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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度が高く、また再版されていない書籍などから引用してデータベースにしました。

リストの一覧や、カテゴリーごとに表示することが出来ます。

【著作権者の方へ】引用の範囲を逸脱していると考えられる場合はデータから削除いたしますので、お手数ですが、下のお問い合わせからご連絡をお願いします。

ザ・古武道

合気の技

ザ・古武道

菊地秀行

92

「相手を崩すのは、必ずしも身体でなくてもいいのです。また、突いていらっしゃい」 最初の技はかなりこたえたが、ギブアップにはまだ間がある。こうなれば、と私は突きを出した。その眼の前で、パン! といい音がした。当然、私は「わっ」と崩れた。 打ち鳴らした手と手を離し、近藤氏はにっこり笑った。「いま、驚きましたね。これで、あなたの気が崩れたわけです。ここで技をかければ十分かかります。身体を崩すばかりではないというのは、こういうことなのです。次に合気の例を示してみましょう。私の手を取って押して来てください」 用心しながら押すと、近藤氏は抵抗せず、「ここまで押しこまれると、合気の技はかけられません。あなたの体勢が整ってしまったからです。これから技をかけると、柔術の領分になります。合気の技ですと、そうなる前に、あなたの体を崩さなくてはなりません。もう一度」 今度は、力を入れる寸前、近藤氏の手が動いて、私はバランスを崩した。「これで相手はまともな攻撃がかけられなくなります。次の瞬間、技をかけるのです」 なにしろ応接間であるから、投げとばされたり、引き倒されたりすることはなかったが、手首の内と外にある急所を責められたときはまいった。 手首を握ったときは、必ずここを押えて崩すから、やられたほうは動きを固定されるばかりか、プラス激痛の二段攻撃で身動きできなくなってしまう。取材後、私の右手首は倍近く腫れ上がっていた。

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甦る古伝武術の術理

一点の接触

甦る古伝武術の術理

甲野善紀

91

プラニン - 触れている点が一点と言えば、大東流合気柔術六方会の岡本正剛先生も一点の接触で技を掛けられますが、あの岡本先生の技に関してはどんな感想をお持ちですか。甲野先生もたしか岡本先生の技を受けたことがおありでしたね。 甲野 - ええ。岡本先生の技にもすばらしいものがあると思います。岡本先生はしきりにまるい球の動きを強調しておられますが、岡本先生のまるい動きは、先程申しました、球がころがっていくような結果としての円で、中心を決めてワイパーのように動く「悪しき円」とは違うはずです。それに岡本先生は、相当に胸を使う技術をお持ちですね。ですから七十歳におなりになっても、あれだけ技が利くのだと思います。

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武田惣角と大東流合気柔術

「合気」という言葉

武田惣角と大東流合気柔術

合気ニュース

86

(スタンレー・プラニン)- 惣角先生が指導され始めた頃、惣角先生の武道は大東流柔術と呼ばれていました。そして、後に大東流合気柔術として知られるようになりました。どのようにして名前が変わったのかお話しくださいますか。 (佐川幸義)-「合気」という言葉は古くからあります。「合気」という言葉は明治時代から使われています。これは私の父が武田先生に教わった技をまとめたノート。ここに、「アイキをかける...」という言葉が随所に出てくるでしょう。これは、大正二年五月十四日に記されたものです。父は、当時数え年で五十歳ぐらいで、武田先生は五十五歳でした。だから、合気という言葉はその以前から使われていました。武田先生は合気柔術と柔術とを区別して教えていました。

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開祖 植芝盛平の合気道

梅で開いて、松で治める

開祖 植芝盛平の合気道

大宮司郎

85

さて、翁は「三千世界、一度に開く梅の花」につづいて「梅で開いて、松で治める」と言って、今度はばっと開いた手を結んだという。この言葉も同様に、大本教における神示の一つなのである。 (中略) そして植芝翁は、開いた手を「梅で開いて、松で治める」と結ぶとき、握った手で松の精髄である「松ぼっくり」を、そして握る動作で「納める(治める)こと」を象徴していた。 (中略) このように手を握ることを、大東流では「猫の手伝」という。このような何気ない動作が、なぜ口伝とされているかというと、手を握ることによって、肩や肘から力を抜くことができるからなのである。 手を握ると手に力が入ると思うだろう。だが開いた手に力が入っているとき、そのままの形で力を抜くことは、普通の人にはなかなか難しいのであるが、手を軽く握ることによって、肘や肩の力を抜くことができるのである。

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武闘伝

究極の呼吸力

武闘伝

加来耕三

82

「塩田さんの技は、自分たちとどこか違う」 教えを受ける将校たちは、いずれも剣道・柔道の有段者ばかりである。 腕には自負もあり、鍛えぬかれた眼力は、いつしか自分たちの技と塩田の技に、根本的な差異があることを発見した。 だが、その差がどうにも説明できない。同じ小手返しでも、入身の技でも、違うことははっきりしていたが、それを真似することはできなかった。 (中略) くり返すようだが、生前の塩田の技は、微妙に他の合気道家とは違っていた。 触れた瞬間、その相手の体が浮き上がるような、あるいは地へのめり込むような多くの場合、触れた部分、たとえば両手取りなら、瞬間に両手がきめられてしまい、相手は動こうにも動けなくなってしまった。 一度、二ヶ条(二教)をかけてもらったことがある。するとどうだろう。筆者の痛みは、手首や腕を通り越して足にきた。まるで雷にでも打たれたような、瞬時の出来事であった。そして、手をほどかれるとその激痛は嘘のようにやんでいた。

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三大技法に学ぶ日本伝大東流合気柔術<2>

入脱自在の事

三大技法に学ぶ日本伝大東流合気柔術<2>

菅沢恒元

80

ここでいう「脱力」とは、日本伝統諸芸の基本である。弓術の「離れ」(弓の弦を親指から放つこと)のごとく、矢がいま放たれんとする刹那の工夫であって、これが出来なければ的に当たらず、自然の動作とはならないものである。 (中略) さて、脱力は入力を前提とすることは自明の理である。人間は、立ち座っていること自体が、無理な力で形を保っている。だからこそ、この状態から天然自然の重みによって入脫自在の技が生まれると心得る。

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合気武道精髄

相手の力を吸収する

合気武道精髄

平子俊明

67

合気武道に於ける合気とは、一言で言うと相手の力を吸収する事である、と言ってもいいだろう。そしてその方法は大きく三つに分ける事が出来る。つまり、物理的、神経的、心理的の 三つである。そしてそれらが、実際には複合して使用されている。それ故、初心者にはその修得が比較的難しいとは思うが、易から難へと段階的に練習を積めば、本来誰にでも出来る事である。 練習の際注意すべき事は、例えば合気揚げであれば、受けを行う者は、始めから必要以上に 力を込めたり、掴んだ手を故意に揺さ振ったり、フェイント等を掛けないようにする。それは、合気の練習というものは、決して勝負や力比べではないからだ。お互いに今、練習相手のいる事に感謝しながら、むしろ、どうすれば早く相手が上達するだろうかと考えてやるべきである。

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合気武道精髄

これも一つの技術

合気武道精髄

平子俊明

66

合気武道に於ける合気とは、諸説あろうとは思うが、筆者は合気揚げのところで述べたように、大まかではあるが、相手の力を吸収することであると理解している。そしてこういうものは、あまり難しく考えず、単純に、これも一つの技術であると捉えた方が良いと思っている。 確かに外部の人間から見ると、合気に熟達した者の表現する技は、神秘的にすら見えるかも知れない。しかし、それは単に術理を知らないからである。術理とは、別の言い方をすればコツと言ってもよく、そう考えると職人芸の世界では、素人には信じられないような事を、皆、日常平気な顔をしてやっているではないか。

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高岡英夫の極意要談

剣術の側からの合気

高岡英夫の極意要談

高岡英夫

63

(稲葉稔)例えば、合気ということについても、「本当の合気の技というのはここなんだ」と教えられたことがあります。「剣でいうとここなんだよ」と、剣で斬ってこいと言われる。剣と剣が斬り結ぶ、ビシッと当たった瞬間にどちらの剣が生きているかという問題なんだと。 空手にしても、拳と拳とで当たったときにどちらの手が生きているのか。体がバッとぶつかったときにどちらの体が生きているのか。そこの瞬間、当たった瞬間に合気の技があるとおっしゃってました。では、それをどう修練していくのか、というのは別の問題ですけど。 合気というのはここなんだ、まさにこの瞬間の『手の裡』に秘訣がある、と剣術の側からいう合気について、実際に伝授して下さったわけです。それを体感し、「ああ、ここに技があるのか」と自分なりに分かる。だから私はそこに主眼を置いて合気道の稽古をしようと考えて、やってきたんです。

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合気道の奥義

合気の根本

合気道の奥義

吉丸慶雪

60

【佐川幸義先生口伝】1967.5.31 合気の根本は次の三点である。(1.攻める角度、2.人体の骨格的な弱点、3.力の集中。小手に力を集中する練習は重要である。しかし足腰の鍛錬が伴わなければ無意味である。徹底的に足腰を鍛錬しなければならない。また運動は続けなければ効果はない。最近は少なくしているが最近まで一日三千回の変更の鍛錬を続けていた。そのほか剣、槍、棒すべて毎日練習をしている。

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合気道の奥義

持たれた瞬間に

合気道の奥義

吉丸慶雪

59

【佐川幸義先生口伝】 1966.3.7 合気が分からぬ以前は速さで崩す必要がある。速さといっても持たれる前に先走って掛けるのではなく、持たれた瞬間に掛ける。持ってしかも力の入らな瞬間をとらえなければならない。真の合気は敵が力を入れて頑張った場合にその力を抜いて崩すのだが、真剣実戦の場合は速さで掛けるのが本筋である。

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合気問答

合気之形

合気問答

塩坂洋一・保江邦夫

55

佐川先生曰く「最初は力でもいいから揚げてしまいなさい」。入門当初、よく教えてくださったお言葉である。これはどういうことかというと、受けの姿勢を上に崩すことでその両肘を揚げてしまうことが眼目である。 合気をかけて力を抜く前段に逆説的ではあるが、何によってであれ、敵両肘を揚げること、が敵の力を出させないようにする一つの原理であり、姿勢に隠された合気之形があることを教えてくださったのである。 (注釈) 一口に「合気揚げ」と言っても、受け側の姿態には様々なものがある。腕を回内して全体重をかけて抑える形、仕手の手首を横から掴む中間位、手首を下から掴んで亀のように背を丸めて揚 げさせないなど。また、両肘を突っ張って伸ばしたり、逆に肘を緩めて力を遮断する方法もとられる。本来、武術としてはその全てに対応できなければいけない。

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合気道 絶対に崩せる「無力化」の手順

抜き

合気道 絶対に崩せる「無力化」の手順

井上強一

52

そもそも、抜きという概念自体は大東流合氣柔術のものなのです。佐川義先生が有名ですが、それ以外の先生方、たとえば岡本正剛先生や堀川幸道先生も抜きを使われています。 合気道においては植芝盛平翁、塩田剛三先生が抜き技を使った達人として有名です。また、琉 球唐手の先生方は、抜きと同じ無力化の技術を身につけていらっしゃいます。そして、柔道においても、伝説的な三船久蔵十段の「空気投げ」も柔道の型稽古を反復する中で身につけられた抜きのひとつであったと私は想像しています。 こういった先人の方々に共通することは何でしょうか? その答えは、「基本に沿った、理合にかなった稽古を長く続けた」ということです。 (中略) 実を申しますと、故・塩田剛三館長は、あまり「抜き」を人前で披露することがありませんでした。その理由は、「抜きを見せるとそればかりを真似するようになって基本技がおろそかになる」ことを危惧されたためです。

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武学入門

タイミングをずらす

武学入門

日野晃

51

岡本師「合気は、相手がこちらに触る瞬間に少し動いているのですね」 筆者「タイミングをずらす、ということでしょうか?」 岡本師「単純にずらすのではなく、一度下がり相手が掴もうと思った場所よりも、前に掴ませるのです」 筆者「ええっ、それは非常に高度な一瞬ですね」 私が、岡本師の道場に取材に訪れた時、「合気」を説明してくださった一コマだ。 岡本師「人は、押すと押し返すという条件反射があります。それを巧みに利用しているのが『合気』でしょうね」 ああそうか、ではない。「相手の触る瞬間をずらす」ということは、しかも一度下がって改めて相手に、 いわば、少し早い目のカウンターを出している、ということだ。ここで言われている「一度下がって改めて」というのは、例えば、肩を軸に円運動が行なわれている、ということであり、その円運動の起こりが相手の動きよりも早く始まっている、ということになるのだろう。 というのは、技術として「円運動である」と岡本師が語っておられたからだ。そこから考えれば、手首か、肩か、肘か、肉体全体の軸か、といった具合に「軸」を中心に考えれば、的確な場所で円運動が起こっている、ということになる。 問題は、そういった肉体運動のことではなく、「相手が掴む瞬間が分かる」ということだ。そうでなければ、それをずらすことは出来ない。「合気」を掛けることは出来ないのである。

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開祖植芝盛平の合気道

手ほどき

開祖植芝盛平の合気道

大宮司郎

46

じつは合気は「手ほどき」から生まれたものではないかという説がある。この説を初めて公刊書に記したのは、管見では、換骨拳を経て骨法宗家を名乗った堀辺正史師範である。 堀辺家は、わが国固有の武道である古代相撲から発して、清和源氏に伝承され、新羅三郎義光によって体系化されたとされる換骨拳を代々伝承して来た家柄であり、新羅三郎義光をその開祖とする大東流と換骨拳が相互に関連があることを、堀辺師範は著書で述べている。残念ながらその述べるところの真偽は定かではないが、少なくとも「武田 (惣角) は柔術の手解きの技を修練するなかで、相手が崩れるのを発見したのにちがいない。手解きとは、相手に摑まれた手を抜くための技であるが、武田は手を 抜いてゆく過程の一瞬、相手が崩れるのを発見したのだ!」(『喧嘩芸骨法』)という指摘は重要である。 もっともそんなことは少し大東流をかじった人ならば常識であるという某師範の指摘もあり、また故佐川幸義師範が堀辺師範に語っていた可能性もある。堀辺師範は巨額の伝授料を佐川師範に納めて、余人が教えてもらえなかったような口伝をも伝授されたという噂があり、少なくともかなりの伝を受けたことは事実だからだ。

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合気問答

食虫植物

合気問答

塩坂洋一・保江邦夫

44

(塩坂洋一編)公営の植物園があったので入ったときのことである。食虫植物が展示してあったのだが、そこに食虫植物が獲物を取る方式について次のような解説があった。1.落とし穴式、2.ばね(わな)式、3.とりもち(粘着)式、4.吸い込み式、5.誘導式...である。まるでこれはそのまま力抜き合気の技術の名称にもなっているではないか。このように普段から日常のちょっとしたことに興味を持って合気と関連付けることは、そのまま合気思考・観念の稽古になると考えればよいのだ。

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透明な力 - 不世出の武術家 佐川幸義

りきんだら出来ない

透明な力 - 不世出の武術家 佐川幸義

木村達雄

41

何を言っている、りきんでいないから出来るのだ。りきんだら出来ないのだ。 りきんでいたら、「りきむ」ということだけで終わってしまい、そこまでだ。りきまないでやっているといろいろなことが分かって上達する。どうも力を入れてやらないと武術的でないと思っているようだが考え方をすっかり変えなくてはいけない。私の武術は鍛錬に鍛錬を重ねて初めてできるものなのだ。りきんだ力なんて自分が感じるだけで相手になんら影響を与えない。単なる自己満足だ、そういうことなんですよ。

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合気道 呼吸力の鍛錬

相手の力を抜く

合気道 呼吸力の鍛錬

井上強一

24

開祖は与える呼吸力ばかりではなく、相手の力を無力化し、吸収してしまう力の使い方を身につけていたから、晩年になって力の強い人間を相手にしても、楽に制することができたのだ。 しかし、どうやれば相手の力を抜くことができるのか、そのコツを具体的には教えてくれなかった。だから若い頃の塩田宗家は「お願いします」と何度も開祖に技をかけてもらい、受けを取る中から、自分の体でつかんでいったのだという。 (中略) 塩田宗家は呼吸力という言葉を使いながらも、晩年には与える呼吸力と相手の力を無くす技の両方を使いこなしていた。無くす技は、本来の意味から言うと呼吸力の定義からはみ出すかもしれない。したがって、「抜きの技」「合わせの技」「とらえの技」などという表現を使う場合もある。

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合気道 絶対に崩せる無力化の手順

抜きとは何か?

合気道 絶対に崩せる無力化の手順

井上強一

12

個人的な意見ですが、抜きは合気道で磨き上げられる呼吸力が最高潮に達し、崩しの動きを瞬時に、そして一挙動で行う技術であると言えるでしょう。 抜きが使われた有名な例としては、昭和三十七年にロバート・ケネディ氏(ジョン・F・ケネディ元大統領の弟)が養神館道場に来館された際、身長190センチメートル、体重100キロはあるボディーガードを塩田剛三先生が抑えつけた逸話があります。 私は間近で見ていましたが、その時は抜きを使って崩し、四ヶ条で抑え込んだのだと思います。四ヶ条は痛みを感じるのですが、ボディーガードは痛がる様子もなく、ビックリしたような表情をしているので、間違いなく痛みを感じていません。

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