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剣杖ができると体術にどう役立つのか -前編



なんどか書いていますが、コロナ禍で少しでもリスクを減らそうと、剣杖の稽古をメインに行っています。


コロナリスクを除いても、剣杖を使った稽古はやっかいです。

当初は杖を仕手と受で持ちあった状態からの力の伝え方をやっていたのですが、杖の突き方打ち方を知りたいという要望があり、稽古するようになりました。

それが杖取りも行うようになり、このところは剣取りまで行っています。

しかも、ただ剣や杖を使うのではなく、養神館らしい杖取りを求めて に書いた通りで養神館の動きなどとの整合性があるのかどうか。残心はどうするのか、などなどを、いわば創作する必要があります。

剣は剣操法があるから、それがベースです。しかし養神館に杖を扱う技術はありません。



そこを考えることができても、指導される立場からみて、習得しやすくなっているか。体術に活かせるメリットはあるのか。面白いのか、など課題は山積みです。



なんといっても私は「現実に剣や杖を取れるとは思わないでくれ」と稽古の場で言っているのですから。

それでどうして剣や杖を稽古する? そう思われるでしょうが、私の考えは最後、後編にします。

まずは、精晟会の先生方の発想と、私がどうして創作もするようになったかの経緯。

そして養神館では塩田剛三先生が剣を教えられていたという、驚きの話から書いていきます。




【回ってきた武器技の演武】


私が所属している養神館合気道 精晟会横浜合気道会支部は、横浜市合気道連盟に属し、連盟は横浜市武道連絡協議会に所属しています。

横浜市武道連絡協議会は合気道だけではなく、剣道・柔道・空手道・少林寺拳法・薙刀・相撲・弓道・日本拳法・太極拳の連盟や協会が加盟しています。そして横浜市武道連絡協議会は、横浜武道合同演武会を毎年開催しているのです。

合同演武会には合気道から複数団体が順番で出ます。精晟会横浜合気道会にも2年に一度回ってきます。


10年以上前ですが、精晟会横浜合気道会に「武器技」での出場が回ってきました。

私は不案内ですが、横浜市合気道連盟の中で基本技とか〇〇技という風にテーマが設定されていて、順番に指定されます。精晟会横浜合気道会に「武器技」が回ってきたのです。



そして私に出ろということに…。

いやあの短刀取りは稽古したことがありますが、剣や杖は一切触っていません。

私自身は、そのときも杖道をやっていましたし、以前の流派で少しだけ武器取りはやっていました。そんなこともあって私に出ろということになったのかもしれませんが、有段者三人で出場することが決まりました。


短刀取り、杖取り、剣取りをそれぞれ分担することに。

私は剣取りの担当です。剣取りの中身は、もちろん自分で考えます。

一応書いておきますが、杖道は剣と杖で打ち合います。しかし投げたりしません。優位な太刀を杖で制します。たいていは顔面を打って行って、仕太刀の目に付けて太刀を下げると終わりです。だから剣取りと、技法としての接点はありません。




【抜かれたら入れないと思うんだ】


仕方がないので色々考えていたところに、私の先生、松尾正純師範から「抜かれたら入れないと思うんだ」と言われました。え、つまり抜かれる前に対処しろと!?


いったい抜かれる前に対処する、どんな技法があるんだ!? 


確かに多くの剣術では、抜刀する前に手を押さえられる。抜刀できない。それに対して柄で手首を攻めるという、いわば二ヶ条の原型のような技法があります。

だけどその設定を合気道でやったら、仕手側が剣を持っているという過剰に有利な技になってしまう。私は合気道として、有利な設定自体が嫌だなと思っています。武器取りに限らずですが。




なんて無茶な制約だと思いながらも反論しなかったのは、私も同じことを感じていたのです。真剣にはもちろん、木刀にだって対処なんてできないよと。

以前の流派で、剣取りの受をしながら思っていました。だからもっともだと思うのですが、じゃあどういう技にするのか。難題です。なんといっても抜刀前に対処する技なんて、見たことがありません。



だけど考えてみるとこの制約は、とにかく抜刀前に抑えなきゃいけない。逆にいえば、そこが出来てしまえば技はなんでもいい。抜刀の力の流れに沿って動けば、自然に技は出てくる。

少なくとも理合としては成り立つなと思えました。

入り身とは、まず前に出て抑えること。私はそう考えていますので、設定としてはアリです。



少なくとも合気道の演武大会ではなく、観客のほとんどは他武道の人たち。

前列に座る多くは他武道の師範の方々なので、有段者の演武を温かい目で見てくれるはずもありません。理合としておかしいければ、致命的です。



このときに考えたのが、現在もやっている剣取りのベースです。

武器取りの技を創作するという私の身の程知らずな行為は、ここから始まりました。



さらに翌年の横浜市合気道連盟の演武会では、松尾正純先生は「杖で演武しろ」とおっしゃいました。

剣をやっている人はいても、杖を扱える人はいませんでした。ということは剣対杖で、私が杖を使って投げるという方法を考える必要があります。だけど剣対杖だと、難易度は桁違いです。


そんなに何本も考えられませんでした。時間が余ります。それで横浜武道合同演武会で行った剣取り、そして剣対杖の技という構成にしました。



この1年間の経験が、現在の剣や杖を使った稽古方法や内容を考えるのに、とても役立っています。これがなければ、今の稽古でも三十一の杖とか、杖の型をやっているかもしれません。





【剣道部員の竹刀に誰も入れなかったと】


同じ年のことだったと思いますが、ある精晟会の師範から呼ばれました。

厳しい先生なので、なんだろうと出かけました。用件が終わり雑談になったので、私は横浜武道合同演武会での剣取りについて話をしてみました。

剣取りについて、どう考えられているか知りたかったのです。


すると、貴重なエピソードを教えていただけました。

師範は他の武道の有段者でもあるのですが、学生のときは合気道部に所属されていたそうです。養神館系ではなく、他の流派だったそうですが流派名を聞いて、ましてや大学の部なら稽古は激しそうだなと思いました。

うん十年も前の話ですから、今とは比較にならないでしょう。


あるとき、招いたのかどうかはともかく、剣道部の人の竹刀に対して、合気道部の人たちが制することができるかどうかという話になったそうです。


実際に立ち合ってみると、制するどころか、誰ひとりとして竹刀に入っていけなかった。

理合としては色々と考えられても、誰もそうは動けないと。



現実はたぶんそうでしょう。

真剣ではなく、木刀でもなく、竹刀であったとして、やっている人が武器を手に持てば、こんなに恐ろしいことはありません。


リアルなご経験は貴重です。

私もそうだろうなと想像出来ます。私たちがしているのは、あくまで理合の稽古。





【塩田剛三先生は剣を教えていた!?】


以前にも書きましたが、塩田剛三先生が杖を使われている写真が、共同通信の「<あのころ>ケネディ長官、合気道見学」という記事に出ていて驚きました。ロバート・ケネディ米司法長官のボディガードを、塩田剛三先生が四ヶ条で這いつくばらせたことで有名なあの日に、演武で杖を使われて二ヶ条らしき技を掛けられているのです。

写真自体を販売されているので、上のリンクで見てください。


いままで何度も、そして今回も「養神館に杖を扱う技術はない」と書いているぐらいですから、驚くだけじゃなく、いつから杖がなくなったんだと不思議でした。



先日、その疑問はあっさり解けました。と思います。

そういえば確か記事があったなと、不意に思い出して探してみました。


見つけたのは、月刊秘伝の2010年5月号。

それは養神館合気道 薫友会の創立者である澤村秀雄師範の記事でした。



澤村師範が入門されたのは昭和40年。無欠席の猛稽古で、入門翌年には初段になられたそうです。

入門から四年ほどたった頃、澤村師範は「合気道が剣の術理を体術に現したものだと言われていながら、肝心の剣の稽古がほとんど行われていないこと」に疑問を感じられ、塩田館長にお聞きになったそうです。


以下、抜粋引用します。


「私が入門した頃は、館長は特別会員には剣の技も教えていたし、定期的に名古屋の柳生会に来ていただいて新陰流を学びました。しかし、いつの間にかそれらは行われなくなっていました。
それというのも、会員の数が増加して、ほとんどは週に一回か二回しか稽古に来れなくなったために、とても剣を教えるまでには到らなくなったのです。そのために合気道は一般に体術だと思われているのです。そのことを館長にお話ししたところ、「合気道は本来は総合武術であり、本当に合気道を究めるのなら武器術を学ぶべきです。もしもあなたにその気があれば清水隆次先生を紹介しましょう』とおっしゃられました」

特別会員って何!? ってところですが、書いてありました。一般会員とは異なり、本部道場が休みの日以外はいつでも稽古に行ける会員なんだそうです。そして澤村師範は、この特別会員だったと。

澤村師範が入門された四年ほどたった頃ということなら、養神館が設立されて15年ほど。会員数が増加して、剣どころではなくなったという話も想像できます。



柳生新陰流のことは、それなりに知られています。どこかに書きましたが、塩田剛三先生は柳生新陰流の講道を受けられていたということです。講道とは、口伝書の解説などを受けること。

どういうものだったかは定かではないですが、精晟会横浜合気道会でも新陰流の講道を受けたことがあります。そのときは演武と解説でした。


柳生新陰流は、併習に良さそうに思えます。良さそうとは失礼な言い方ですが、養神館の身体の使い方とは矛盾しなさそうだという意味です。

講道を受けさせていただいたときの資料を見返してみてと、今ならもっと理解できただろうなとムズムズしてきます。





それにしても清水隆次先生とは驚きました。

清水隆次先生とは、警視庁の杖道をお作りになり(警視庁杖道師範)、警視庁に杖を導入された方。もしかすると機動隊の指導で、つながりができたのかもしれません。

清水隆次先生は、神道夢想流杖術免許皆伝。全日本剣道連盟の杖道も、神道夢想流をベースに清水先生が中心となってまとめられたそうです。私は清水隆次先生が設立された団体でも、精晟会渋谷を設立する直前の1年間だけですが稽古させていただきました。何度か、警視庁での杖の稽古に関する話を聞いたことがあります。それによれば警視庁の杖は、かなり技法が違います。




塩田剛三先生の著書でも、植芝盛平開祖から真剣での指導を受けた話とか、剣に関する記述はありますが、杖に関してはまったくありません。ですから、かなり驚きです。

いや2010年にこの秘伝の記事を読んだはずですが、この記述はまったく頭に入っていませんでした(笑)



さらに引用します。


実際には塩田館長は剣や杖等の武器術の習得にも熱心で、新陰流を柳生延春宗家に、神道夢想流を清水隆次師範に学んでいる。生前は両師範とも親交があり、特に新陰流の東京における教伝活動にも協力している。
しかし澤村師範は、この時は体術の習得途上にあることを考えて、武器術の習得は見送ることにしたという。澤村師範が実際に神道夢想流杖術、内田流短棒術等を学ぶのは、それから十六年ほど経った昭和六十年のことである。この他にもステッキ術、浅山一伝流居合等も学んでいる。これらを学ぶことによって大きく開眼するところがあり、今までの修行に一段と精彩が加わったという。

そして澤村師範は、神道夢想流杖術、内田流短棒術などの技法をステッキに応用した技を考案されたとあり、写真が掲載されています。いざというときに、ステッキ一本使えるかどうかで大きく違うとあります。


まったく同感です。いまの時代にステッキを持っている人は、まずいないと思いますが、なんでもいいんです。

私は稽古のときに「クイックルワイパーでも傘でもなんでもいい。剣や杖や短刀を扱っていれば、身近なモノで身を護れる」と言っています。


要は身近なモノを武器として使えるかどうかが、護身としては重要だと思います。

ただ少なくとも現在の全剣連の杖道は、足が剣道と同じです。養神館とは矛盾します。澤村師範が学ばれた頃は、もしかすると撞木足だったのかもしれません。

清水隆次先生の古い古い不鮮明な映像を見ると、撞木足のように見えます。





【短い時間の中で剣杖をどう役立てるか】


護身はいいけど、徒手の合気道に剣や杖がどう役に立つのか。


澤村先生が「週に一回か二回しか稽古に来れなくなったために、とても剣を教えるまでには到らなくなったのです」とお書きになっている通りで、短い稽古時間の中で、剣や杖までやっている価値があるんだろうか。

純粋に徒手の合気道をやる時間がなくなるのでは、という懸念があります。


いやコロナ禍では、徒手の相対稽古は極力控えなきゃいけない。

剣杖を中心した稽古でも、できるだけ接触しないようにしなきゃいけないし、徒手の合気道の上達に役立たなきゃいけない。むしろ役立つように稽古しなきゃいけないし、役立たなきゃやらないと思っています。



具体的にどう考えているかは、また後編で


(続く)



※現在、緊急事態宣言下で受付を休止しています。


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