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養神館の正面突きは、空手の中段追い突き?

May 12, 2019

 

 

合気道の当身について稽古で話すことは多いのですが、養神館合気道の場合は仕手が崩しに使ういわゆる[当身]と、受の攻撃方法である[正面突き]を分けて考えてた方がいいと思うのです。
というのも、また怒られそうなことを書きますが、養神館の[正面突き]は空手の中段追い突きを想定しているのではと私は考えているのです。

 

 


そもそも合気道の突きは、短刀による突きなのか?

 

私は他流出身なので、最初は正面突きにえっ!? と思いました。空手経験者は皆、違和感なく中段追い突きとしてやっているようです。だけど私は、いや、膝の使い方が空手とは違うからねと思っていました。そのことは後述しますが、それまで「合気道の突きは、短刀による突きを想定している」と教えられていたからです。

 

短刀想定だから、拳は縦。突きの軌道は下から水月(みぞおち)に向って上がってくると、ずっと昔に聞いた記憶があります。また合気道は円運動だから、空手のような真っ直ぐの突きじゃなくて自然な腕の動きじゃないと成り立たないという説もあります。
そこまで行くと、さすがにちょっと。正確にいえば合気道は円運動ではなく、螺旋運動でしょう。真っ直ぐの突きがダメだということなら、演武でよく見かける杖取り。杖による中段への突きは真っ直ぐでしょうよと。

 

 

故西尾昭二先生(合気会師範)が下から上がってくるなんて、あり得ないと発言されていたように思います。探しても見つからなかったので、確証はありませんが。
その理由は、なんだったか。もしかすると西尾先生じゃないかもしれませんが、真っ直ぐの方が速いということだったと思います。

 

確かにゆるい円弧と直線なら、直線の方が短いのですから速いのは当たり前です。
でもそのときに思ったのは、縦でも横でもいいし、真っ直ぐでも下からでもいいけど。そんなことより合気道の場合は、有段者でも突くのが遅過ぎる人がほとんどだろうということ。どっちが速い遅いより、突きの稽古自体をやらなきゃ話にならないわと。剣や杖なら、まだ稽古している人は多いのですが。

 

その後、どこかで短刀を想定しているからといって「拳を背中に隠す」のは、あり得ないという論争を見ました。爆笑して、それこそどっちでもいい(笑)
なぜって接近した間合いじゃなければ、背中に隠しても隠さなくても、速度もほとんど関係ないし、フェイントにもならないからです。

 

拳であれ短刀であれ、中段を突いて行くなら、それなりのスピードと、当たるところまで突き込んでいることが大切です。安全に稽古できることは当然ですが、そのために基本技の稽古では間合いが設定されているのだと思います。
空手などでも、基本稽古での中段追い突きは、天と地ほどの力量差がないと当たらないでしょう。

 

 

 たぶんこの映像は『西尾昭二の合気道 第二巻』のものだと思います。DVDは三巻ありますが、どれも剣の理合いで、武道としての合気道を説明されています。

 

 

西尾先生のDVDで中段への突きがあるものを見つけられませんでしたが、上段への突きは上の動画にもありました。受の方はちゃんと突き込んでいますし、しかも近い間合いになってから拳を放っています。さらに言えば、横拳。
横拳であることのメリットデメリットはありますが(後日書く予定です)、養神館も正面突き顔面突きは横拳。そしてその突きは、空手を想定しているのではと思うのです。

 

 


受の攻撃方法としての突きと仕手が使う当身

 

養神館の[正面突き]や[顔面突き]は、どちらも横拳ですが、これを技の途中に入れる当身と同じに考えてしまうと混乱してしまうと思うのです。


柔術系には本当(ほんあて)と仮当(かりあて)という言い方がありますが、これに当てはめるなら、受ぼ攻撃[正面突き]や[顔面突き]は、本当(ほんあて)。本気で倒そうとするものです。
仕手の入れる当身が、仮当(かりあて)と言えると思います。

 

用語の使い方として適切かどうかは分かりませんが、古流柔術でも合気道でも、当身について詳しく語られている書籍やDVDなどは、ほとんどないのです。私の知る限り、ただ当身があるないや用いる部位だけで、打ち方などの具体性に欠けています。


合気道に限定すれば、実質的に当身のないところの方が圧倒的でしょう。

ところがそんな中、塩田剛三先生の『合気道修行』には、かなり詳しく書かれているのです。
まず前提となるような説明を抜粋してみます。



(演武で)私が当身を多用していることに驚かれた方も多いでしょう。 合気道といえば手首をつかむもの、あるいは派手に投げ飛ばすものというイメージに皆さん捕われているようですから、無理もありません。 

 

しかし、私の師匠であるところの植芝盛平先生も次のように言っておられました。 
「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分」 
私の体験から言っても、まさにそのとおりだと思います。

 

それなら、関節技はどうなるのか、と問い返されそうですが、たとえば 酔っ払いにからまれたとかいう場合なら、関節技で制圧した方がいいケースもあるでしょう。しかし、死ぬか生きるかというような状況に身をさらした場合や、多勢を相手にした場合などは、一瞬の勝負になりますので、当身や瞬間の投げじゃないと身を守り切れません。逆に言えば合気道の本質は、そういうギリギリの闘いにおいて発揮されると言ってもいいでしょう。


こういった瞬間の攻撃の場合、もはや当身とも投げとも区別できないようになることがあります。しかし、そんなことはどうでもいいのであって、とにかく相手が崩れればそれでいいわけです。 

 

 

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実戦では当身が七分、どころか当身と一挙動の投げは区別がないとおっしゃっています。現実的な塩田剛三先生らしい考え方ですが、もっともです。分類なんて、学問的に系統立てるための整理でしかありません。
実戦経験がなくたって、多人数取りの稽古をすれば、くるくる回るような投げは基本稽古以外では成立しないということが分かるでしょう。

 

 


正拳突きは、臂力の養成と同じ?

 

「正拳突きは前の膝に乗る」というタイトルでこう書かれています。

さて、ここでは当身の基本の正拳突き、つまりストレートについて話をしましょう。なんといってもやはり、実戦でのKO率が高いのはこのストレートですから。 首を傾げる人もいるでしょう。突きで勝負を決めるなら、よほどその一発に威力が無ければダメだ。しかし、合気道の道場で空手やボクシングのようにパンチ力を鍛える稽古をしているなんて、聞いたことがないぞ、と。 


確かにそのとおりです。合気道では普通、巻藁を叩いたり、レンガを割ったりというようなことはやらないわけですから。ところが、じつは突きの稽古をちゃんとやっているのです。何も特別なことではありません。道場生の皆さんがいつも繰り返している基本動作や 基本技、あれがそのまま突きの稽古になっているのです。 


突きが威力を発揮するために必要なことといったら何でしょうか。それは、右足なら右足から踏みこんだときに、体全体の重心がそれに乗るかどうかということです。乗ったら効くのです。 
合気道では体全体の一致した瞬発力で前に出ることが重要です。しかし、 大抵の人は、踏みこんだときに膝の操作がうまくいかなくて、せっかく重心の移動によって生じた力がそこで止まってしまい、上半身(拳)にまで 伝わりません。だから突きも効かないのです。 

 

 

 

イントは膝の柔軟性です。柔軟性といっても、関節がフニャフニャし ていることではなく、踏みこんだときに膝がなめらかに前にせり出し、重心をそのまま前へ伝えることができるかどうかなのです。これができると。 体全体の力が拳に乗って、大きな威力を生み出すことができます。これが 集中力です。そのとき当然、前の膝のせり出しと腰の前進にともなって、 後足が引きつけられる形となります。 道場で稽古されてる方ならおわかりだと思いますが、この動きは、毎日稽古の前に行う臂力の養成と同じであり、また、投げ技において前に出る力を手に伝えたり、逆技を体の前進によって効かせたりする動きと共通しています。つまり、合気道の 最も基本的な体の前進動作は、そのまま突きの動きとして応用できると いうわけです。もちろん実際には、より大きく、より早い動きの中で、この動作を行えなければならないことは言うまでもありません。 


これは、順突きでも逆突きでも関係ありません。その場の状況に応じて 変化は自由です。要は、重心の移動、それを前に伝えること、そして拳にその力を乗せること、この三つをすべて一致させた動作ができればいいのです。 

 

 


投げでも突きでも重心移動だ。体全体の一致した瞬発力で前に出ることが大切だと、塩田剛三先生はおっしゃっています。いやもうその通り。養神館合気道では強い重心移動の力を、多くの場面で使いますし、大きなポイントは前膝のせり出し。


養神館系の合気道ではない方は、さっぱりかもしれませんが、養神館での上達の基準となる重要な要素のひとつは、重心移動を伝える精度なのです。それはもう外形的にも見えてしまいます。

 

 

それにしても塩田剛三先生、正拳突きとか、他にも順突き逆突きと『合気道修行』の中では、空手用語を多用されています。私が「養神館の正面突きは、空手の中段追い突きを想定している」と考える根拠のひとつは、ここにあります。横拳であるのも、理由のひとつです。

 

 


塩田剛三先生は、受の攻撃方法をどう考えられたのか?

 

塩田剛三先生は養神館をお作りになり、技の体系を作られたとき、もしかしたら受の攻撃は、それまでに植芝盛平先生から学んだものとは違う方法も試行錯誤されたんじゃないかという気がします。あくまで想像で、ただの私の妄想かもしれません。
植芝盛平開祖は、正面打ちは上段への真っ直ぐな攻撃をすべて含んでいるとおっしゃったとか。正面打ちは、剣の理合いそのもの。剣を振り降ろしてきたときに、もしダッキングのような避け方をしたらどうなるでしょうか。


前にも使わせていただきましたが、平直行さんの動画が明快です。

 

 

肩だろうが腰だろうが足だろうが、剣の軌道上に体が残っていてはダメなのです。剣の理合いだからこそ、中心を護り、少なくとも養神館では全身が一線に乗って動くことが求められるのです。
剣の理合いを稽古するのに、最重要な正面打ちは外せません。

 

それでは中段への突きは、どうでしょうか。


先ほどのタイトル「正拳突きは前の膝に乗る」での文章は、「さて、ここでは当身の基本の正拳突き、つまりストレートについて話をしましょう。なんといってもやはり、実戦でのKO率が高いのはこのストレートですから」とあります。
当身の基本の正拳突き、なんてフレーズは聞いたことがありません(笑) 
「実戦でのKO率が高いのはこのストレート」とあるので、それまで植芝先生から習ったことはないけれど、養神館ではKO率が高い正拳突きが基本だ。俺はそう決めたからなと、シレっとおっしゃっているのでは思いました。

 

 


受の本当(ほんあて)を[正面突き]にされた?

 

当身とか當身、当て、砕きなどの言い方は、そもそも古流の柔術や剣術の用語。指を握り込んだ拳のことを、本拳や槌拳という名称ならありますが、私は正拳という名称では聞いたことがありません。正拳は空手の名称だと思いますし、拳を横に、手の甲を上にした使用方法は古い柔術系にはないと思います。

 

だいたい『合気道修行』に描かれている板垣恵介さんのイラスト、拳の部分を見ると縦の一本拳。通常一本拳で突くならピンポイントなのですから、本来はもっと近いところからのはずです。一本拳で遠間から突いてはいけないとは思いませんが、ピンポイントには当てにくい。横にした正拳やあるいは縦拳でも面で突くのですから、遠間には適しています。

 

 


私がどう解釈しているかというと、受の攻撃方法として、本当(ほんあて)に設定しているのが[正面突き]。これは、ほぼ空手の中段追い突き。ただし膝のせり出しが違う。

仕手の使う仮当ては、さまざまあると。

 

当身は塩田剛三先生によれば「拳や蹴りなどにこだわりません。(集中力によって)体中いたるところが当身の武器になる」ですから、仕手の行う当身はいわば仮当て。相手が崩れれば、なんでもいいという立場で、実際に養神館の技では当身が多用されます。

 

 

 

どうして私がこんなブログを書いたかというと、[正面突きを稽古するには]という動画をYouTubeにアップしました。それを見た人から「この拳の作り方は空手でしょう」と聞いてきたのです。ええそうですよ、空手のつもりです(笑)


拳の作り方をちゃんとしておかないと、危険でしょう。ぜんぜん知らないより、空手の作り方でもなんでも、理にかなった方法で稽古した方がいいでしょうというのが私の発想です。拳の作り方や突き方を教えられないで、届く届かないとか言ったところで意味がないですし。だから[正面突きを稽古するには]です。

 

 

 

再度、『合気道修行』から抜粋します。


拳もあまりしっかり握ってはいけません。しっかり握ると筋肉がムダにリキんでしまって、力が腕に乗らなくなります。軽く握って軽く当てるような気持ちでいた方が、効くのです。 
拳の使い方はいろいろです。正拳も使いますし、私の場合、人差し指や中指の第二関節もよく使います。堅い物にぶつけるのならともかく、人間が相手ですから力が集中しやすい一本拳で、体の弱い部分を狙った方が効果的だからです。 


とあります。

 

 

次回は、さまざまな当身についての考察を書くつもりです。

 

追記:

5月25日『合気道には当身が不可欠な理由』を書きました。

 

また日本空手協会(松濤館流)を設立された中山正敏先生と塩田剛三先生との濃い技術交流の一端を知ることができるブログを書かれている方がいらっしゃいました。

邂逅…あの時の「手合わせ」

 

 

 

 

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