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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用してデータベースにしました。

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【著作権者の方へ】引用の範囲を逸脱していると考えられる場合はデータから削除いたしますので、お手数ですが、下のお問い合わせからご連絡をお願いします。

武闘伝

究極の呼吸力

武闘伝

加来耕三

82

「塩田さんの技は、自分たちとどこか違う」 教えを受ける将校たちは、いずれも剣道・柔道の有段者ばかりである。 腕には自負もあり、鍛えぬかれた眼力は、いつしか自分たちの技と塩田の技に、根本的な差異があることを発見した。 だが、その差がどうにも説明できない。同じ小手返しでも、入身の技でも、違うことははっきりしていたが、それを真似することはできなかった。 (中略) くり返すようだが、生前の塩田の技は、微妙に他の合気道家とは違っていた。 触れた瞬間、その相手の体が浮き上がるような、あるいは地へのめり込むような多くの場合、触れた部分、たとえば両手取りなら、瞬間に両手がきめられてしまい、相手は動こうにも動けなくなってしまった。 一度、二ヶ条(二教)をかけてもらったことがある。するとどうだろう。筆者の痛みは、手首や腕を通り越して足にきた。まるで雷にでも打たれたような、瞬時の出来事であった。そして、手をほどかれるとその激痛は嘘のようにやんでいた。

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合気道修行

集中力

合気道修行

塩田剛三

79

いわば、集中力とは、中心力の極限だと考えてもいいでしょう。 (中略) 集中力を生み出すコツは、足の親指にあります。これを鍛えてグッと床にかませます。すると、腰にビーンと力が入って強くなる。このビーンとくる感覚がわかるようにならないといけません。 その力に、今度は膝のバネで加速をつけます。これらの動きが一致すると、技に大きな威力が生まれるのです。 それほど大切な足の親指を鍛えるためには、何よりも座り技の稽古に励むことです。座り技で親指が強化されれば、立技がどんどん威力を増してくるはずです。植芝先生も、足の親指はとても鍛えていました。 以前、プロレスリングの前田日明選手が、二度ほどうちの道場に訪れ ときにこの話をしたら、感じるところがあったようで、そのあと膝の屈伸運動(スクワット)をやるときに、親指に力を入れるようにしたと言っていました。

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格闘士列伝

いや、若いな

格闘士列伝

板垣恵介

72

とある防具空手の有名どころが、塩田剛三に他流試合を挑みに、養神館を訪ねてきたことがあったそうだ。とても礼儀正しい人で、自分の身分を明かして、「これこれ、こういう理由で私と、お手合わせ願いませんか」と。 対して塩田剛三は、耳が遠く、物事もあまり理解できないような顔つきで、 「あ~、ああ」ってやっていたという、大変な演技者だ。 「あ~、私とそうですか。ハイ、分かりました。でぇ、いったいい、いつぅ、やりぃますぅかぁ」 言葉だけでなく、動きまで全然ゆっくりなジイさんを演じ続ける。口をもごもごさせている塩田剛三に対して、この空手家はあまりにも、純粋なスポーツマンだ。慇懃な姿勢を崩さず、「今日、この場でお願いします......」 その言葉が終わるや否や、空手家は玄関に崩れ落ちて、担架で運ばれてしまった。 人差し指で、彼の咽喉元をえぐったらしい。失神してしまった防具空手の選手の顔を見下ろし、塩田剛三は、「いや、若いな」と呟いて、奥へ戻っていったというんだ。

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中心力の時代

心と身体の一致

中心力の時代

安藤毎夫

76

中心がぶれないで動けているかどうか判断できる「感性」。中心線を理解する「感性」。「感性」が研ぎ澄まされ、肉体にスッポリ心がおさまった時、心がまったく不満を感じなくなったとき「心と体の一致」が現れる。心と体が一致したとき中心のぶれない動きが可能となる。逆に言えば、中心がぶれればすぐ心にも違和感が生じてしまうからである。 (中略) その基本技はどのような基本の動作でできているのか。基本の動作に共通する原理は何であるか。と、たどっていくと構えになり、中心力に帰着する。最後に塩田館長の言葉で結びとする。 「合気道は和の武道だといわれますが、その解釈は簡単だと思うんですよ。人と相対したときに相手の敵腹心をなくすような自分の人柄と実力を持っている、と。これがひとつの和になるんです。けっして妥協じやない。和というのはち やんとひとつ自分に強いもんがあって、そして相手を味万にする。協力者にし、てしまう。これが“対すれば相和す”です。それにはよっぽど自分の徳を積んとできない。結局ね、根本は自分の中心力なんです」

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合気道修行

痛くなくても倒れる

合気道修行

塩田剛三

70

重要なのは、痛めつける技には限界があるということです。相手が素人なら、ちょっと手首をひねってやるだけで事はすむかもしれませんが、なんらかの修行を積んだ人ならそういうわけにはいきません。関節の逆を取ったからといって勝てるわけではなく、それどころか技を仕掛けることさえ至難の技なのです。では、どうするのか。 結局は、相手を無力にするしかないのです。こらえようとしてもこらえられない状態を作る、あるいはこらえた力をはずしてしまう、そういう操作ができるように目指しているわけです。 「私の演武を見て、受けを取っている弟子たちが関節をきめられてさぞ痛いでしょうと心配してくれる人がいます。しかし、そんなことはありません。彼らは痛くないのです。内弟子として鍛えている連中の手首をいくら逆にきめようとしても、そうそう簡単にきまりはしません。力では私のような年寄りより彼らの方が上なのです。それに彼らは逃げ方も充分に知っています。「それでも私は彼らを二ヶ条の技で崩します。これは痛いからではありま せん。こらえようとしてもこらえられない方向へ私が攻めているから痛くなくても相手が崩れる。そこに合気道の本質があります。関節技の稽古はそこに至るための入門第一歩だと考えてください。いつまでも稽古相手を痛がらせて喜んでいるようでは、永遠に合気道の高みに到達することはできません。

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合気道修行

合気道の本質

合気道修行

塩田剛三

69

合気道というものの本質を考えたとき、関節をギュウギュウと締めつけて相手を負かすなどということは、初歩も初歩、きわめて低次元のことだと思うのです。 だいいち、関節技も形があってないようなものです。基本技の中では一ヶ条から四ヶ条に代表されるように、いくつかの分類をされていますが、これも投技と同じで、つきつめていけば形など関係ありません。たとえば、三ヶ条できめてやろうと思って無理にそこへ持っていっても 味がないわけです。それによって勝負の決まり手が「三ヶ条」ということになっても、合気道の本質からきわめてかけ離れた闘い方だと言わなければなりません。 (中略) わざわざ難しい技に持っていく必要はありません。

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高岡英夫の極意要談

中心線の力

高岡英夫の極意要談

高岡英夫

64

(塩田剛三)一番大事なのは先ほど申し上げた点です。植芝先生は呼吸力呼吸力と言っておられたんですが、これは結局私が分解したところによりますと集中力即ち中心線の力。これはあらゆるスポーツに通じると思うんですけど、中心線の強さ、ぶれないということこれが やっぱり大事ですね。これが難しいことでぶれないようにしようしようとするとぶれるんですね。だから、それが自然に行われるような自分の足腰を鍛え上げて作り上げていく。それが出来れば、どんな格好しても構わない訳なんです。植芝先生は何やらブラブラしているんですが、(動きが)ちゃんと生きている。そして、いざとなったときはスパッと変わってしまうんです。

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古武道入門

力の出所

古武道入門

日野晃

56

よく考えなければならないのは、塩田宗家が弟子相手にこの技をかけるということは、弟子は始終宗家の技を受けているのだから、塩田宗家がやろうとしていることを認識しているはずである。しかし、いくら認識していても塩田宗家の力の出所がわからない、力の方向がわからない。つまり、抵抗できないのだ。 (中略) ここでは「体重移動」と簡潔な言葉で表現しているが、実際は単純な移動ではない、ということである。 たとえば、塩田宗家の胸ぐらを弟子が右手で掴み四股足で踏ん張るが、あっけなく倒されてしまうを例に取ると、まず塩田宗家は左手を相手の右手の上に乗せる。一つ目の力は、宗家の左手を通して弟子の両膝に上から掛かる。二つ目の力は、弟子の身体全体の踵側、背中側にかかる。三つ目は、宗家の胸ぐらから弟子の右手を通し、右の肩口から左足膝にかかる。というように三方向に対して力が出ているのだ。先ほど高性能な身体受信能力といったが、それには例外がある。それは身体は 複数の刺激に対しては極めて不得手という性質だ。

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板垣恵介の格闘士烈伝

黒帯会

板垣恵介の格闘士烈伝

板垣恵介

53

黒帯会を、いともあっさりと俺のような外部の人間に公開できる理由がここにあった。どの技をとっても秘伝や奥義なのだろうが、見ている人間はそれを盗めやしないし、やられている人間も同じことだろう。塩田館長にしかできないことなのだから、いくら人に見せたところでリスクのかけらもないんだ。  (中略) よく、館長が言っていたことは、「痛いと感じさせるようじゃダメだ」っていうことだ。俺たちレベルが、どんな格闘技に手を染めようとも、技を仕掛けようとした時点で、相手が痛みを伴うものだと理解できる猶予がある。  そこで、戦っている相手は、ある程度の覚悟ができる。どんな技でも、普通にかけることができれば痛いはずだ。たとえ、素人が技をかけたとしても。そこに 覚悟する猶予のある相手は、反撃を試みるだろう。誰だって、愛する者を守らなきゃいけないという状況では、アドレナリンが回って痛みの感じ方も違ってくる し、なんとしても反撃を試みる。だから塩田館長曰く、「痛くて倒れている状況じゃダメなんだ。痛くないけど、どうしようもないという状況まで、持ちこまなければ」ということになる。  じゃあ、そういう状況とは何を指すのか。館長にそういう状況に追いこまれた お弟子さんたちの話では、全員が「重かった」と同じ台詞を残している。  重い、と相手に感じさせることのできる合気の使い手が、どれだけ存在するだろうか。「流れが見える」――そういう表現をしているけど、独自の呼吸術や人の体重移動を見極める力がずば抜けている人だったんだろう。本人によると、そういう力が身につくようになったのは、合気道を始めて、二年か三年してからだというから、合気道家として完成するのに、最短コースを歩んでいたに違いない。

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伊藤式胴体トレーニング 「胴体力」入門

相手の力を吸収していない

伊藤式胴体トレーニング 「胴体力」入門

秘伝編集部

49

確かに塩田師の演武は、他の合気道家とは明らかに異なる風合いがある。合気道は円の武道と言われるが、特に激烈とも言えた彼の当て身や投げ技はきわめて攻撃的なものであった。時に直線的で時に鋭角的な彼の動きこそが彼の個性であり、養神館らしさでもあった。 「塩田先生の技の特徴に、相手の力を吸収していない、ということが挙げられます。というのは、植芝盛平翁などはいったん相手の力を吸収して、それから(相手とともに)力を弾き出しているのです。しかし塩田先生は、問答無用に触れた瞬間、相手を弾き飛ばしている。これは後で述べますが、身体の中の三本の軸の賜物であり、我々の想像もできない異質な意識の働きによるものなんです」 伊藤師は塩田師の動物的ともいえるスピードにも注目する。 「『速い』ことと『急ぐ』ことは似て非なるものです。『速い』は自分で動きをコントロールできることを意味し、『急ぐ』は逆にコントロールできないことを示しています。塩田先生の動きは速かったですが、急いではいませんでした。

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対談 発勁の秘伝と極意

姿勢、身勢から発する力

対談 発勁の秘伝と極意

笠尾恭二・平上信行

43

笠尾:柔術當身法の基本は姿勢、身勢から発する力と言えば、中国拳法では三尖相照や六合の教えと対応しましょうか。これももとは槍術の極意だったと思いますが、形意拳では重視されている口訣です。私も王樹金先生からご教示いただいたことがあります。 平上:三尖相照... 鼻と拳先、爪先を合わせるということですね。これは中国拳法におけるなかなか良い教えです。柔術でも同じですが、日本武道の用語で言えばやはり三角矩ということでし ょうね。先般居合の例として挙げましたが、柔術でも多少の意味合いを変えて使われる大変に味わい深い良い言葉です。 それはともかく日本柔術を投げや逆手主体の格闘技のようにとらえる向きもありますが、部分的な當身の鍛練を行わないから當身稽古が少ないのかと言えばそれは決してそうではない。故塩田剛三師範は生前、合気道の足捌き、体捌きの全てが既に當身の稽古につながっていると述べておられますが古伝の日本柔術も同じ見地に立つものであります。 笠尾:強力な當身を発するためには安定した姿勢と拳打の角度、そして排捌きによって瞬間的な力を発するということですね。私も塩田師範が実戦的な対人演武の中で、手先だけではなく、からだのどこからでも瞬発的な気力を発して相手を倒す場面を見たことがあります。當身の極致を身をもって描いたものと言えましょうか、実に迫力がありましたね。

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最強格闘技図鑑真伝

日本武道史に名を残す

最強格闘技図鑑真伝

松宮康生

40

柔道の木村政彦は、拓殖大学で塩田剛三の2年後輩である。そして、その木村の後輩が、極真会館の大山倍達なのである。そう見てみるとそのころの 拓大は、後の日本武道史に名を残す偉大な武道家を輩出している名門大学といっても過言ではない。 当時木村は、拓大では他にならぶ者がいないほどの腕自慢 であった。塩田に言わせると当時は「拓大最強の男」と呼ばれていたという。実際、当時の木村はアルミニウムの1円玉を親指と人差し指で半分に折り曲げたり、当時鉛でできていた電車のつり革を腕力で曲げるというようなことをしていた。ちなみに木村の一円曲げからヒントを得て、大山のコイン曲げが生まれたという説があるが、真相はさだかではない。 そんな木村が「おれは、腕相撲では負けたことがない」と 塩田に言ったので、塩田は「じゃぁ、自分とやってみるか」ということになった。勝負は3回勝負であったが、最初の2回を 塩田が勝った。塩田は、3回目は木村に花を持たせる意味もあり、わざと負けてやったという。木村にもそのことはわかったようで、塩田の合気道の技術はすごいと後に自分自身の 講演でも話していたようである。 この話には後日談があり、その話を聞いた大山(倍達)が、塩田とぜひ会いたいといったため、3人であったことがあるという。3人の話題は、いかにして相手の力を応用し自分の力とできるかというような武道談義であった。 大山の話では、当時木村先輩も塩田先輩も武道家として尊敬すべき先輩であったのでなんでも学んで自分のものに取り入れていこうという考えであったと、当時のことを語ってくれた。確かにこの3人には、しいて言うならば武道による垣 根が低かったような気がする。大山は、その技術書(秘伝極真空手や続・秘伝極真空手など)を読んでもわかるように、自分の技術のなかに柔道や合気道の要素も自分なりにアレンジして取り入れているのがわかるのである。木村にしても同じようなことがいえる。また、塩田にしても合気道以外の武道を熱心に観察していたことはよく知られている。これら三 人に共通しているのは三人が三人とも研究熱心であり、ものの考え方に偏りがないということである。自分のやっている武道だけが最強というのではなく、自分のやっている武道にもっと役立つことはないかとよく研究しているのである)

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最強格闘技図鑑真伝

三拍子に中心線を合わせる

最強格闘技図鑑真伝

松宮康生

35

かつて一度だけ塩田剛三が雑誌(月刊フルコンタクトKARATE 1981年11月号より )で木村政彦と対談した事がある。その中で塩田は、無意識で戦えるというのは合気道の極意であるという意味の事を語っている。ただし、極意に到達するためには何より基本をしっかりマスターする事が大切であるという。そしてその対談の中で呼吸について重要な事を語っている分があるので引用したい。 「技を徹底して体に浸み込ませれば、あとは相手に対しても自然に技が出る。木村が無意識で戦ったというけど、それは徹底し て技を浸み込ませた上でのことだ。ああして投げてやろう、こうして投げてやろうと思っているうちはダメだ。 ​ 合気道ではそれを呼吸と言う。力で無い力、相手に合わせて自然に出る力だ。リズムと言ってもいいね。呼吸は3種類あって「吸う」「吐く」「止める」がある。吸う息は相手を誘うが、吐く時は極限の力を出す時。止める時は瞬発的な動きをする 時なんだが、この3拍子に中心線を合わせる。 どんな時でも頭と足の先を結ぶ中心線を崩さなければ相手に投げられない。自分の方からこの技をかけてやろう、と気が先走ると技が後に来るから、そこにズレができる。息との関連性が無い。しかし、呼吸と動作が一致すれば、あとは相手との呼吸を合わせるだけで良い。相手の動きに応じて自分が反応できるわけだ。 ​ 知らぬ間に相手を倒し、投げることができる。これが自然体である。

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スーパーボディを読む

中心軸からの力

スーパーボディを読む

伊藤昇

32

武道の達人に、中心軸からの力を「中心力」と名づけて非常に重視した方がいる。合気道養神館を創立された故・塩田剛三師範である。 機動隊を指導し続けたことでも知られる塩田だが、その動きは老齢に達しても衰えなかった。特筆すべきなのはスピードである。 (中略) ときには、自分から飛び込んでいって弟子が反応したところでカウンターをとる。身のこなしが実に機敏で、泰然と構えた達人のイメージからはほど遠い。この機敏さは、中心軸の確かさ、塩田の言う「中心力」から生まれるのだ。 塩田が移動するとき、一本の細い棒、いや一本の針のような中心軸の感覚があり、それをただ前方に移動させていく、というイメージだろう。中心軸に力が集中するということは、身体の幅をもっとも狭く使えるということだ。

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合気道 呼吸力の鍛錬

相手の力を抜く

合気道 呼吸力の鍛錬

井上強一

24

開祖は与える呼吸力ばかりではなく、相手の力を無力化し、吸収してしまう力の使い方を身につけていたから、晩年になって力の強い人間を相手にしても、楽に制することができたのだ。 しかし、どうやれば相手の力を抜くことができるのか、そのコツを具体的には教えてくれなかった。だから若い頃の塩田宗家は「お願いします」と何度も開祖に技をかけてもらい、受けを取る中から、自分の体でつかんでいったのだという。 (中略) 塩田宗家は呼吸力という言葉を使いながらも、晩年には与える呼吸力と相手の力を無くす技の両方を使いこなしていた。無くす技は、本来の意味から言うと呼吸力の定義からはみ出すかもしれない。したがって、「抜きの技」「合わせの技」「とらえの技」などという表現を使う場合もある。

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考えるな、体にきけ!

体重そのものを力にする原理

考えるな、体にきけ!

日野晃

21

塩田宗家は身長150センチ、体重45キロほどだ。そして何よりも重要視したのは、私が拝見した時、すでにご高齢であったということ。 (中略) 腕力や痛みでなければ何なのか? ここに「体重」そのものが力になっている、ということを確信したのだ。もちろん、それは「どのように」するのかは分からなかったが。 その後、宗家の姿勢を徹底的に研究した。養神館合気道としては、私が拝見した演武の数々は「技」の一つずつかもしれないが、私にとっては体重そのものを力にする原理に見えたのである。

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合気道と中国武術はなぜ強いのか?

実戦では折りながら

合気道と中国武術はなぜ強いのか?

山田英司

19

塩田氏はイスから立ち上がり、「じゃ、やってみよう」と言う。私は、えっ突然ここで?と思ったが、わざわざ私を館長室に呼んだのは、それが目的だったのだなと思った。 (中略) 私はワンツーの要領で右ストレートを思い切りぶち込んだ。 と思った瞬間、塩田氏の姿は一瞬消え、次ぎに私の目には、後ろ姿の塩田氏がいた。 ボキリ!と私の右肘はいい音をたてた。 「あいてッ」と思わず叫ぶ私。 私の右腕はいつの間にか甲が下向きにひねられ、その肘の下には塩田氏の肩があった。いわゆる一本背負いの姿勢のように、私の身体は浮き、投げられる寸前の姿勢で止まった。 私は右肘をさすりながら、「今のが先生が中国で使った技ですか?」と聞くと、先生は「そうだ。実戦では腕を折りながら投げんと、また起き上がってくるからな。イッヒッヒ」と笑った。

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合気道修行

実戦

合気道修行

塩田剛三

8

私の師匠であるところの植芝盛平先生も次のように言っておられました。 「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分」  私の体験から言っても、まさにそのとおりだと思います。 それなら、関節技はどうなるのかと問い返されそうですが、たとえば酔っぱらいにからまれたとかいう場合なら、関節技で制圧した方がいいケースもあるでしょう。しかし、生きるか死ぬかというような状況に身をさらした場合や、多勢を相手にした場合などは、一瞬の勝負になりますので、当身や瞬間の投げじゃないと身を守り切れません。逆に言えば合気道の本質は、そういうギリギリの闘いにおいて発揮されると言ってもいいでしょう。 さて、当身といっても、合気道の場合は拳や蹴りなどにこだわりません (中略) これは、相手の攻撃をよけてから反撃するのではなく、逆にその攻撃の中に入って行くことによって可能となる技です。

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