BIトップ外ヘッダ.jpg

合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用したものをデータベースにしました。

リストの一覧や、カテゴリーごとに表示することが出来ます。

Tips LIST

一覧ページ(リスト)に戻るには上のボタン

柔道の木村政彦は、拓殖大学で塩田剛三の2年後輩である。そして、その木村の後輩が、極真会館の大山倍達なのである。そう見てみるとそのころの 拓大は、後の日本武道史に名を残す偉大な武道家を輩出している名門大学といっても過言ではない。 当時木村は、拓大では他にならぶ者がいないほどの腕自慢 であった。塩田に言わせると当時は「拓大最強の男」と呼ばれていたという。実際、当時の木村はアルミニウムの1円玉を親指と人差し指で半分に折り曲げたり、当時鉛でできていた電車のつり革を腕力で曲げるというようなことをしていた。ちなみに木村の一円曲げからヒントを得て、大山のコイン曲げが生まれたという説があるが、真相はさだかではない。 そんな木村が「おれは、腕相撲では負けたことがない」と 塩田に言ったので、塩田は「じゃぁ、自分とやってみるか」ということになった。勝負は3回勝負であったが、最初の2回を 塩田が勝った。塩田は、3回目は木村に花を持たせる意味もあり、わざと負けてやったという。木村にもそのことはわかったようで、塩田の合気道の技術はすごいと後に自分自身の 講演でも話していたようである。 この話には後日談があり、その話を聞いた大山(倍達)が、塩田とぜひ会いたいといったため、3人であったことがあるという。3人の話題は、いかにして相手の力を応用し自分の力とできるかというような武道談義であった。 大山の話では、当時木村先輩も塩田先輩も武道家として尊敬すべき先輩であったのでなんでも学んで自分のものに取り入れていこうという考えであったと、当時のことを語ってくれた。確かにこの3人には、しいて言うならば武道による垣 根が低かったような気がする。大山は、その技術書(秘伝極真空手や続・秘伝極真空手など)を読んでもわかるように、自分の技術のなかに柔道や合気道の要素も自分なりにアレンジして取り入れているのがわかるのである。木村にしても同じようなことがいえる。また、塩田にしても合気道以外の武道を熱心に観察していたことはよく知られている。これら三 人に共通しているのは三人が三人とも研究熱心であり、ものの考え方に偏りがないということである。自分のやっている武道だけが最強というのではなく、自分のやっている武道にもっと役立つことはないかとよく研究しているのである)

日本武道史に名を残す

最強格闘技図鑑真伝

松宮康生

40

amazon.png

© 養神館合気道 精晟会渋谷 Aikido Yoshinkan Seiseikai SHIBUYA , All rights reserved.