のイメージなのです。

まず、本書のボディマップの説明を引用します。

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ボディマップがまだできていない赤ちゃんは、お尻がむず痒くても自分で掻くことができません。成長の過程で徐々に自分の体の仕組みを覚えることで、無意識に体を操縦できるようになります。意識せずとも物を拾えたり、飛んできたボールをキャッチして投げ返したりできるのも、自分の手足の長さはもちろん、関節をどの程度曲げればちょうどよいのか、力加減などを脳が把握しているからです。優れたアスリートや楽器演奏者などは、求められる理想の動きに応えて自分の体を正確に動かしているといえます。それは常に敏感にボディマップを更新し続けている結果のパフォーマンスだと考えられます。

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さらに著者は、更新は地図がぼやけていく状態も作り出している。手や口、目の情報は感じ取れても、長時間座っているような生活では、足や胴体などはますます脳の中で迷子になっていくと書いています。

ともあれ、ボディマップは五感の刺激で濃くなると書かれています。

この五感の刺激というのが、私の発想とはちょっと異なるところです。五感がどれだけ濃くなったところで、股関節や肩甲骨はどのへんにあって、どういう形状でどう動くかという知識がなければ、意識して動かすことはできないでしょう。

赤ちゃんは抱っこされたり、ゴロゴロ回ったり、あるいはなんでも口に入れたり、投げたり振り回したりして五感を刺激してボディマップを形成しているのかもしれません。

しかし大人はどうなんでしょうか。

前回このブログで『痛くならない膝行の方法』を書きました。

たとえば合気道の師範クラスで、膝を痛めていらっしゃらない方の割合は、どれぐらいでしょうか。もし過半数以上が痛めていらっしゃるなら、明らかにやり方が間違っていると言えるでしょう。痛めているけれども、合気道で要求される当たり前の体の使い方だするなら、それは要求自体が間違っているのです。調和した自然な動きではないはずです。

膝の位置や機能は誰だって知っています。しかしどうやって壊れるかは、情報だったり知識です。跪座のときの爪先や腰の形は、外からのフィードバックが必要です。

だから合気道をやる上では、五感の刺激でボディマップが濃くなったところでなぁ、と思います。

ただ本書にある「脳は合理的に省エネして“使わない機能は捨ててしまう”という鉄則のもとに働いています」は重要で、たぶんそうなんだろうと思います。

足裏足指などは、現代人の多くが意識していない。生活の中で、爪を切ったりペディキュアを塗ったりする以外では見ることもないかもしれません。そうすると脳の中のボディマップからは、足指の形状すらあいまいになり、ドラえもんの足のような姿になっているかもしれません。

いくら運動をしていても、高機能スニーカーを履いていれば、足裏足指の感覚はあいまいで、特に意識して機能を使い分けることもなさそうです。

言うまでもなく合気道ばかりか、素足で行う日本の武道の多くは、足裏足指がとても重要です。

足指を使い分けるとか、どの部分に重心を乗せるかということになると、ボディマップで位置や形状が明確なだけではできません。

そこがボディスキーマだと考えていいのだと思います。

繰り返しになりますが、ボディスキーマの主な構成要素が下の三つだと書かれています。

触覚は皮膚にあるセンサーで「表在感覚」、

平衡感覚はバランスを保つ感覚で「前庭感覚」、

固有受容性感覚は筋肉の伸びなどを察知する感覚で「深部感覚」

本書によるとボディスキーマは「身体図式」。脳が「自分はいま“どこでどう”なっているのか」を知るためのプログラムだということです。

ボディマップとボディスキーマの関係を、私が解釈して図にしました。

ボディマップとボディスキーマ_図

誤解している可能性もありますが、本書ではボディマップはボディスキーマの一部だということですから、それほど間違ってはいないでしょう。

ボディマップが「体の地図」なら、ボディスキーマは「現在の体の状況を把握し、動きを制御するためのプログラム」だと意訳できそうです。

「表在感覚」「前庭感覚」「深部感覚」を入力するセンサーはもちろん体にある。解釈して制御するのは脳、と考えていいのだと思います。

ところがそのセンサーが、座りっぱなしや視覚優位の生活でおかしくなっている。センサーがおかしいから、脳のプログラムは悪い方向にアップデートされ続けている。

修正するには、まずセンサーを正しく機能させるトーレニングをしましょう。そうすれば疲労しにくい体と脳の関係になっていく。

本書をざっくりまとめるなら、こういうことなのだと思います。

そう解釈してきて、私がどう合気道の稽古に活かせると考えたのか。

この先は、そこを書いていきたいと思います。

【とにかく視覚優位はまずい】

本書に指摘されるまでもなく、現代の生活がモニターを通じた視覚優位であることは言うまでもないでしょう。

私自身はその危険性を重々承知しているつもりでしたが、本書に書かれているような五感のバランスを崩すことが入力の偏り・不足になり、それがボディマップをぼけさせているとは思いもしませんでした。

視覚情報とボディマップとのズレによって生じるVR酔いと同じだと聞けば、分かりやすいでしょうか。現実を撮影した360度映像で乗り物に乗るようなものだと、映像と動き自体にズレがあると、三半規管が強くても、酔ってしまうかもしれません。

私は相談されない限り、会員の生活のことをどうこう言ったりしませんが、合気道の稽古は、この偏り・不足を解消するものだという発想で組み立てたり説明しなきゃと考えはじめました。

座りっぱなしで腰が、という人は少なくありません。もちろん座りっぱなしでモニターを見ているのです。

それに格闘技の場合、視覚はフェイントのために使われることが多いのです。

武術的にだって、間合いを錯覚させたり、見えるところを動かさず、見えないところを動かすのは当たり前で、目は騙されやすいから利用されるのです。

他の五感との極端な偏りは、何もいいことがありません。

【拡張されたボディマップとボディスキーマ】

養神館合気道の基本は、ボディマップを強化してると思います。構えからして、手や足の位置、方向がかなり細かく決まっています。

稽古の中でズレていれば指摘されるので、フィードバックされて位置を認識できるはずです。

基本動作で単独で動けば、「前庭感覚」「深部感覚」も鍛えられているはずです。

止まった形では後ろ足の膝は伸びている。180度の重心移動でもふらつかず、安定した姿勢で行えるよう稽古するので、「前庭感覚」「深部感覚」のベースになるはずです。

特に本書を読んで変わってはいませんが、止まったときの形・状態は、よりフィードバックしていかなきゃいけないなと思いはじめました。

まずはボディマップを強化すること。止まったとき、そこだけ切り取ると様々な体勢になったときの各部の位置・状態を認識することが必要ではないでしょうか。

さらに技を行えば、今度は「表在感覚」も含めて鍛えることができると思います。

しかしそれは単純に触覚ではなく、相手の状態を感じ取ることが必要です。

平衡感覚も、自分自身のバランスではなく、相手とつながったバランスの状態を感じ取ることが必要です。

そういうのは発達ピラミッドの上の方なんじゃないのという声が聞こえてきそうですが、当てはめたところで、どれだけの意味があるでしょうか。私はボディマップとボディスキーマの考え方、関係が使えると考えただけです。

話をもとに戻すと、合気道では、相手がいる上での表在感覚や平衡感覚が極めて重要です。

自分自身が思い通りに動けたとしても、相手に手を握られていたら勝手には動けない。相手とのつながりで動かなければ、技にはなりません。

通常の組稽古がボディスキーマを鍛えているはずですが、それは相手の体にまで侵入したもの。

たとえば片手を持たれた状態から相手を崩すには、肘を狙い肩を上げさせ、頭を狙う。あるいは重心を引き出すということをしたりしますが、これはまったくのイメージ。力が持たれたところで止まらず、相手の肘肩から頭まで至るためには、まず狙っていることが必要です。

狙っているのは拡張したボディマップ、そして動かすのは拡張されたボディスキーマと言えるかもしれません。

いや、そんな言葉遊びはどうでもいいのですが(笑)

【狙うことと動かすことは分離できる?】

途中に書いたように「私は稽古のときには、身体の地図という言い方をけっこう使いますが、その意味するところは、本書でいうボディマップとボディスキーマを一緒にしたようなもの」だったのですが、これを狙うのと動かすのを、つながっているけれども、個別に説明し、個別に取り出して稽古した方がいいかなと思いはじめたのです。

その最大の理由は、国の緊急事態宣言解除後の稽古は、剣杖を使っているから。

合気の杖はどうして水月を突くのか?』で書いているように、杖取りをやるためには、正確に突けることが必要です。安全のために、届かない間合いで突いたりするのは避けたいのです。せめて直突きぐらいは正確に水月に向けて突き、ピタッと軽く触れたぐらいで止められるようにと稽古しています。

そのときに私は、とにかくイメージで狙っておくこと。杖先から赤いレーザーポインターが、相手の水月に飛んでいるイメージ。そして動作に入ったら、前手が照準になって上下左右に動かないことだと言っています。

ピタッと止められるのは、杖の形状・長さが体に馴染んで一体化していること。だから普段から、杖を振ったり打ったり回したりしておきましょうとしています。

一方、仕手として杖を取ったときは、例えば四方投げ的に投げるところでは、杖から伝わって来る相手の崩れ。杖にしがみついている状態になっている状態を感じ取って、そうなっていれば、しごいて倒すと説明しています。

つまり杖取りでは、狙うこととと崩したり投げたりすることを、イメージすることと感じることの二つの柱で説明しています。剣でも同じですが、剣をピタッと止めるのも、まずはイメージの力です。

得物を使った場合は当たり前に、拡張された身体としてイメージを使っています。

でも考えてみると徒手の技の場合は、その頻度や程度が少なく、動かすことの説明を濃くしていたように思います。

徒手の技のときにも、武器より複雑ですが、狙っておくことの説明を強化しようと考えはじめたところです。

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