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丹田から出す力って、なんだ!?

August 31, 2018

 先日、体験に来られた女性から「丹田から力を出すことをやってみたいんです」と要望されました。

え!? タンデン… う〜ん 

 

「確かに合気道では、丹田をいうところは多いですね。でも養神館合気道で、丹田という言い方を聞いたことがないです」「中心力、重心という説明ならしますが」

 

私は丹田という言葉を使ってしまうときがありますが、丹田イコール重心だと説明しています。人間の体に関節がなくて、真っ直ぐ立っているなら、全体の重心は、ヘソ下の奥あたり。だいたい武道で、丹田から出る力という場合は、この重心を動かして出す力を指すのだと思います。みたいなことを答えました。

私の解釈では、船こぎ、一教運動、臂力の養成などなど、どれも「丹田から力を出す」のと同じことです。

臂力の養成は、一教運動でもあるという説

 

 

そんな難しいこと聞くなよと思ったのですが、「合気道 丹田」でGoogle検索したら24,300件も出てきます。これだと合気道=丹田がキモだと思われても当然ですね。しかしあちこち読んでみても、正直なところ書かれているのは観念的な内容ばかりで、道場で説明されても理解できる人はいるんだろうかと思いました。

 

ともかく丹田の解釈はさまざまです。様々な分類方法があると思いますが、「重心派」と「重心以上の存在派」に大別できるのではないでしょうか。しかしどこで調べても「重心以上の存在派」の説明の方が多いのです。

 

私自身は、もしかしたら何かあるかもねと思いながらも、あくまで重心派です。重心(点)としてなら、その位置は姿勢によって変わる、呼吸によっても変わる。体の外に重心が出ることもあります。重心以上の「特別な何か」があるなら、体内の位置は変わらないはずです。

 

 

 

正直なところ、私は、丹田についてこうだと言えるほどの確信は何も持っていません。

しかし世の中に、こうだという明確な丹田論もほぼないのです。ネット上だけではなく、書籍でもほぼありません。「日本では昔から重要だとされてきた」「東洋の身体感の要」みたいなことばかりです。日本限定と東洋全体とでは、大きな差があるはずなのですが。

 

 

東京ディズニーランドという名称は、特に違和感ありません。実質的に東京圏にあるから、別にいいんじゃないかと思います。

でも例えば、学校の修学旅行で東京ディズニーランドに行くことになった。先生が生徒から「どこにあるの?」と聞かれて、「東京都浦安市舞浜」と答える。生徒たちが「へー、そうなんだ」と憶えてしまったら、かなりヤバイ学校ですよね。

 

 

科学が万能とも思っていませんが、これだけスポーツの世界がさまざまなジャンルの知見を集め、進化し、どんどん記録が更新されているのに、武道の世界では位置も機能も不明確な「丹田」という言葉が簡単に通用してしまうのでしょうか。

 

今回は知っていること、調べたりしたことを、書いてみたいと思います。丹田や丹田周辺のことを理解するのに役立ちそうな書籍を中心に、まとめてみました。

どなたが言っているのか明確なのは書籍です。各書籍の画像は、アマゾンにリンクしています。

 

結論はありませんが、これでもかというぐらいのボリュームです。簡単に書ければいいのですが、実は丹田論って、かなり危ないよなと思っているのです。

 

 

 

 

室伏宏治選手は丹田の力を使っている

 

元ハンマー投げの室伏宏治選手の身体能力に疑問を挟む人は、ほとんどいないでしょう。なんと室伏選手は、現役時代から丹田を活用した体の動かし方を追求し、腹筋運動は一切してこなかったというのです。

 

そう書いているのは、『人生を変える! 骨ストレッチ』です。著者の松村卓さんは、中京大学体育学部の出身で、元陸上短距離のスプリンターです。著者が新幹線で偶然、母校の恩師である室伏宏治選手の父・室伏重信氏と一緒になり、室伏選手のケガの少なさなどについて質問したときのことです。

 

 

室伏氏はニヤリと笑いながら、「松村、俺の右手を上から押してみろ」と言います。

言われるままに右手を押さえた瞬間、不思議な感覚が私の体にかけめぐりました。室伏氏が右腕の筋肉を使っている感触がまったくないのに、私が押さえた手が上へ上へと簡単に押し上げられてしまったからです。

(中略)

狐につままれたような顔をしている私に向って、「松村、丹田だよ!丹田! この力を使うと使わないとでは、まったく動作が変わってしまうんだよ!」。そんな言葉が返ってきました。

 

 

この描写、力感のなさが合気上げのように思えます。新幹線の座席に座り、肘掛けに腕を置き、手の平あるいは甲を上に向けたものを、横の席から押さえたとしたなら、合気上げとして超絶。絶望的な難易度です。それが丹田からの力?

 

合気上げかどうかは別にして、室伏選手のお父さんは、どうして丹田という言葉を使われたのでしょうか。室伏重信氏は中京大学体育学部の名誉教授で、日本陸上界のレジェンド。バックボーンを調べようとしましたが、武術・武道との関連はわかりませんでした。

 

室伏重信オフィシャルブログには、「力を発揮する順序」として

 

強い筋群の集まる体幹部(骨盤まわりや胴体)、そして大腿を先に働かせて、その力を手(腕や肩も含む)や足(下腿も含む)に伝える。手や足は速く働くが、体幹部より筋肉量が少ないため大きな力は出せない。このため大筋群の集まる体幹部から先に働かせ、末端の手や足に伝えることで大きな力が発揮できる。

 

そして、「私はこれら体幹部を丹田により操作することをすすめる。体幹部は丹田に操作されやすいような姿勢にしておかなければならないとあります。なんとなく理解できますが、丹田は一点?それとも広い範囲? 体幹部が丹田に操作されやすい姿勢とは、どういうことでしょうか。

 

室伏選手のことを調べてみました。動画を見てください。

 

 

脅威の身体能力に驚きますが、14秒ぐらいのところから始まる棒術のようなトレーニング方法。一枚の板が動いているような体幹部。姿勢としては立禅のように骨盤・背骨がほぼ真っ直ぐで、中心軸で回っているように見えます。それも一切ブレない、強固な中心軸。

 

姿勢は理解しやすいのですが、なぜあえて「丹田」とおっしゃるのかが疑問のままです。「下腹部で体幹部を操作する」なら、体育学部の教授らしい表現だと思うのですが。

 

 

『人生を変える! 骨ストレッチ』に戻ります。

著者の松村卓さんの言葉で、丹田について書かれています。

 

臍下三寸(へその下から9センチ)といった言葉が使われることがありますが、指先で押した時、ゴムまりのようにポンと強く跳ね返ってくる場所が丹田にあたります。

(中略)

丹田が重要なのは、体幹の中心部に位置しているからです。体の中心を起点にして体を動かせれば、最も効率よく力が発揮できます。

(中略)

また、重心が安定することで精神的にも落ち着きが生まれ、ピンチになっても動揺することがありません。文字通り、「腹がすわってくる」のです。

 

 

この説明内容にも、それほど違和感はありません。でも言葉の重ね方が、どうかと思います。

 

骨ストレッチは私もやっていますし、会員にもおすすめしています。特に『人生を変える! 骨ストレッチ』は詳しいし、明解でわかりやすいのです。

ところが丹田についての説明は、とてもあいまい。丹田という言葉が →体の中心 →重心に重ねられています。『人生を変える! 骨ストレッチ』は、2016年の発行ですが、こういう言葉のずらし方は、江戸時代の伝書と同じなのです。

 

江戸時代ならともかく、現在のスポーツの指導者が説明するのであれば、重心なら重心、中心なら中心、あるいは重心だから中心という説明でいいんじゃないかと思います。

 

 

エビデンスのない丹田という言葉をあえて使うなら、中心や重心以外の意味があるはずです。何かしら意図があるはずです。

 

 

 

 

丹田とは不老不死の薬を体内でつくるための「内なる丹」?

 

丹田の元々の意味を調べて行くと、「錬丹術」これも道教だ仙術だと諸説ありますが、不老不死の薬を作っていた。その薬「丹薬」に行き当たります。

 

ウィキペディアの錬丹術には「煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかった。少なくとも6人の唐の皇帝が水銀中毒で死亡したことが清代の趙翼の著『二十二史箚記』巻19新旧唐書 唐諸帝多餌丹薬に述べられている」とあります。

不老不死の薬を作るという本来の目的では、完全な失敗に終わった。それで不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹の考えにつながっていくという展開です。

 

化学的に不老不死の薬「丹薬」を作るのではなく、「内なる丹」つまり丹田をつくるという発想になった。丹田とはそういうものだと考えるのが、歴史的には妥当ではないでしょうか。

 

 

錬金術は、古代においては学問の一部であったり、化学物質を生み出したり、その後の近代化学へと引き継がれたといわれます。解釈がどうであれ、いかがわしいものと科学が混在しています。

錬丹術は、近代的な方法へと変遷していったでしょうか?

 

 

 

 

丹田のさまざまな解釈と、理解するための切り口

 

私は、丹田って重心だよ。それも動かずに立っているときの場所だよと思いながら、なかなかスパッと言い切れない。もしかしたらと思う理由が、いくつもあります。日本では丹田といった場合、さまざまな意味で解釈されています。

 

丹田の場所や機能、役割りを考えるときに、物理的/心理的/生理的な切り口があると思いますが、あまりにも伝統芸能や宗教/精神世界的な側面が強いのです。武道に関係あるないで切って行くやり方もあると思いますが、なかなか切り離せません。

こういう解釈があって、互いに関係してるよねという切り口を、私なりに図にしてみました。

重心だけで解釈しようとしても、礼法の所作には動きの合理性だけではなく、日本的な美意識が強く影響しています。伝統芸能の頭を上下させずに歩くすり足は、重心移動するエネルギーをロスさせないということよりも美意識ですよね。

腰肚で動くという言い方も、はたして身体操法なのか、ほかになにかあるのか、なかなか断定できません。

 

 

剣禅一如という言葉があるぐらいで、剣や弓の境地は禅と通じるといいます。座禅でも臍下丹田丹田呼吸法という言葉がよく使われています。

また禅や神道系でも、内観法として気海丹田という言葉があります。あるいは丹田は上中下の三つあって、一般的に言われる丹田は下丹田だとする考え方もあります。

ツボとしても石門(せきもん)だとする説明もあれば、関元(かんげん)という主張もあります。

 

 

こういうマジ度の高いジャンルだけではなく、いまやマインドフルネスの流行で、瞑想にともなう丹田呼吸法が、オシャレなライフスタイル扱いのようになっていて驚きます。

 

 

 

 

武道の世界で丹田についての詳しい説明は、ほぼない

 

武道の世界では「古くから丹田を作ることが重要だとされてきた」という記述ばかりで、丹田の正確な場所やそれ以上の何かである「何か」の説明は、探してもまず出てきません。

そもそも、いつ頃から丹田という言葉が使われはじめたのでしょうか。

『古武術と身体』という本には、丹田についての記述があちこちに出てくるのですが、こうあります。

 

 

何事においても丹田に気をおいて行動することは非常に重要なことである。このことをいう人は古来少なくない。しかし、それを知って実行する人は少ない。(中略)もっとも武術家には、そうしたことを稽古のなかで理屈ではなく、体得するものだという考えがあり、逆に実践されていても、その論が詳しく語られることはほとんどの流派においてない。

 

 古武術、一刀流や念流、新陰流、二天一流、渋川流、起倒流、大東流が紹介され、口伝や伝書から「人間は小宇宙であり、神仏であるといった壮大な思想が内在する。身体操作においては気を丹田に収め、丹田を主体にして動作することがどの流派においても重視されていた」という趣旨のことが書かれています。

 

 

著者も「実行する人は少ない」「丹田論が詳しく語られることはほとんどない」とする一方で、口伝や伝書では「丹田を主体にして動作すること」が重視されていたと書いています。そして日本的身体操作の秘密という章では、幕末から明治期、医術、仙術、仏教、バラモン、神仙道、禅宗などを学んだ著名人による「丹田論」が紹介されています。

 

そうすると結局、武術ではなく、宗教的な行法ということですね。しかも詳しく知る人はほとんどいないということなら、よく分からないけれども信じられていることですね。

想像すると現代と違い、江戸時代に宗教的な信仰を持たなかった人はほとんどいなかったはず。それも神仏を問わず、まじない、祈祷、占い、祝い、治療、供養、祭り、政治、農業も漁業も一揆や戦も、みんな宗教的世界感の中の出来事。武術と宗教的な観念や行法が切り離せなくて、当然です。

 

 

 

ところが現在の丹田論も、ほとんど江戸や明治期の説明と同様です。いつの間にか丹田が肚や腰にすり替わっている詐術的な説明が多いのです。

遥か彼方の江戸時代、明治時代の概念のまま「日本は腰肚の文化。その伝統が分からないのか?」と強引に押し切られているようで、このあいまいさ、私にはかなり違和感があります。

 

現代では、伝承を裏付けるものもなくても、権威づけのために「伝統だ」ということがほとんどです。伝書や記録がないのに、江戸時代から脈々と受け継がれてきたなんていう場合、ほとんど勘違いが捏造です。記録がなく、江戸時代からの伝言ゲームの結果なら、原形とは似ても似つかないものになっている可能性が高いと考えた方がいいでしょう。

 

 

 

「丹田をつくる」と安易に言うことの危険性

 

あいまいなことを武道という枠の中に当たり前のように含んで、道場の中で教えるのはどうでしょうか。

今、学校の運動部やアマチュアスポーツの問題が取りざたされることが多くなっていますが、それは組織や指導者がスポーツそのものと、勝敗や精神論、健康法、礼儀などをごっちゃにして、教育だとして考えているからではないでしょうか。

 

 

 

丹田のつくり方には、呼吸法で腹圧を高めたり、座禅や鎮魂法などを行うことがあちこちで書かれています。これは長い指導経験を持つ指導者の管理下で行わないと、かなり危険だと私は思います。

腹圧の掛け方、その程度に関しても千差万別なのです。週に1回程度やるぐらいなら大丈夫だと思いますが、武道の場合は毎日のようにやる人が出てくる可能性だってあります。

 

そんなの筋トレだって危険性はあるという人がいるでしょう。

確かに通販で、重いバーベルセットを揃えることはできます。試しに「ベンチプレス」で検索したら、上位にはここまで説明するかというぐらいに、専門家が方法を解説したサイトばかりがズラッと並びます。

「丹田」で検索すると、上位はウィキペディアやNEVERまとめなのです。

 

 

学校の部活で指導者が、そうか室伏選手が丹田から動いてるのか。じゃあうちの部でも早速取り入れようなんてなるかもしれません。室伏選手のトレーニングを表面的にマネさせたら、腰を痛めたり、ウンコを漏らしてしまうかもしれません(笑)

 

 

 

まだ、漏らすぐらいならいいですよ。宗教での行法は、たいがい変性意識状態/神秘体験をともなうもの。オウム真理教は手っ取り早く神秘体験をさせ、修行の成果だと錯誤させるために麻薬を使ったいいます。

 

安全そうに思える座禅でも、禅宗の坊さんの中には禅病にかかる人がいるといいます。

鎮魂行は、本来「生きている人間から魂が離れていこうとするのを鎮める」ものだと言いますし、魂振は魂を振るわせて活性化させるというものです。

丹田のことを調べると、必ずといっていいほど登場する白隠禅師は、ご自身が禅修行で禅病(精神的な病)になられた。京都北白川の岩窟に住む仙人から「内観の秘法」を授かり、回復した。同じように禅病で苦しむ修行僧たちに、白隠禅師が治療方法として教えたとして知られるようになったのが、内観の秘法であるイメージトレーニングや丹田呼吸。だから修行法というより、むしろ療法養生法ですね。

 

 

禅僧や神職でもそれらの行を適切にサポートできる人はそう多くはないはずなのに、どうして合気道の指導者には、指導できるかのように発信している人が多いのでしょうか。詳しい説明もなく、合気道をやるための呪文のように扱うのはどうかと思います。

 

腰はともかく、肚は「腹ができる」とか「腹の座わった人物」という言葉もあれば、「腹芸」「腹黒い」というネガティブな表現にも使われていて、それほどいいものではありません。それに丹田が腰肚なら、胴体の半分ほどが丹田になってしまいます。

 

 

 

東洋的な古くからの丹田感とは?

 

古くからの東洋的身体感だからいい、なんてことあるはずありません。それは西洋医学がダメで、東洋医学がいいと言っているのと同じです。どちらもいいところもあり、得意じゃない部分もある、ぐらいに見るのが客観的な判断ではないでしょうか。

例えば漢方薬は、症状だけではなく、その人全体を診て、体質を診断して処方されるといいます。漢方薬にも副作用はあります。同じように誰にでも向いている、プラスの効果しかない行法などないはずです。

 

 

 

前述の『古武術と身体』では「人間は小宇宙であり、神仏であるといった壮大な思想が内在する。身体操作においては気を丹田に収め、丹田を主体にして動作することがどの流派においても重視されていた」と書かれていますが、その元になった古来からの思想とは何でしょう?

どこでも古来からの昔からのと書いているだけで、内容がありません。

 

 

桜沢式食養法の桜沢如一氏に師事し、海外でマクロビオティックを広められた久司道夫氏。ジョン・レノンやマドンナにも食事指導をされたそうです。ローソンがナチュラルローソンを作るための指導をされたりと、日本ではオシャレな扱いのマクロビですが、氏の著書『導引』という本には、古くからの、と思われる東洋思想が書かれています。

 

 

第一部 神仙道について 第二章 人間の身体的構造、精神的構造についての中の「チャクラと霊的通路」の項目の丹田についての項目から抜粋します。

 

天の力はさらに下降して、小腸の下部を強力に充電する。この部分は腹部領域の中心で<気海>と呼ばれ、「電磁力の海」という意味である。この部分はまた<丹田>とも呼ばれ、ハラ<肚・人体の田>という意味である。

 

地の力はさらに上昇して、腹部で下降してくる天の力とぶつかりながら、強力に充電し続ける。このことが様々な腸の活動をさらに加速して、腸液や成長ホルモンの分泌を活発にする。女性の場合、「電磁力の海」として知られている<丹田>の部位が、子宮の最も奥の部分になり、そこに受精卵は着床して胎盤を作る。

 

 

丹田の機能について、これほどハッキリと書かれている文章は珍しいです。

しかしこの解釈が正しくて、この認識で“健康法”をするなら、医学的なエビデンスが必要ではないでしょうか。著者がどこから学ばれたかの記述はありません。

 

 

 

 

最も詳しいのは弓道の『射法八節』

 

丹田から力を出すといっても、図示したものはほとんどありません。あるのはスピリチュアルなイメージの、ふんわりしたものばかりです。

 

いまどき図にしない理由は、2つしかありません。まず説明している人が、理解していない。適当なことを言っているケース。

そしてもうひとつは、一般公開しない。道場で口伝でのみ、伝えるというスタンス。武道の場合、確かに少なくありません。技の細部やコツ、心法などに関しては、道場の中じゃないと伝えられないことはいくらでもあります。

 

しかし丹田に関しては、位置が秘伝とか、そんなことがあるわけありません。これだけ多くの人が知っている言葉なのに、位置が分からない。機能も説明できない。原因は秘伝だからだとしたら、まるで都市伝説です。

 

 

武道関係の中では、私が知る限り、全日本弓道連盟の『射法八節』が図を使いながら最も詳しく説明されていると思います。射法とは、弓矢で射を行う場合の射術の基本ルール。足踏み(姿勢のつくり方)から残心までを解説されています。

弓道場にも掲げられていたりします。

 

 

6の会(かい)から7の離れ(はなれ)にかけて、連盟のホームページでは現代の言葉で「心身が1つになり、発射のタイミングが熟すのを待ちます。呼吸を詰めず、お腹の力が八分九分に満ちるのを待ちます。上下左右に力が十分伸び合い、気力が丹田(たんでん=お腹)に八分から九分満ちた時に、気合の発動で矢を放ちます」という記述があります。

 

丹田=お腹と説明され、図の中では臍の下、下腹部が示されています。たぶん言いたいのは点ではなく、広く下腹部だと想像できます。「呼吸を詰めず、お腹の力が八分九分に満ちるのを待ちます」とあるので、息を止めないのだな、腹圧を上げ過ぎるなということなんだなと解釈できます。

腕と胸に意識が行きがちだけど、意識を下腹部におき、そこから両足・両肘へとクロスに広がる張り感・力の流れを持つように図示しているのだと理解しました。

 

ここまで示されていれば、私は親切だと思いますし、これなら健康を害する危険性も少ないと思います。

 

 

 

 

合気道での丹田の取り扱いは、どうなっている?

 

・植芝盛平合気道開祖の言葉

 

植芝盛平開祖が、どうおっしゃっていたのか。以前から気にして注意していたのですが、書籍では私は2つの記述しか見つけられていません。

 

ひとつは植芝盛平先生口述『武産合気』。この本に書かれていることを抜粋します。

 

 

鎮魂というのは、遊離の魂を自己の丹田(たには)に集めることである。遊魂を集めることです。遊魂とは想い(魂)が邪霊(業想念)にとらわれ、魅かれて正守護霊から離れて遊びにいっている状態で、これを自己の丹田に収めることを鎮魂というのです。

 

この鎮魂は、宗教的な行です。『武産合気』自体が、宗教法人白光真宏会から出版されていて、編著は白光真宏会の五井昌久開祖です。五井開祖は、元は成長の家であったそうですから、宗教的には植芝盛平開祖と同じ大本教の系統に属するようです。ウィキペディアによると“合気道開祖・植芝盛平とは肝胆相照らす仲だった。五井は植芝を「神の化身」と讃え、植芝は五井を「祈りのご本尊」と敬った”とあります。

 

合気道を理解するには精神面も理解しないとダメだという言説は少なくないですし、行法を残されている団体も少なくありません。しかし、どう残されているのか、指導できる人がいるのかが問題です。

 

 

塩田剛三先生は、『合気道人生』の中でこう書かれています。

 

植芝先生は大変な信仰家でした。大本教の出口応仁三郎氏に師事され、同師に師事することによって永遠の力が継続されると確信しておられました。そのために、朝夕の礼拝が大変で、祝詞をあげ、すべての神様(日の神様から水や草に至るまでの神様)にお礼をするのです。約一時間半かかりました。神様のことに関してはきわめて厳しく、少しでも粗相があれば大変なことになりました。そのことも厳しい修行の一つでした。私はなかなか神を信じる気にはならず、ただ追従していたに過ぎませんでした。

 

 

私が養神館に所属し稽古させていただき、いいと思っている理由のひとつは「宗教色がない」ということです。宗教が悪いとは思っていませんが、武道で自分に確信や体感がないのに、無条件に指導者を信じるのはどうかと思います。

 

ちょっと脱線しますが、植芝開祖の初めての外国人内弟子アンドレ・ノケ氏の有名なエピソードがあります。アンドレ・ノケ氏は、フランス人でクリスチャン。

「合気道は宗教なんですか?」と尋ねたノケ氏に、植芝開祖は「キリストは宗教を創られたが、私は宗教ではなく術を創った、それが合気道だ。だが、あなたが合気道を真剣に修業すれば、よりよいクリスチャンになるだろう」と答えられたといいます。

日本古来の八百万の神々への信仰とは、本来そういうものだと思います。

 

 

 

話を元に戻します。

もうひとつ、開祖の言葉で見つけられたのは『気の妙術』の<序章・触れずに人が飛ぶ>での記述です。平成10年出版の改訂新版では、合気会本部道場 渡辺信之師範の触れずに飛ばす技法の要は呼吸だという説明に、こう書かれています。

 

合気を知らない人は、木刀を振りおろすときに意識しているから、そのときに息を“吐く”けれども、私たちは吐きながら上げて、吸ってから落とす。落とすときは腹にためて、息は止めているわけです。ーーこれが呼吸、つまり腹式呼吸ですよ。

息を吸ったままで、体を球体に膨張させる。これを開祖の言葉でいえば、『中心は重心、重心は中心』ということになるでしょう。自分の中心とはヘソです。

 

禅宗のお坊さんなら、動かないから座禅で“丹田”だけを作ればいいのかもしれない。けれど、武道家は動かなければなりません。そのときは臍下三寸ではなくて、“ヘソ”から動くものだと私は感じています。

“ヘソ”を中心として動く。空気が自分に満杯であれば、軽く動けます。

 

 

開祖が『中心は重心、重心は中心』とおっしゃっていたのかと検索してみましたが、出てきません。『中心は重心、重心は中心』という言葉には、とても納得できます。ただ開祖が中心・重心と丹田を同一視、あるいは別なものとして扱われていたかどうかは、なんとも分かりません。

 

渡辺師範は、ヘソを中心として動くとされていますが、物理的には体表のヘソが重心ではありえません。と、思っていたのですが、『気の妙術』には渡辺師範の上半身裸の全身写真が掲載されています。後述しますが、私はそれを見て、あ、これはあの姿勢かと思ったのです。

 

 

 

・養神館合気道龍 安藤毎夫師範の丹田力と呼吸力

 

最初に「養神館合気道で、丹田という言い方を聞いたことがない」と書きましたが、読んだことはあります。養神館合気道龍の代表、安藤毎夫先生の著書『合気道の解』です。

 

安藤師範は養神館本部道場を退職、養神館合気道龍を設立されてから、熊野で三日間の修験道の修行をされた。山の頂上の洞窟で断食し、山を降りては滝行をするというプログラム。帰宅後、数ヶ月して水をかぶるという発想に結びついたと書かれています。

 

 

 

早朝に水を木桶で10杯かぶった。取りあえず1年間続けることにした。体の調子が悪い時でも、なんとかやり遂げた。この行で丹田力が理解できた。凍てつくような寒い季節に早朝、水をかぶると、丹田の部分がパッとふくらむのである。体の非常事態に対し、最も強い態勢を体が自然に取るためだと理解した。

 

私にとっては、これが最も腑に落ちる、重心以外の丹田の説明です。位置については何も書かれていませんが、瞬間的な体温の低下に対して、内蔵を護るための自動的な体の反応。意識して膨らませたり、力を込めたりしないで反応が起こる場所が丹田という解釈なら、生命の源と言っていいかもしれません。

さらに

 

その後、日々の稽古での膝の動きが、この丹田の力の発動に大きく関係しているということがわかった。中心力から呼吸力への変化は膝の動きにあったのだ。丹田から発する力を呼吸力と呼ぶ。それは肺の呼吸ではなく、下腹部・丹田部分の一種の呼吸であるからである。

 

『合気道の解』を初めて読んだのは、7、8年前。そのときは、さっぱり分からなかった記述ですが、今回このブログを書くために読み返してみて、「え、丹田からの呼吸? それが呼吸力!?」となんか衝撃が走りました。

 

足裏から螺旋状に来て前方へと向うのが呼吸力かと思っていたら、もしかして射法八節のように丹田から出る。それが上下に向う!?  と興奮したのが4週間ほど前。以来、追求してみていますが、進展はありません(笑)

 

 

 

・心身統一合気道 藤平光一師範の臍下の一点

 

合気道における丹田周辺の言説では、藤平光一先生の「臍下の一点」が有名です。

 

藤平先生によると、臍下丹田は広く下腹部を意味する。そして力を入れてしまう。だから力の入らない無限小の1点、古来からいう臍下三寸(一寸はほぼ3cmなので恥骨の上あたり)にあるとされています。

あくまで私の解釈ですが、図にしてみました。

 

 

藤平先生のお作りなった心身統一合気道は、常に、ほぼ正中線と鉛直軸が一致しているのかもしれません。

 

 

臍下の一点は力の出所ではなく、心を静める心身統一法と解釈してもいいのかもしれません。私は力の入らない無限小の1点という設定が、慧眼だと思います。

 

藤平先生がおっしゃる通りで、力を入れてしまうのです。充実させるとは、腹圧を高めること? どの程度というところが何もありません。座禅の禅病については先に触れましたが、腹圧や腰の形などが原因とは言い切れませんが、ヨーガのインストラクターでも体を壊してしまう人がいるといいます。

 

心身統一道なら、合気道ではなく中村天風氏の教えがベースですから、元はヨーガということになるのかもしれません。中村天風氏が教えるクンバハカは「肩の力を抜き肩を下げ、下腹に力を充実させる」姿勢ということですから、「力の入らない無限小の1点」と「下腹に力を充実させる」では、かなりの差があると思います。

 

 

実は、藤平先生は中村天風氏に「先生、クンバハカというのは間違っていますよ。だって先生はクンバハカをやっていますか?」と聞いたという。当時のクンバハカ法は、下腹に力をこめろと教えられていて、それだと安定打坐、心身統一にならないと指摘されたそうです。

そう書かれているのは『中村天風と植芝盛平 氣の確立』という本。

 

タイトルからすると、中村天風と植芝盛平から学んだことがメインに思えますが、あくまで著者・藤平先生の自伝的内容です。しかし事実がどうあれ、呼吸法や力を込める込めないは、同じ人から学んでも違ってしまい、真逆の結果になってしまいかねないことを教えてくれている内容です。

藤平先生は「弟子の罪じゃなくて、教えている先生の罪ですよ」と言ったと書かれています。

 

教えている人が間違っていて、それを何年何十年と修行していたら、どういうことになるでしょう。

 

 

 

 

肥田式強健術の丹田は「正中心」

 

丹田といえば、有名な肥田式強健術があります。肥田式強健術を創始された肥田春充氏が自分の身体を実験検証した結果、人体の物理的中心、丹田=正中心はここだと大正時代に出版された著書の中で発表されたというのです。

とにかく私の知る限り、丹田の位置を具体的にピンポイントで図で明示したのは、肥田式強健術だけ。大正時代に発表されたのに、それ以降、いや肥田式の丹田の位置は間違っている。ここだと示した人もいないと思います。丹田についての言説はいくらでもあるのに、不思議です。

 

 

『肥田式強健術』という本によれば、二つの鍛錬すべき重要なところがあって、ひとつは「正中心」、もうひとつが「聖中心」だとあります。“鍛錬すべき重要なところ”とあるので、場所を意味しているのだと思います。場所なら、正中心と聖中心は同じだと思うのですが、違うようです。

 

ともあれ抜粋すると「正中心部は強健術鍛錬の目的そのものである“腰と腹の真ん中”で“腰力と腹力を同量”にして形成するものであり、伝統では“臍下丹田”と言っていた局所である」とあります。

そして聖中心に関しては、「“臍下丹田すなわち腰腹同量部”に形成された極めて強力無比な力の作用が仙骨神経叢を刺激して、脊髄神経を通って脳幹部の覚醒をもたらす。その覚醒された脳幹部から生み出されるところの偉大な能力を“聖中心”と呼んで、覚醒された脳幹部を聖中心部と(創始者が)命名されたのである」とあります。

 

つまり正中心は臍下丹田と呼ばれる場所で、聖中心部は覚醒された脳幹部ということらしいです。そうするとこのブログのテーマにかかわるところをまとめると、「丹田は、鍛錬して強力無比な力の作用を作り、仙骨神経叢を刺激し、脳幹部の覚醒をもたらすトリガーにすべきもの」というようなことでしょうか。

 

 

図示されているものは、権利関係もあるでしょうし、本やネット記事の著者によって微妙に違っていますので、ここでは引用しません。少なくとも極端に尻を後ろに出し、腹が膨らんでいるのです。その膨らんだ腹に正中心があります。

正中心を示す、創始者の基本姿勢の説明としては以下のもののようです。

 

腰椎と仙骨との接合点に力を入れて反った姿勢を造りそこから臍の方へ地平に対して平行線を引き、鼻柱と胸骨の中央から地平に対して垂直線を下ろし先の平行線とが臍のところで直角に交わる。それと仙骨の上端と恥骨を結ぶ線とで直角三角形ができ、その各々の角を二等分した線を相対する辺に結びつけると三線は一点で交わる。

 

 

肥田春充氏の動画です。

 

 

この基本姿勢、私には出来ません。こんなに反れません。こうなるように鍛錬する。その結果、正中心が得られるということでしょう。

 

この基本姿勢、前述の『気の妙術』に掲載されている合気会本部道場 渡辺信之師範の、上半身が裸でタスキをかけた状態の写真と酷似しているのです。渡辺師範は「腰骨と仙骨の接合点とヘソを結ぶ線が水平」にはなっていなさそうですが、かなり下腹部を突き出されて、近い姿勢に見えます。

 

 

 

・甲野善紀先生の肥田式強健術論

 

肥田式強健術創始者・肥田春充氏が、どういう超人であったかを書いている、甲野善紀先生の著書もあります。

 

学校で体育という教育を受けるが、本当に身体を育むものなのか? 「裏の体育」は近代化によって歴史に埋もれた民間鍛錬法・健康法。表と裏をどうつなぐかがテーマです。

そして本書の1/4ぐらいは肥田式を取り上げていて、西洋的な分析手法を取りながら、現代医学とは相反した主張を続けた肥田春充氏という扱いです。さらには、肥田春充氏の著書などからの引用を、ビックリするほど豊富です。

 

この本で重要な視点は、ここ。

 

宗教と政治とが分かれたように、道徳と法律が分離したように、観念と体育ともまた別にしてやりたいと、私は考えた。観念によって、妄想を抱き、強いて精神を以て、身体を支配しようとしても、身体の弱い者や、神経の衰えたものは、かえってそれがために、頭脳を苦しませるのである。禅の考案なども、隻手の声というような、難題な題目を与えて、その事について、専心思いを凝らしめ、以て自ら雑念が除かれ、妄想が去り、期せずせずして、上体の力が抜けて、重心が、物理的中央に落ちるに到らしめる処の、単なる方便に過ぎないのだ。

 

『聖中心道・肥田式強健術・天真療法』から甲野先生が引用されたものの一部を、私が引用しました。

 

この部分、とても共感します。肥田式の基本姿勢ができないので物理的中央は分かりませんが、多くの行法は、方便をくっつけているだけ。その必要のない方便が、むしろ精神面で危険です。

 

 

 

・肥田式を実行した丹田格闘術

 

肥田式を実践して、散打の国際大会で60kg級銀メダルに輝いたという方もいらっしゃいます。『技と知覚の丹田格闘メソッド』という本の著者・木澤良文氏です。

 

この本の「あとがきにかえて」には、「丹田の武術的使用といえど、重心を操作することで得られる効果には限界があります。大きな力を発揮するためには土台となる身体を鍛えなければ自分が壊れます」とあります。

提唱される丹田格闘技というのは「拳種というより修行の方法であって、武道・武術の技で肥田式を実行し、丹田を鍛え“中心力”の獲得を目指します」とあります。

この本で紹介されている丹田・重心を乗せた歩法や踏み込み、打撃、どれも強力だろうなと想像できますし、物理的な理にかなっていると思います。ただ、強大な威力は強大な反作用として跳ね返ってくる。そのマイナスを丹田を練るエネルギーに利用するのが“丹田格闘技の奥義”だとあります。

 

そして「重心の獲得は物理的運動効果だけではないのです」と書かれています。ざっくりまとめると、重心に意識を置くことで「同調」の条件である「無心」を生み、無心が武術的な「読み」「直感」を生むという論なのだと思います。

 

分解写真から重心の使い方がヤバイな。ほぼ垂直に落下して、ギリギリのところで前方に飛び出すのも超人技だなと思います。しかしそれだけじゃない、物理的運動効果以上の能力を獲得できるというのですから、驚きです。

 

そもそも肥田式強健術は超人化するためのもの。私にはさっぱり分かりませんが、これこそ取り組むなら、これらができて経験豊富な指導者の指導を仰がないとダメだと思います。

物理的運動効果だけでも、このメソッドが「強大な威力は強大な反作用として跳ね返ってくる」ことは、間違いなく理解できます。

 

 

「読み」などの心的な作用になると、私にはさっぱりわかりません。

ましてや創始者の「仙骨神経叢を刺激して、脊髄神経を通って脳幹部の覚醒」とは、どういうことでしょうか。

仙骨神経叢について調べると、仙骨には仙骨孔と呼ばれる4対の穴がありそこから出ている神経の束のこと。これらの神経が骨盤・臀部・性器・大腿などの筋肉や皮膚を支配しているそうです。

 

 

 

 

 

腸はどうして第二の脳と言われる?

 

なんとなく重心と意識の置き所が一致すれば落ち着くとか、悲しいことがあると胃が痛むとか、経験的に理解できることもあります。

肥田式で言われる仙骨神経叢への刺激は、とても珍しいのです。

 

 

通常、腹を特別視する立場からは、どこでも太陽神経叢の存在が言われます。太陽神経叢がイコール丹田だとする説も根強いのです。しかし太陽神経叢というネーミングは、いったいどこから来たのか。そんな情報すら、なかなかありません。

ウィキペディアの交感神経のページに、こうありました。

 

交感神経は遠心性と求心性の線維から構成される。3つの大きな結節した神経叢(側副神経叢)が胸部、腹部、骨盤部の脊柱の前に位置していて、それぞれ心臓神経叢、太陽神経叢、下腹神経叢と名付けられた。

 

 

これが医学的な情報なのかどうか、なんともわかりません。

しかし上の説明が正しく、下腹神経叢という存在があるなら、太陽神経叢はその上。丹田が臍下三寸にあるなら、太陽神経叢ではなく、下腹神経叢じゃないのか。

太陽神経叢で意味したいのが腸だとしても、大き過ぎます。大腸の上の方、左右は肋骨に隠れています。そこは腰でさえありません。

 

丹田イコール太陽神経叢説も、かなり乱暴です。なんとなく特別視されている丹田に、別の

特別視を重ねようとしているのだと思います。

 

 

太陽神経叢を特別視するのは、近年、腸は第二の脳という概念が拡大してきたからではないでしょうか。進化論的には、最初の脳だとする立場もあります。その根拠は、脳からの指令がなくても、腸は独立して動ける。脳に指令を送って、脳内物質を分泌されてもいるのだそうです。

 

ざっと知りたければ、下の動画の字幕を翻訳設定で日本語にして見てください。

 

 

 

「腸は第二の脳」だけではないですが、腸、あるいは内蔵について特別視される理由について掘り下げてお知りになりたければ、分かりやすい書籍はこちらです。

 

腸について面白おかしい本は、これ。

 

武道と関わる記述があるのは、これ。

 

 

 

呼吸法で腹圧を高めることは必須?

 

 

前述の『肥田式強健術』という本には、腹式呼吸法、胸式呼吸法のほかに「“イキミ”という呼吸法」という小見出しまであります。

“イキミ”は一般的な筋肉の緊張によらないもうひとつの緊張誘導法であって、民族が培ってきた伝統の呼吸法により腰に力を入れる気合い呼吸だとあります。

ところが呼吸の専門家ですら語られることのない幻の呼吸法であるだけに、“イキミ”と“リキミ”または“リキム”と混同されて語られることが多いそうです。

 

“リキミ”とは呼吸を停止して、息を「ウッ」と止めて力を硬直する状態を指していて、“イキミ”とよく混同されるのであるが、根本的に全く異なる方法であるのだ。

 

 

語感からも混同します。“イキミ”の詳しい方法も書かれていないので、試しようがありませんが息を止めないなら、それで腹圧を調整しているのかと思ったら、“イキミ”で腹圧の記述はありません。

 

 

前述の『射法八節』は「呼吸を詰めず」ですし、丹田ではありませんが合気会の渡辺師範は「剣を落とすときは腹にためて、息は止めた腹式呼吸」です。呼吸の方法、息を止める止めないところからして千差万別です。

結果、腹圧の程度もどれぐらいというのが、まったくわかりません。もちろん、文字で伝えられるものではないですが。

 

養神館の指導者でも「腹圧を高めていると二ヶ条がよく掛かる気がする」と言っている人がいます。呼吸によって腹圧を高めれば、体幹部が強くなるから、技がよく掛かるのはあるかと思います。

 

実は私も、10年以上前から腹圧を高める方法をやっています。ただ呼吸によるものではなく、日常的にずっとやるというより意識もしていないのですがオススメはしません。私ひとりぐらいの人体実験で、どうのとは言えません。

 

呼吸法や腹圧を高める方法は、どれも危険性を孕んでいます。私が大丈夫でも、あなたには向かないかもしれません。室伏宏治さんや室伏由佳さんに効果的なトレーニング方法でも、そもそも室伏家の肉体的な遺伝子が違うだろうよと思います。

 

心的な効果があるなら、副作用だってあるのです。せめて何千人規模で実施されて、その結果がこうだったという検証がされないもでしょうか。それでもスポーツだって武道だって、故障した人の多くは辞めてしまうのです。

ごくごく少数が成功したからといって、そんなのは薬なら臨床試験にもなりません。

 

 

実はひとつだけ、検証されているはず、と思える方法があります。

 

 

 

スタンフォード大スポーツ医局が提唱するIAP呼吸法

 

IAPとはIntra Abdominal Pressureの略で、日本語だと「腹腔内圧(腹圧)」だそうです。これが書かれているのは『スタンフォード式 疲れない体』という本です。

 

この本によると、アメリカの大学スポーツにはNCAAという組織があり、24競技の成績を評価し、ランキングしているそうです。そのランキングでスタンフォード大は2017年まで23年連続で総合1位を獲得しているそうです。

 

そんな全米最強のスタンフォード大スポーツ医局が実践している最新のリカバリー法と、世界でもトップレベルの同大の科学的知見。この2つを軸に「疲労予防」と「疲労回復」のメソッドを初めてまとめたというのが、本書の売り文句です。

著者は、スポーツ医局のアソシエイトディレクター。同時に現役のアスレチックトレーナーでもあり、現在東京オリンピックに向けて水泳チームを担当されているそうです。

 

この著者の方は日本人ですが、 プロローグからこれでもかと権威づけが繰り返されるので、最初はパラパラと立ち読みで済まそうと思っていましたが、IAPにはなるほどと思い、購入しました。

 

実際、IAP呼吸法に関連する記述が、かなりのボリュームを占めます。

基本的な視点は「疲労予防」。疲れない体のポイントは呼吸にあるといいます。

 

胸呼吸が適切でないのであれば何がベストか ーじつはそれこそ、これからお伝えする「疲れない体」作りのメソッド。「IAP呼吸法」です。

この呼吸法に切り替えることで、体の中の圧力が高くなり、その圧力で体の中心(体幹と脊柱)は安定します。そうすると、中枢神経の通りが整い、無駄な動きや筋肉の負担が減って疲れにくくなる、という仕組みです。

 

IAPみたいな呼吸法は、私は初めて知りました。吸うときも吐くときも、お腹を膨らませたまま腹圧を掛けているのです。一般的に腹式呼吸は、吐くとき凹ませて、吸うときに膨らませます。丹田呼吸と呼ばれているものは、逆腹式呼吸。吸うときに凹ませているはずです。

 

 

IAPのメソッドを開発したのは、チェコのパベル・コラー博士。IAPは博士が提唱するDNS(動的神経筋安定化)という“筋肉より神経に着目した身体機能理論”の中で、もっとも重要視されているそうです。

 

なぜなら、人はみな、赤ん坊のときに「お腹の圧力を保ったまま呼吸」していたから。

乳児期、腹圧呼吸をすることで体は徐々に安定しはじめ、首が据わり、寝返りが打てるようになります。そして、やがて赤ちゃんは立てるように。

 

これこそまさに「体の中心が安定し、スムーズに中枢神経と体の各部が連携する、万人に共通する最適で効率のいい体の使い方」です。

 

 

なるほどです。

他にも筋肉や関節にあるプロプリオセプターという組織。これは今、関節や筋肉がどんな位置で、どんな速度で動いているかという情報を、脳にフィードバックする働きを持つセンサーなのだそうです。この伝達経路を整えるのが姿勢。腹圧をかけて体の中心を安定させ、整備しましょうともあります。

 

しかし多くの人は、腹圧をかけたまま呼吸できない。だからIAP呼吸法をするためのメソッドが、詳しく書かれています。

丹田について書かれた本ではありませんが、呼吸法と腹圧について、ここまで詳しい本はそうありません。

 

 

内容はとても面白いし、納得します。「多くの人は、腹圧をかけたまま呼吸できない」とありますが、私はあっさりできました。日常的に軽く腹圧を掛けていますし、IAP呼吸法とともに求められる「収縮筋を伸ばした姿勢」も習慣ですから、IAPのメソッドをやらなくても似たようなことになっているかもしれません。

 

懸念材料は、なんども繰り返しますが、腹圧の掛け方。指導者に指導を受けないで、この本を呼んだだけで実践して大丈夫なのでしょうか。少なくともスタンフォード大のスポーツ医局で扱う対象は、若いアスリートたちです。鍛え方も体格も、幼い頃から違うはずです。

 

IAPはリカバリーの際にも使われるのですが、基本は予防です。「疲労予防」と「疲労回復」について書かれた本ですから当たり前ですが、パフォーマンスの際にどうするのかは、書いてありません。

武道的に言えば、練体や鍛錬法ということになります。

そして、姿勢に関してはさわりだけです。

 

 

 

沖縄空手での丹田の取り扱いは、どうなっている?

 

丹田という記述ではなくても、腰や腹を動かすには姿勢をどうするのかが重要です。そして多くの場合、呼吸法がともないます。呼吸法がセットであれば、腹圧がどうなるのかが問題です。

 

これらの問題に関して、明快に書いている本があります。『公開!沖縄空手の真実』というタイトルで、沖縄空手の重鎮・達人たちに取材しています。

空手の歴史や系統、歴史について興味のある人には、とても重要な資料にもなります。DVDも付いていて、この年齢の先生方がこんな動きができるのかと驚きます。それは何十年も修行しても無理のない、合理的な型を練られているからでしょう。

 

 

ともあれ、丹田、呼吸法です。

 

 

・剛柔流の丹田呼吸

 

各流派の呼吸法を取り上げています。この中で丹田という言葉を使っているのは、剛柔流だけです。

最も呼吸法にこだわり、それを深く研究しているのは剛柔流で、6つの呼吸法があるとしています。

 

剛柔流の基本は丹田呼吸であり、鼻から吸った息をいったん丹田に落とし溜めたあと、丹田から上げて口から吐く。吸気を丹田に持っていくときには、いったん頭頂に上げ、背筋を通して下ろし、股間より身体の前面に上げて丹田に巻きつけるイメージであるという。吐くときは、丹田から直接上げて気道を通して吐く。

中国発祥の仙術や導引術に「小周天」という全身に気を巡らせる技法があるが、ルートは逆回転ながら、この小周天に近いイメージで呼吸を行うわけである。

 

 

逆小周天!! とこれを読んだとき驚きました。いや、それほど知識はありませんが逆ではなく、女周りと言われてるやつじゃないの? 

型の紹介のページには「剛柔流の三戦における鍛錬でも、丹田呼吸による気息の呑吐と動きを一致させる」とあります。つまり全身をかなり締めた状態で、この丹田呼吸を行うのです。

 

 

現在の剛柔流の丹田呼吸と動きを一致させた三戦を指導したのは宮城長順先生で、横隔膜の収縮、弛緩を促し、各臓器を強化して、健康で堅固なる身体と気力を養う効果がある。はじめは意識的に稽古し、身体が自然に動くまで稽古しなければ本物ではない。無意識にこれらの呼吸ができるようになると、次は呼吸を隠すように心掛けると語っていたそうです。

 

IAPはお腹を膨らませて、内からの力とそれを押さえ込む力で太い体幹を安定させる。それに対して、三戦は締めることで中心軸に力を集めという真逆のアプローチに思えます。

 

ところが第一章の「達人座談会」で国際剛柔流の東恩納盛男師範が(宮城長順式の)三戦は、背中を意識し、歪みをなくすものであることを示唆。一方、上地流の三戦は「重心さえしっかり押さえておけば、前も後ろもないんだという考えです。また呼吸法も特には教えません。自分の身体に合った方法であれば自然に体得できるはずですから」とおっしゃる高宮城繁 昭平流範士。

同じ名称の三戦でも、呼吸法は剛柔流と上地流でまったく違うことが理解できます。

 

 

 

・ガマクとチンクチの連動

 

その「達人座談会」では、編集部が「ガマク」「チンクチ」という秘伝技法について尋ねている。

松林流の新里勝彦範士がこれに

 

 

スポーツ医学や生理学的には説明されていると思うんです。ただ沖縄では自分達の経験から、独特にそういう言葉を使っているんだと思いますが。

チンクチはつまり筋骨ですが、脇から背中の筋肉群を連動させて使う。そのときに体軸といいますか、英語ではアライメントと説明していますが、それをしっかりと作って、一瞬でスパッと連動させられるか、ですよね。

ガマクは、恐らくは(本土では)丹田を中心とした腰の辺りのことをいっているんだろうと思うんですが、それとチンクチが一緒になると、パンッと突き抜くようなパンチが出せる。

 

 

と答えられています。そして高宮城繁 昭平流範士が「それを本土の人は氣の爆発というような言葉で表しているんですよ」と応じられている。

 

少なくともこのお二人のやりとりからは、丹田という言葉を特別視するニュアンスは感じられず、腰がテーマ。そして連動の重要性を言われています。

 

新里先生のナイファンチの動画は、公開時にかなり話題になりました。この腰の使い方、腰が独楽のように主導で動き、凄まじく連動している様子が見てとれます。

 

 

 

 

腹圧をかけることの功罪

 

ここまで見てきた呼吸法の多くは、腹圧をかけることで体幹部を強くする。脊柱がサポートされ姿勢が適正になれば、神経の伝達も良くなる。というところが概ね共通しているようです。

 

 

最初の方で書いているように、精神的なものが加わると座禅では禅病。また気功では、偏差と呼ばれるトラブルもあるのです。

肉体的にも腹圧をかけることにはメリットもデメリットもあるはずです。詳しく書いているのは『太極拳と呼吸の科学』という書籍です。

 

三人の先生方の共著となっていますが、お医者さんで空手と太極拳の師範でもある雨宮隆太先生の論文「太極拳における呼吸様式から見た臨床運動学」がベースになっているということです。数字の根拠なども明記されていますが、ここでは割愛して抜粋します。

 

 

(声門を閉鎖した)“力んだ”状況では腹腔内圧、胸腔内圧、脳圧が上昇し、医学的所見ではヴァルサルヴァ効果といわれる状況である。これは排便時に力んだときなど、日常生活でもみられるものだ。

“力んだ”状況は、腹腔内圧を上昇させ、脊柱の前面に硬い大きな梁を形作る。この梁は上方では横隔膜を持ち上げて胸腔内圧を上昇させて胸腔をも梁構造とし、下方では骨盤や会陰部に力を伝達する。

(中略)

 

腹腔内圧による膨張構造ができあがることによって、腰椎に加わる圧迫力は、胸椎ー腰椎感で50%、腰椎ー仙骨間で30%減少するといわれている。

このように腹圧上昇に伴う躯幹の梁構造は、脊柱の力学的保護機構としてはたらく一方で、血圧や脳圧の上昇やそれに伴う循環障害という厄介な状態をも作り出すことになる。

 

 

 

引用の前半がメリット、後半がデメリットですね。後半は簡単にいうと、トイレで倒れる、失神するような状況と同じでしょうか。

 

梁構造を維持したまま動くための呼吸とか、他にも興味深い内容いっぱいなのですが、これまでに取り上げてきたような呼吸、胸式呼吸・腹式呼吸・逆腹式呼吸・丹田呼吸などさまざまな名称のものがありますが、同じ名称だからといって同じ方法とは限らないのです。

『太極拳と呼吸の科学』では、他と同じ名称を使っていても方法が違うのです。かなり詳しいし、専門的で難しいのです。

 

 

 

丹田という言葉を使っていても、意味していることはかなり違う。呼吸法は「丹田」ほどではないですが、やはり違うのです。そして間違いなく功罪あって、独習するの危険。

 

だから「丹田」について分かったように簡単に説明してしまうのは、欺瞞的だと私は思います。

 

 

 

精晟会渋谷の稽古では、どんな説明をしているか

 

いろいろ調べても丹田の役割りは、それほど明確ではありません。共通項になるところがあっても、それが誰にでも適切な方法かどうかは分かりません。

 

私は丹田を重心ととらえるなら、上中下の丹田という言い方が便利だと思っています。大きなボールが三つあるとイメージします。

養神館や精晟会ではこういう説明をしません。勝手ですが精晟会渋谷では、こういうイメージを使うのが理解しやすいし、動きやすいと考えています。

 

 

 

ざっくりですが、まず立つときは「団子のように縦に三つ揃ってる」「串が中心軸・体軸で、軸をまっすぐ維持するだけの筋力を使って、あとは脱力」「ぐらぐらしたり、力みがあるのは姿勢が悪い。楽に立てる姿勢を探す」。

構えるときは「その体軸が前傾して、前足に6、後ろ足に4(の比率で)体重が乗る」。技の中では、「真ん中の一番重い中丹田を動かすイメージで、上中下が連動して動く」と説明しています。

 

これなら体重移動の力を有効に使えます。

 

腰を入れるとか肩を前出すとか説明すると、ひねろうねじろうと仕勝ちです。それでこういう説明に変えました。

 

 

腰主導で動くのも波を伝えるならまだしも、後ろ足の方向が残ったままだと、強い力が発揮されません。養神館でいうところの「中心力」にもなりません。

中心力という言葉も、さまざまな武道や鍛錬法で異なる意味で使われています。私の個人的な解釈ですが、養神館の中心力は、中国武術でいうところの「三尖相照」に近いと考えています。

 

中心力を発揮するためには、重いパーツを一致して使うこと。そのために上丹田・中丹田・下丹田という言葉を使っています。

 

 

 

 

 

 

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