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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用したものをデータベースにしました。

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「敗戦国日本にも誇れるものはある。合気道だ。俺はこれを、ヨーロッパ中に広めてみせる...」 正は伝手を頼って貨物船に乗り込み、昭和7年(1952)6月30日に神戸港を後にした。 (中略) パリ在住の柔道家・川石酒之助の道場を根城に、合気道の普及に乗り出した。そのデモンストレーションは、フランス語の怪しい正にとって「とにかく、かかってこいー」といった物騒なもので、ことごとくを3分以内にうち倒したと伝えられている。 (中略) 挑戦してくるレスラーやボクサー、サンボの遣い手、変わったところではフェンシング、イタリアの投げナイフなど、すべてうち倒してパリっ子の度肝を抜く。彼は、未知の日本武道アイキを、こともあろうにフランス外人部隊に売り込んだ。正の合気道普及の努力は、やがて全ヨーロッパを覆う勢いを示す。この頃が、彼の全盛期であったようだ。パリに国費留学していた雪子と結婚し、正はフランス外人部隊の教官となり、その人脈を活用してアフリカ各地セネガール、チュニジア、アルジェリアなどに異種格闘技戦を展開。腕に覚えのあるといわれた軍人、武道家たちを小気味よいまでに葬り去った。 いつしか、正のヨーロッパ合気道勢力は、本家の日本を凌駕するまでになる。このまま、この男がパリに在りつづければ、あるいは合気道のみならず、世界の武道家は大きく変ったかも知れない。だが、正は病床にあった父を見舞うため、栄光の生活を捨てて帰国した。 ところが帰国した正は、まさに“浦島太郎”であった、 合気道の総本山は名称を「合気会」と改め、それまでの秘密主義を排して、健全な大衆化への道を歩みはじめていた。正にこれが、どのように映ったものか。やがて彼は、盛平の死と共に合気会を去り、市井の中に埋れていく。 (中略) 晩年の正は芳しくなかった。横浜で泥酔した挙句、機動隊を一個小隊叩き潰したこともある。「生きる時代を誤ったのか、自身に人並みはずれた非があったのだろうか。昭和59年11月23日、一代の武道家はひっそりとこの世を去った。享年59。以来、阿部 正について、関係者は固く口を閉ざし、 語ることはほとんどなくなったといってよい。

合気道無敗・阿部正

脅威の格闘伝説

フルコンタクトKARATE・加来耕三

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