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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用してデータベースにしました。

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【著作権者の方へ】引用の範囲を逸脱していると考えられる場合はデータから削除いたしますので、お手数ですが、下のお問い合わせからご連絡をお願いします。

合気道悟道

合氣道よどこへ行く

合気道悟道

砂泊誠秀

81

合氣道は、開祖の言われたように武産合氣であって、生き物であるということである。生き物である以上は、そこにじっとしている訳にはいかないのである。  最近は、鳥なき里の蝙蝠のごとく、我こそ鳥であると威張っているように、植芝盛平翁とは全く縁もゆかりもない者が、正伝合氣道などと称して世人を惑わしている。  これらの人々は、合氣道の始祖を九百年前にさかのぼって、幻の人ともいうべき新羅三郎義光を持ち出してくるのであるが、その人達が武道の歴史を大事にしているというのであれば、その伝えられている技はすでに形骸にすぎないのである。  現在に伝わっている総てのものは、そこに忽然として現れたものではなく、何かの影響を受けているのである。何かの影響を受けて生まれたものは、その影響を受けたものと同一ではない。そこには進歩がある。武道の世界における各流派は、その始祖が自ら学んだものの中に、新しい創意工夫をなして、また新しい流れを造っていったものである。  そのことを考えてみるとき、合氣道は植芝盛平という、不世出ともいうべき大武道家に よって造られたものであって、他の旧い流派そのものでは絶対にないのである。 

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合気道教範

演武形式

合気道教範

植芝吉祥丸

78

ここで特筆すべきことは、演武形式の切り換えであった。昭和30年頃まで、国内における演武会は開祖・盛平の独演であり、もし門下生が演武すると、開祖の意に反するものとして、固く禁じられていたのである。だから、たまたま開祖の目の届かぬところで、門下生が勝手に演武会を催すという矛盾も出始め、組織上問題になってきた。 この問題について、私は合気会常務理事であった徳永繁雄氏と相談した結果開祖に今後の合気道演武形式については、門下生老若男女一丸となって演武し、開祖が、その頂点に座り、合気の神髄をひろうしてもらうよう願ってみた。開祖はこの願いを心よく許してくれたのである。 このようにして、新形式による演武会を、各国の大公使及び一般愛好者を招いて、3日間にわたり、東京のデパート屋上で開催した。昭和31年9月であった。これは内外に非常な反響を呼ぶに至った。演武会の形式は私と徳永氏が創案したものであり、これがその後1つの定式となって、他の武道の演武会にも取り入れられ、現在に至っている。このことは合気道発展途上画期的なことである。

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気の妙術

二十一世紀の気

気の妙術

加来耕三

77

今は亡き開祖の後を継いで、合気道の道主として日々、気"に取り組んでいる植芝吉祥丸氏に話を伺った。 (中略) あまりに深遠な話ではぴんとこないでしょうから、具体的に説明しましょう。 合気道の技法は、直線的な「入り身」という動きと、「円転の理」によって中心をもって丸く丸く千変万化する動きとから成っております。初動は、ラセン状に運行、それを基点に、その後は円から円へと、いくつかの円が複合した複雑な円運行を行うのが宇宙での恒星や惑星の運行です。「入り身」――それを基点に変幻自在にまるく移動する「円転の理」による体さばきは、それと同じく、ラセン状に運行し、いくつかの円が複合した複雑な円運行をおこなっているのです。つまり、合気道の技法そのものが、宇宙そのものの運行と同じなのです。

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武産合氣

悪を悪として切らず

武産合氣

高橋英雄

71

先生は、武徳会の剣道教士、柔道五段、六段などという猛者たちと、畑の中の道を歩いておられた。それをみたお百姓が、手に肥ひしゃくをもって、この一団のところにかけつけて来た。 「なんだ、お前たち、ひとの地所の中にへえって、どうしてくれるんだ!」 この辺のお百姓は評判の強欲者で、少しでも自分の地所に入ったというと、ゴタゴタとうるさく文句をいって嫌がらせをするのだった。「何! 生意気な、文句あるのか!」 相手が血気盛んの、それも事あれかしと待ちかねている若い連中だったから、たまらな い。 面白いじゃないか、やっちまえ、ということになりかかった時、一団の先頭を歩いておられた植芝先生は引返えし、猛者連をなだめ、お百姓の前に出た。 「お前様が大将か? 大将なら話がわかるだろう。一体、人の地所内にふみ入るとは何事だ」 「お話はよくわかった、我々が悪かった、どうか勘弁して下さい」と物柔らかに頭を下げられた。 何かしかけようとしたら、手にもった肥ひしゃくで糞尿を頭からふりまいてやろう、と気負っていたお百姓も、それに拍子ぬけしたのか、それとも事を荒立てたら、かえって自分がどうなるかわからない、といって今は引くにも引けず、というところを救ってもらって安心したのか、引下っていった。 「先生!あんな生意気な百姓やっちまえばいいですのに」「馬鹿いいなさんな、頭からこやしをかけられたら、くさくてたまらんよ、ハハハハ」 植芝先生はそう笑って、そこを去っていかれた。よく事情をきくと、お百姓のほうが悪かったのであるが「悪を悪として切らず、悪を祓いて浄めて、和合してゆくのが合気道じゃからのう」植芝先生はそうあとで教えて下さった。

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中心力の時代

心と身体の一致

中心力の時代

安藤毎夫

76

中心がぶれないで動けているかどうか判断できる「感性」。中心線を理解する「感性」。「感性」が研ぎ澄まされ、肉体にスッポリ心がおさまった時、心がまったく不満を感じなくなったとき「心と体の一致」が現れる。心と体が一致したとき中心のぶれない動きが可能となる。逆に言えば、中心がぶれればすぐ心にも違和感が生じてしまうからである。 (中略) その基本技はどのような基本の動作でできているのか。基本の動作に共通する原理は何であるか。と、たどっていくと構えになり、中心力に帰着する。最後に塩田館長の言葉で結びとする。 「合気道は和の武道だといわれますが、その解釈は簡単だと思うんですよ。人と相対したときに相手の敵腹心をなくすような自分の人柄と実力を持っている、と。これがひとつの和になるんです。けっして妥協じやない。和というのはち やんとひとつ自分に強いもんがあって、そして相手を味万にする。協力者にし、てしまう。これが“対すれば相和す”です。それにはよっぽど自分の徳を積んとできない。結局ね、根本は自分の中心力なんです」

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戦後合気道群雄伝

合気会 vs 養神館

戦後合気道群雄伝

加来耕三

62

養神館道場の設立時、塩田剛三を助けた功労者の一人に寺田精之がいる。 のち、養神館最高師範となるこの人物は、武道家にありがちな偏見、近視的なも方が皆無ともいえる稀有な人で、実に武人らしい風貌とともに、冷静沈着な客観性を持っていた。私事で恐縮だが、昭和五十一年、筆者は寺田の著した『図解合気道入門』(文研出版)を購入し たことがあった。 合気道の技法を写真入りでわかりやすく解説した本で、この本の最後には「合気道道場案内」が一ページもうけられていた。 当然、「財団法人合気道養神館道場塩田剛三」の住所と電話番号が一番上に記載されていた。 筆者が驚いたのは、横書きの連絡先をみていくと五つ目に、「財団法人合気会合気道本部道場 植 芝吉祥丸」が載っていたことであった。 いわばライバル関係にあるにもかかわらず、寺田は合気会本部道場のみならず、合気会の支部十カ所を明記していた。なかなか、できることではない。当時、寺田は養神館道場の筆頭師範であった。

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戦後合気道群雄伝

愛の武道

戦後合気道群雄伝

加来耕三

61

たとえば、現在の合気道の抑え技は、ことごとくが相手をうつ伏せにする。一方、現在みられる多くの格闘技と呼ばれるものでは、相手を仰向けに倒すことで、その勝敗を決することが多い。これは、身体前面の軟らかい部分を無防備な状態とすることで、相手の死命を制することからくるものであろう。戦国乱世の組討ち技法も、その大半が敵を仰向けにすることによって、相手の首を かっ切り、あるいは鎧通しで心臓を一突きにすることを最終的な目的としていた。 ところが、日本で発達した柔術はとくに、近世以降、一方で「神武不殺」の理念をかかげ、相手を生け捕りにするために、うつ伏せに抑える技法を発達させた流儀も登場した。うつ伏せにすることで無理なく相手の反撃能力を軽減し、その死命を制することなく取り押さえることが可能となった。 戦前・戦中の合気道には、この双方の技法が存在した。 それが戦後、仰向けの技法が消えてしまった。なぜか。合気道は日本柔術が行き着いた、「相手を殺さない」という理念をさらに推し進め、手 荒な技法をことごとく排し、現代における新たな理念と技法体系の融合、確立をなし得たからである。それが「愛の武道」という、質的な変化であった。

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罪を犯させない

AikiNews NO.133/私の修業時代

- 西尾昭二

28

ある指導者の方が海外に招聘され、指導を行いました。そして現地では手に入らない革ジャンを購入してきました。まだ自由に海外渡航などできない時代です。その革ジャンを見て、僕らはすごいな、格好いいな」などとうらやましがっていました。 道場は戸締まりをせず開けっ放しで、誰でも出入りできる状態でした。ある時空き巣が入り、この革ジャンは盗まれてしまったのです。「何で鍵をかけない!」と、僕らは怒られました。 そこへ大先生が入ってきました。「どうしたんだ」と聞かれて、大先生に事情を説明しました。すると大先生は「そうか、盗られたか。これはお前が一番悪いんじゃよ」と盗られた当の先生に言い、それまで怒気をあらわにしていたその先生は小さくなってしまいました。 (中略) なぜ大先生がそのように答えられたのか聞くと、「誰でも欲しがるようなものを、他人に与える気もないのにひけらかしてはいけない。他人に罪を犯させてしまった」と言われました。

合気道 悟道

宗家

合気道 悟道

砂泊諴秀

25

同じ開祖の植芝盛平翁から手ほどきを受けながら、それぞれの技は、それぞれの師範の独特の技になっていったのである。開祖植芝盛平翁は生前に、筆者に対して「武道に宗家は無いのだ」と言われたのであるが、そのお言葉は御自分の修行の体験から出たお言葉であり、それを現実に弟子どもは体験させられているのである。偉大な開祖の技が、そのまま宗家を継ぐ子や孫に伝えられるはずはないのである。

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合気道人生

率直な心

合気道人生

塩田剛三

22

合気道は元来相手の動きに合わせて動き、また相手の力に逆らわず、むしろ相手の力を自分に取り入れて、時にはその相手の力を誘導するだけで、時には自分に取り入れた相手の力に、自分の力を添えて相手を制するのです。 この間、瞬時でも率直な心を失うと、相手の動き、相手の力の流れを見失い、それとぶつかり合ったり、ずれたりして、技の効果を殺してしまうことになるからです。この場合、自分の方が力が強ければ、その力で相手をねじ伏せられるかもしれませんが、それは合気道で制したのではなく、力で勝っただけです。

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中心力の時代

武術的な合気道

中心力の時代

安藤毎夫

16

普通の武道や格闘技であると、体が小さいことが不利になる。しかし、塩田館長は、154センチと体の小さい方だが、それでも圧倒的な実力がある。ということは、どのような人でも動き方、体捌きを知っていれば戦える、しかも勝つことが出来るということだ。武道でも格闘技でもない、人々が誰でも持っている「武術的な」身のこなしができればいいのだ。 武術というのは、実際触れ合った時というのが勝負である。面と打ったその瞬間に勝負が決まっているのである。 (中略) 武術的な要素にばかり目が行くことも問題があるが、この要素をいつも忘れてしまっていることも問題だ。今、伸び悩んでいる人、毎日の稽古に刺激が欲しい人は、ぜひ武術的な合気道にチャレンジしていただきたい。

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中村天風と植芝盛平

リラックス

中村天風と植芝盛平

藤平光一

15

植芝盛平先生はリラックスを体現された人だった。しかし、このリラックスが、簡単なようで難しい。よくある間違いは「力が抜けた状態」になってしまうことだ。 よく考えて欲しい。「力が抜けた」状態と「力を抜いた」状態とではまったく違う。前者は最弱の状態であり。後者は最強の状態なのである。 (中略) 力を抜いた状態と言うと、一見、弱い、頼りない状態を想像するかもしれないが、事実はまったく逆である。 むしろ全身のどこにも無駄な力が入っていないからこそ、予期せぬ動きにも瞬時に対応することができるし、力を一点に集中することもできるのだ。

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続 植芝盛平と合気道/開祖を語る13人の弟子たち

合気という気持ち

続 植芝盛平と合気道/開祖を語る13人の弟子たち

- 寺田精之

7

合気道というのはうまくできているもので、自分の身を護るのを本旨としながらも相手と合体して、また天地宇宙と合体して、すべての人が仲よく愛の心をもって、和の温かい世界を作る武道です。武道もそこまでいかなきゃ本当ではないんじゃないかと。 結局人間がどんなに強くなっても、神にはなれないんですから、理想のない武道の終末は知れたものです。強いだけの武道では浅すぎるんじゃないかと考えるんです。 それから、各人がそれぞれ相応に自分の考え通りに合気道をやっても、合気という気持ちでいくならそれでいいと思います。というのは、元が通じているのだから、つまり合気の技というのはたいてい決まっているのだから、ひとつの枠の中で「あれをやってはいけない、これをやってはいけない」という必要はないと思います。

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続 植芝盛平と合気道/開祖を語る13人の弟子たち

極意にかぶれる

続 植芝盛平と合気道/開祖を語る13人の弟子たち

- 多田宏

6

植芝先生のお話や逸話には「山のてっぺん」のお話が多いんです。それを一部だけ取り出して話すと、誤解される恐れがあるんです。我々が先生に習ってたときは、一生懸命習ったことを全部飲み込むぐらいの気持ちでいました。ずーっと先生を心に写すような気持ちでした。 もっともあまりにそのときの自分の世界から飛び跳ねると「極意にかぶれる」といって昔から嫌うのです。だから先生のことをいまの若い人たちに話すとき、あるいは先生のビデオを見るとき、注意する必要があるわけです。 我々が稽古中、大先生がなさった技を安易に真似ると、えらく叱られました。「君たち、いま、私がすることを形だけ真似してはいかんよ。もっと基本をがっちりとやりなさい」と言われました。

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戦後合気道群雄伝

「殺」なき武道、誕生の謎

戦後合気道群雄伝

加来耕三

10

生前、繰り返し二代道主は、合気道技法の完成を、開祖盛平の「昇華・変貌」に求め、その価値を代弁した。多くの門人がこれを信じ、一部の高弟は 「あんなものは、わしの学んだ合気道ではない」 と愚痴った。 これまでも盛平の技は、時代によって変化をとげてきた。それゆえ、晩年の技法の賛否は別として、技法の変化そのものについて、大半の合気道関係者は、その根本を開祖の手によるものと無条件で受け止めた。筆者もこの論旨に、うかうかと乗せられてきた一人である。

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武道家の答え/柳川昌弘

我より進めて攻撃すること

武道家の答え/柳川昌弘

- 斉藤守弘

4

ー ところで「合気道という武道に攻撃技はない」と多くの人が言っていますが?   いえ、とんでもありません。合気道の基本はあくまで攻撃です。攻撃といっても打ち込むというより、こちらから打って相手を呼び出すというのが基本です。打ち砕くんではなくて、パッとゆくから相手がすぐ払おうと手を出してくるでしょ。その手を引っかけるというのが基本なんです。それを知らないでただ打ってこさせてやっているところが多い。基本的に違うんです。 この本のこの例にあるように、打って出て腕をとるといったように。開祖の本にも、ここに「我より進めて攻撃すること」と書いてありますね。

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戦後合気道群雄伝

神武不殺そして愛の武道へ

戦後合気道群雄伝

加来耕三

3

生前、吉祥丸は武術における勝ち方に、四通りあることを語っていた。 一、相手を殺して勝つ 二、相手を殺さず、致命傷をはずして命だけは助け、ダメージを与えて勝つ 三、相手を殺さず、怪我もさせずに生け捕る 四、相手と争わずして屈服させる 戦前の合気道は一、二、三、四すべてを標榜し、戦後の合気道は四を目指しつつ、三の稽古をおこなう武道となったことは明らかであった。しかしこれはきわめて難しい。こちらに相手を殺したり、怪我させる気がなくても、相手はその気でいるかもしれない。生け捕る高度な技法がなければ、こちらがやられてしまう。 合気道はこの至難の命題を、こちらも相手も怪我せずに、相手の暴力だけを奪う技法に再編し、みごとに答えを出した。

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魂の芸術/松田隆智対談集

右頬を打たれたら

魂の芸術/松田隆智対談集

- スタンレー・プラニン

9

(プラニン)私が本で読んだことで、実際に植芝先生が言われたかどうかわかりませんが、一人の宣教師が日本へやってきて合気道の演武を見て感激し、通訳を通して植芝先生に「イエス・キリストの考えと似ている」と言いました。 ​ すると植芝先生は「なるほど、ただし一寸違う点があります。聖書は人が右頬を打ったら左頬も提供するでしょ。だけど合気道では人が打とうとする手がくる前に避けて、こちらは被害者にならなくて、相手にも罪を犯させない」と。私はこれを読んで本当にすばらしいと思いました。

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植芝盛平と合気道/開祖を語る19人の弟子たち

守破離

植芝盛平と合気道/開祖を語る19人の弟子たち

- 奥村繁信

2

日本の場合はね、メンタルなものは「稽古」、フィジカルなものを「練習」というんです。稽古のもとの意味は昔を考えるという事なんです。今の中国ではこの稽古には、昔を考えるという意味しかないんですよ。なぜ昔のことを考えるのが稽古になると思いますか・・ 基本ですよ、基本の形です。小手返しでも四方投げでも、習うのはたやすいけど、初めて作った人は大変ですよ。だから後で習うのはコロンブスの卵だ。だから絶えずオリジナルルーツにかえってそれを繰り返す。だから昔を考えると言うんです。形から入って形から離れるんです。武道では昔から守破離と言ってね、形を守り、形を破り、形を離れる、という三段階があるんです。初めは形を守るんです。

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