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合気道は剣の理合いだというけれども


剣の突き

体験で知りたいこと・やりたいことの希望をお聞きしていると、とんでもなく難しいことについて説明するはめになることがあります(笑)

あるときボクシングを三年ほどおやりになっている方が、体験にいらっしゃいました。質問が「合気道は剣の理合いだというけれども、徒手で剣の理合いとはどういうものなのか知りたい」と、要約するとだいたいそんな内容です。

確かに合気道は剣の理合いだと、あちこちで言われていますが、どういうことなのか具体的に説明している動画とか文章に出会ったことがありません。また技を見ていて、それほど剣の理合いかなと疑問に思うことは多々あります。

しかし養神館合気道は、もっとも剣の理合いを活かしている合気道だと私は思っています。

理合いとは、勝つための道筋とか理屈という意味のはず。開祖が「合気道は剣の理合いだ」とおっしゃられたのなら、「似てるでしょ」レベルではないと私は思います。

私も稽古でよく剣や杖の動きで技の説明をしますが、それはイメージとして掴みやすいからという理由です。「似てるでしょ」レベルの説明です。

それにしても剣を振ったこともない、ボクシングの人に説明する難易度はとてつもなく高いです。

多くの打撃系格闘技は、制空権の取り合いからはじまる

ボクシングだけではなく、多くの打撃系の格闘技では身体の前に空間を設定しているのではないでしょうか。そこに相手が入って来たら突く蹴る、あるいは払う撃ち落とす。

相手の制空権に最短距離でのストレートを出しても払い落とされるだけだから、フェイントやジャブから入るコンビネーションで制空権を崩したり、こじ開けてから強いストレートを入れる。空いた角度によってはフックを入れる。

単純化すると、そういうことではないかと思います。

一方、剣対剣ならどうか。互いに中段に構えた状態なら、ひたすら中心を狙ってる。正中線上に向うラインが空けば、そこに突き込めば致命傷になる。真剣なら、そういう勝負。

袈裟に斬って行くなら、まず相手が狙う中心へのラインを外す必要があるから、歩法や体捌きがある。あるいは相手からの攻撃を誘い、外したり流したりして死角を作って斬る。

だから制空権ではなく、やっているのは細いラインの取り合いだったり、細いラインの受け返し。

単純化すると、そういうことではないかと思います。

しかし合気道のメインは徒手の技。体術。

剣を持っていれば両手が塞がっていますが、持っていなければ両手が使えるのです。それに真剣なら触れるだけでダメージは大きいでしょうし、さまざまな違いがあって当たり前です。

あくまで私見でしかありませんが、私が剣の理合いをどう説明したか、思い出しながら、ざっと書いてみます。

入身して止めることと同時に中心を攻めること

養神館の基本技は、他の合気道を比較すると入身して止める技が多く、また稽古でも止めることを重視していると思います。

たとえば横面打ちに対処する(一)の基本技は、しっかり入身して横面打ちを止めます。そのとき止めると同時に、相手の顔面に裏拳や掌底などの当て身を入れます。

横面をしっかり止めることで相手が崩れればいいのですが、同時に当て身を入れることで確実に崩します。体格差が大きい場合、止めるだけではなかなか崩れませんし、もしかすると止まらないかもしれません。

相手は横面を打っているのだから、顔面はがら空きです。顔面をガードしていても、その腕に当て身を入れればいいのです。

植芝盛平開祖は横面の技は、横面打ちだけではなく、剣や杖などの武器の横からの攻撃全般への対処を念頭に置かれていたと聞きます。

剣対剣なら、袈裟に斬って来たのと同時に動けばまっすぐの突きの方が速い。単純に軌跡の距離という意味ですが、入身ですね。転換は難しい。徒手対徒手なら可能ですが。

では徒手対徒手でフックなら、どうでしょうか。フックでも、転換、表に入って流すのは難しい。やはり入身して止める。しかし止めるだけだと自分の顔面ががら空きになってストレートが飛んで来たり、ボディにアッパーが来るかもしれません。

入身して止めるの同時に、顔面に当て身が必要です。体よりも顔面の方が近いですし、なによりそれで倒すというよりも、崩す意味合いの方が強いのです。だから見えるように、真っすぐ当て身する。

ボクシングの人なのでそこまで説明していませんが、崩しておかなければ蹴りが飛んでくるかもしれません。崩れていなければ、いくらでもコンビネーションが来ます。

当たる当て身になるためには、最初から狙っておくことが必要です。養神館の構えは、中心力を養うだけではなく、前手は相手の中心を狙っておくものだと私は思っています。

中心力を使う理合いはポジショニングの理合い

合気道で構えるのは、養神館ぐらいかもしれません。どうして構えるのでしょうか。

養神館の公式サイトにも抜粋されていますが、塩田剛三先生の著書にこう書かれています。

「極意要談」から

植芝先生は呼吸力呼吸力と言っておられたんですが、これは結局私が分解したところによりますと、集中力即ち中心線の力。これはあらゆるスポーツに通じると思うんですけど、中心線の強さ、ぶれないということ、これがやっぱり大事ですね。 これが難しいことで、ぶれないようにしようとするとぶれるんですね。 だから、それが自然に行なわれるように自分の足腰を鍛え上げて作り上げていく。

「合気道修行」から(※絶版で中古本は高いのでリンクさせないでおきます)

養神館では構えの稽古を重視していますが、これがじつは、中心力の訓練になっているのです。 構えでは、両手・両足、腰、頭を、一線上に結びつけます。そして、頭から真下へ一本の垂直な軸を作って、そこに重心を置くのです。 ・・・軸がグラついてしまっては、どんな技も効果を発揮できません。合気道の基本はすべて、この中心線の維持にあるということを、しっかりと覚えていてください。

塩田剛三先生は、ぶれない中心線の強さが大事。それが自然に行われるようにするには、足腰を鍛え上げること。養神館の構えの稽古は、中心力の訓練になっているのだとおっしゃっています。

そして著書には書かれていませんが、養神館の動きは、自分の中心で技を行うことを重視しているのです。簡単にいうと、構えたときの手が向いている方向ですね。

これがどういうことかというと、最も筋力ではない力が発揮できるのはもちろん。相対で考えると自分の中心は、相手の中心に向っている。同時に相手の中心は、崩れてぶれていたり、あらぬ方向を向いていたりする。

常に相手の中心ではなく、力を及ぼす対象に向っているというのが正確ですが、養神館の技法は中心力を常に及ぼしています。

技をお見せしながら説明しましたが、自分は隙がなく、力を及ぼせるポジション。相手からすると死角入られていたり、力を出せないポジション。

剣でいえば、間合いだけではない「敵より遠く我より近く」の理合いだと言えるかもしれません。

そもそも剣の理合いは、ボクシングと相性が悪い?

お聞きになりたかったのは理合いじゃなくて、きっと合気道の体捌きがボクシングに活かせないかということだと思います。

それは無理なんですよね。ダッキングとかスウェーとか剣だと斬られちゃうし、体軸をまっすぐにする合気道と相容れないんです。

逆に合気道の稽古では、コンビネーションやフェイントなどを一切考慮していませんというお話もしました。

平直行さんがセミナーで、刀の戦法と格闘技の関係を語られています。

塩田剛三先生は剣を学ばれていたのか

他流出身の私は、中心力はもとより、構え以外でも基本動作の剣操法があったりと、養神館は剣の合気道だと思っています。

しかし塩田剛三先生は、剣を学ばれていたのでしょうか。

学ばれていたというお話はどこにも出てこないようですね。

植芝盛平先生は剣や杖を教えなかったそうですし。植芝先生は「合気道は剣の理合いだ」とされながら一向に教えていただけなかったので、高名な剣の先生のところに弟子入りしたとおっしゃる養神館創設メンバーの先生もいらっしゃるぐらいです。

ところが養神館本部道場ができた初期のころ、柳生新陰流の先生を道場に招き口伝書の解説など講道を受けていたとお聞きしました。

10年近く前、精晟会横浜合気道会で柳生新陰流の先生をお招きして、やはり講道ということになるのだと思いますが演武などを見せていただいたときに、教えていただきました。

最後まで読んでいただいた方に向けて、ちょっとおまけですが書いておきます。

この動画の最初のところは、中心を取るとか狙っておくどころじゃなくて、中心を割り勝って入るとか、そんな印象ですね。

それにしても足裏、そして膝の使い方は極意ということですが、養神館とほぼ同じですね。

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