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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用したものをデータベースにしました。

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塩田 一番思い出深いのは、昭和十六年頃、宮様方が合気道をご覧になりたいということになりまして、あの時の植芝道場の会長で、陛下の侍従武官か何かをやっていらした、海軍の竹下勇大将が道場に依頼にこられたのです。ところが大先生、「宮様の前では嘘をお見せするわけにはいかん」と言われたんですよ。その嘘というのはですね、「自分が一度やると相手は死んでし まう。それがまた起き上がって掛かってくるというのは嘘であって、そんな嘘をお見せするわけにはいかん」というわけですよ。そのことを竹下大将が宮様にお伝えしたら、「いいや、嘘でもいいから見せろ」とね (笑)。 その時、植芝先生は十日前くらいから黄疸で苦しんでいたんです。吐いてばかりいて、ほとんど食べていないんです。とにかく水を飲んだだけで吐いちゃうんですから。それで内弟子の湯川勉 (皇武館道場 時代の内弟子)さんと私と二人でお供して行く事になったんです。 (中略) その演武というのが湯川さんが前半二十分、後半私が剣を持ったりなんかで、二十分やるという段取りだったんです。そういうことで控室に行って稽古着を替えさせて、まあ死ぬ程ではないけれど、ダッと力が抜けて、ダランとなっちゃうんですよ。とにかくそんな状態で、囲りから見えない、相撲でいう花道というんですか、そこまで必死で抱えていったのです。  それがですね、宮様達をご覧になったら、先生突然シャキッとして、シャッ、シャッと歩きだしましてね、びっくりしましたよ(笑)。 精神力なんですね。背中をピシッと伸していっもと変わりないんです。とにかく先生の身体がそんなにひどい状態ですから、湯川さん、遠慮しちゃったんですね、フワフワーと出て打っていったんですね。そしたらピターツと倒されちゃって、何と腕が折れたんです。わずか十秒か十五秒の出来事でした。 それから急いで湯川さんを引っ込めて、後の四十分はほとんど私がやったのです。全くひどい目にあった、四十分投げられっぱなしでね。ようやく終わって、先生が戻ってきたのですが、宮様に見えない所にくると、またグターッとなって(笑)。もう精も根も尽きたんでしょうね。ところが湯川さんがもう駄目なもんだから、私一人で着物を着替えさせたりで、大変でした。私もバンバンやられた後だから参っちゃいましてね。後で熱が四十度も出て、三日間くらい寝こんでしまいました。

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