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合気道を理解するために役立つ知識や名言、歴史上のエピソードを、信頼度の高い書籍などから引用したものをデータベースにしました。

リストの一覧や、カテゴリーごとに表示することが出来ます。

武闘伝

究極の呼吸力

武闘伝

加来耕三

82

「塩田さんの技は、自分たちとどこか違う」 教えを受ける将校たちは、いずれも剣道・柔道の有段者ばかりである。 腕には自負もあり、鍛えぬかれた眼力は、いつしか自分たちの技と塩田の技に、根本的な差異があることを発見した。 だが、その差がどうにも説明できない。同じ小手返しでも、入身の技でも、違うことははっきりしていたが、それを真似することはできなかった。 (中略) くり返すようだが、生前の塩田の技は、微妙に他の合気道家とは違っていた。 触れた瞬間、その相手の体が浮き上がるような、あるいは地へのめり込むような多くの場合、触れた部分、たとえば両手取りなら、瞬間に両手がきめられてしまい、相手は動こうにも動けなくなってしまった。 一度、二ヶ条(二教)をかけてもらったことがある。するとどうだろう。筆者の痛みは、手首や腕を通り越して足にきた。まるで雷にでも打たれたような、瞬時の出来事であった。そして、手をほどかれるとその激痛は嘘のようにやんでいた。

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植芝盛平と合気道

一番の思い出

植芝盛平と合気道

合気ニュース

73

塩田 一番思い出深いのは、昭和十六年頃、宮様方が合気道をご覧になりたいということになりまして、あの時の植芝道場の会長で、陛下の侍従武官か何かをやっていらした、海軍の竹下勇大将が道場に依頼にこられたのです。ところが大先生、「宮様の前では嘘をお見せするわけにはいかん」と言われたんですよ。その嘘というのはですね、「自分が一度やると相手は死んでし まう。それがまた起き上がって掛かってくるというのは嘘であって、そんな嘘をお見せするわけにはいかん」というわけですよ。そのことを竹下大将が宮様にお伝えしたら、「いいや、嘘でもいいから見せろ」とね (笑)。 その時、植芝先生は十日前くらいから黄疸で苦しんでいたんです。吐いてばかりいて、ほとんど食べていないんです。とにかく水を飲んだだけで吐いちゃうんですから。それで内弟子の湯川勉 (皇武館道場 時代の内弟子)さんと私と二人でお供して行く事になったんです。 (中略) その演武というのが湯川さんが前半二十分、後半私が剣を持ったりなんかで、二十分やるという段取りだったんです。そういうことで控室に行って稽古着を替えさせて、まあ死ぬ程ではないけれど、ダッと力が抜けて、ダランとなっちゃうんですよ。とにかくそんな状態で、囲りから見えない、相撲でいう花道というんですか、そこまで必死で抱えていったのです。  それがですね、宮様達をご覧になったら、先生突然シャキッとして、シャッ、シャッと歩きだしましてね、びっくりしましたよ(笑)。 精神力なんですね。背中をピシッと伸していっもと変わりないんです。とにかく先生の身体がそんなにひどい状態ですから、湯川さん、遠慮しちゃったんですね、フワフワーと出て打っていったんですね。そしたらピターツと倒されちゃって、何と腕が折れたんです。わずか十秒か十五秒の出来事でした。 それから急いで湯川さんを引っ込めて、後の四十分はほとんど私がやったのです。全くひどい目にあった、四十分投げられっぱなしでね。ようやく終わって、先生が戻ってきたのですが、宮様に見えない所にくると、またグターッとなって(笑)。もう精も根も尽きたんでしょうね。ところが湯川さんがもう駄目なもんだから、私一人で着物を着替えさせたりで、大変でした。私もバンバンやられた後だから参っちゃいましてね。後で熱が四十度も出て、三日間くらい寝こんでしまいました。

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格闘士列伝

いや、若いな

格闘士列伝

板垣恵介

72

とある防具空手の有名どころが、塩田剛三に他流試合を挑みに、養神館を訪ねてきたことがあったそうだ。とても礼儀正しい人で、自分の身分を明かして、「これこれ、こういう理由で私と、お手合わせ願いませんか」と。 対して塩田剛三は、耳が遠く、物事もあまり理解できないような顔つきで、 「あ~、ああ」ってやっていたという、大変な演技者だ。 「あ~、私とそうですか。ハイ、分かりました。でぇ、いったいい、いつぅ、やりぃますぅかぁ」 言葉だけでなく、動きまで全然ゆっくりなジイさんを演じ続ける。口をもごもごさせている塩田剛三に対して、この空手家はあまりにも、純粋なスポーツマンだ。慇懃な姿勢を崩さず、「今日、この場でお願いします......」 その言葉が終わるや否や、空手家は玄関に崩れ落ちて、担架で運ばれてしまった。 人差し指で、彼の咽喉元をえぐったらしい。失神してしまった防具空手の選手の顔を見下ろし、塩田剛三は、「いや、若いな」と呟いて、奥へ戻っていったというんだ。

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続植芝盛平と合気道

殴ってやるから紹介しろ

続植芝盛平と合気道

合気ニュース

75

まだ塩田先生が拓大の学生だった頃、先生の友達でものすごく喧嘩の強い人がいた。その人が先生に、「植芝先生が強いと言うが、あんな爺さん、頭のひとつでも殴ってやるから紹介しろ」と言った。「じゃあやってみろ」ということで、ある日連れて行ったそうです。「このあいだ話した友達の何々です」と塩田先生が紹介すると、その友達が「初めまして」と言ってずーっと頭をさげたわけです。それで植芝先生が「ああよくいらっしゃいましたな」と言ったが頭をさげない。いつもはどんな人に対しても礼儀正しくしなさいと厳しく言っているのに、そのときはぜんぜん頭をさげない。 一方、その友達は頭をさげたままぜんぜんあげない。二人で何をやってるのかなと思ったら、そのうちにその友達がぱーっと頭をあげたら植芝翁が「ああよくいらっしゃいました」って頭をさげた (笑)。そしたら友達が「参りました」って頭をさげたのです。 その友達が帰るときに、「初めての人から挨拶されれば、いらっしゃいと頭をさげるだろう。その途端に殴れば当たらないまでも触れるかもしれないと思って待ってたんだがいつまでたっても頭をさげない。これは駄目だと思って頭をあげたら逆に頭をさげられて殴り損なった。あの爺さんは只者じゃあないよ」と言ったそうです。 それから館長先生は道場へ帰って植芝翁に「友達が学生とはいえ、なんでお辞儀をなさらなかったのですか」と聞いたわけです。そしたら翁は「君の友達は初めは邪で心から挨拶してなかった。でも途中で心を改めたようだから私は頭をさげた。そしたら勝手に参りましたって言ったんだ」と(笑)。

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中心力の時代

心と身体の一致

中心力の時代

安藤毎夫

76

中心がぶれないで動けているかどうか判断できる「感性」。中心線を理解する「感性」。「感性」が研ぎ澄まされ、肉体にスッポリ心がおさまった時、心がまったく不満を感じなくなったとき「心と体の一致」が現れる。心と体が一致したとき中心のぶれない動きが可能となる。逆に言えば、中心がぶれればすぐ心にも違和感が生じてしまうからである。 (中略) その基本技はどのような基本の動作でできているのか。基本の動作に共通する原理は何であるか。と、たどっていくと構えになり、中心力に帰着する。最後に塩田館長の言葉で結びとする。 「合気道は和の武道だといわれますが、その解釈は簡単だと思うんですよ。人と相対したときに相手の敵腹心をなくすような自分の人柄と実力を持っている、と。これがひとつの和になるんです。けっして妥協じやない。和というのはち やんとひとつ自分に強いもんがあって、そして相手を味万にする。協力者にし、てしまう。これが“対すれば相和す”です。それにはよっぽど自分の徳を積んとできない。結局ね、根本は自分の中心力なんです」

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高岡英夫の極意要談

中心線の力

高岡英夫の極意要談

高岡英夫

64

(塩田剛三)一番大事なのは先ほど申し上げた点です。植芝先生は呼吸力呼吸力と言っておられたんですが、これは結局私が分解したところによりますと集中力即ち中心線の力。これはあらゆるスポーツに通じると思うんですけど、中心線の強さ、ぶれないということこれが やっぱり大事ですね。これが難しいことでぶれないようにしようしようとするとぶれるんですね。だから、それが自然に行われるような自分の足腰を鍛え上げて作り上げていく。それが出来れば、どんな格好しても構わない訳なんです。植芝先生は何やらブラブラしているんですが、(動きが)ちゃんと生きている。そして、いざとなったときはスパッと変わってしまうんです。

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戦後合気道群雄伝

合気会 vs 養神館

戦後合気道群雄伝

加来耕三

62

養神館道場の設立時、塩田剛三を助けた功労者の一人に寺田精之がいる。 のち、養神館最高師範となるこの人物は、武道家にありがちな偏見、近視的なも方が皆無ともいえる稀有な人で、実に武人らしい風貌とともに、冷静沈着な客観性を持っていた。私事で恐縮だが、昭和五十一年、筆者は寺田の著した『図解合気道入門』(文研出版)を購入し たことがあった。 合気道の技法を写真入りでわかりやすく解説した本で、この本の最後には「合気道道場案内」が一ページもうけられていた。 当然、「財団法人合気道養神館道場塩田剛三」の住所と電話番号が一番上に記載されていた。 筆者が驚いたのは、横書きの連絡先をみていくと五つ目に、「財団法人合気会合気道本部道場 植 芝吉祥丸」が載っていたことであった。 いわばライバル関係にあるにもかかわらず、寺田は合気会本部道場のみならず、合気会の支部十カ所を明記していた。なかなか、できることではない。当時、寺田は養神館道場の筆頭師範であった。

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古武道入門

力の出所

古武道入門

日野晃

56

よく考えなければならないのは、塩田宗家が弟子相手にこの技をかけるということは、弟子は始終宗家の技を受けているのだから、塩田宗家がやろうとしていることを認識しているはずである。しかし、いくら認識していても塩田宗家の力の出所がわからない、力の方向がわからない。つまり、抵抗できないのだ。 (中略) ここでは「体重移動」と簡潔な言葉で表現しているが、実際は単純な移動ではない、ということである。 たとえば、塩田宗家の胸ぐらを弟子が右手で掴み四股足で踏ん張るが、あっけなく倒されてしまうを例に取ると、まず塩田宗家は左手を相手の右手の上に乗せる。一つ目の力は、宗家の左手を通して弟子の両膝に上から掛かる。二つ目の力は、弟子の身体全体の踵側、背中側にかかる。三つ目は、宗家の胸ぐらから弟子の右手を通し、右の肩口から左足膝にかかる。というように三方向に対して力が出ているのだ。先ほど高性能な身体受信能力といったが、それには例外がある。それは身体は 複数の刺激に対しては極めて不得手という性質だ。

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板垣恵介の格闘士烈伝

黒帯会

板垣恵介の格闘士烈伝

板垣恵介

53

黒帯会を、いともあっさりと俺のような外部の人間に公開できる理由がここにあった。どの技をとっても秘伝や奥義なのだろうが、見ている人間はそれを盗めやしないし、やられている人間も同じことだろう。塩田館長にしかできないことなのだから、いくら人に見せたところでリスクのかけらもないんだ。  (中略) よく、館長が言っていたことは、「痛いと感じさせるようじゃダメだ」っていうことだ。俺たちレベルが、どんな格闘技に手を染めようとも、技を仕掛けようとした時点で、相手が痛みを伴うものだと理解できる猶予がある。  そこで、戦っている相手は、ある程度の覚悟ができる。どんな技でも、普通にかけることができれば痛いはずだ。たとえ、素人が技をかけたとしても。そこに 覚悟する猶予のある相手は、反撃を試みるだろう。誰だって、愛する者を守らなきゃいけないという状況では、アドレナリンが回って痛みの感じ方も違ってくる し、なんとしても反撃を試みる。だから塩田館長曰く、「痛くて倒れている状況じゃダメなんだ。痛くないけど、どうしようもないという状況まで、持ちこまなければ」ということになる。  じゃあ、そういう状況とは何を指すのか。館長にそういう状況に追いこまれた お弟子さんたちの話では、全員が「重かった」と同じ台詞を残している。  重い、と相手に感じさせることのできる合気の使い手が、どれだけ存在するだろうか。「流れが見える」――そういう表現をしているけど、独自の呼吸術や人の体重移動を見極める力がずば抜けている人だったんだろう。本人によると、そういう力が身につくようになったのは、合気道を始めて、二年か三年してからだというから、合気道家として完成するのに、最短コースを歩んでいたに違いない。

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合気道 絶対に崩せる「無力化」の手順

抜き

合気道 絶対に崩せる「無力化」の手順

井上強一

52

そもそも、抜きという概念自体は大東流合氣柔術のものなのです。佐川義先生が有名ですが、それ以外の先生方、たとえば岡本正剛先生や堀川幸道先生も抜きを使われています。 合気道においては植芝盛平翁、塩田剛三先生が抜き技を使った達人として有名です。また、琉 球唐手の先生方は、抜きと同じ無力化の技術を身につけていらっしゃいます。そして、柔道においても、伝説的な三船久蔵十段の「空気投げ」も柔道の型稽古を反復する中で身につけられた抜きのひとつであったと私は想像しています。 こういった先人の方々に共通することは何でしょうか? その答えは、「基本に沿った、理合にかなった稽古を長く続けた」ということです。 (中略) 実を申しますと、故・塩田剛三館長は、あまり「抜き」を人前で披露することがありませんでした。その理由は、「抜きを見せるとそればかりを真似するようになって基本技がおろそかになる」ことを危惧されたためです。

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伊藤式胴体トレーニング 「胴体力」入門

相手の力を吸収していない

伊藤式胴体トレーニング 「胴体力」入門

秘伝編集部

49

確かに塩田師の演武は、他の合気道家とは明らかに異なる風合いがある。合気道は円の武道と言われるが、特に激烈とも言えた彼の当て身や投げ技はきわめて攻撃的なものであった。時に直線的で時に鋭角的な彼の動きこそが彼の個性であり、養神館らしさでもあった。 「塩田先生の技の特徴に、相手の力を吸収していない、ということが挙げられます。というのは、植芝盛平翁などはいったん相手の力を吸収して、それから(相手とともに)力を弾き出しているのです。しかし塩田先生は、問答無用に触れた瞬間、相手を弾き飛ばしている。これは後で述べますが、身体の中の三本の軸の賜物であり、我々の想像もできない異質な意識の働きによるものなんです」 伊藤師は塩田師の動物的ともいえるスピードにも注目する。 「『速い』ことと『急ぐ』ことは似て非なるものです。『速い』は自分で動きをコントロールできることを意味し、『急ぐ』は逆にコントロールできないことを示しています。塩田先生の動きは速かったですが、急いではいませんでした。

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対談 発勁の秘伝と極意

姿勢、身勢から発する力

対談 発勁の秘伝と極意

笠尾恭二・平上信行

43

笠尾:柔術當身法の基本は姿勢、身勢から発する力と言えば、中国拳法では三尖相照や六合の教えと対応しましょうか。これももとは槍術の極意だったと思いますが、形意拳では重視されている口訣です。私も王樹金先生からご教示いただいたことがあります。 平上:三尖相照... 鼻と拳先、爪先を合わせるということですね。これは中国拳法におけるなかなか良い教えです。柔術でも同じですが、日本武道の用語で言えばやはり三角矩ということでし ょうね。先般居合の例として挙げましたが、柔術でも多少の意味合いを変えて使われる大変に味わい深い良い言葉です。 それはともかく日本柔術を投げや逆手主体の格闘技のようにとらえる向きもありますが、部分的な當身の鍛練を行わないから當身稽古が少ないのかと言えばそれは決してそうではない。故塩田剛三師範は生前、合気道の足捌き、体捌きの全てが既に當身の稽古につながっていると述べておられますが古伝の日本柔術も同じ見地に立つものであります。 笠尾:強力な當身を発するためには安定した姿勢と拳打の角度、そして排捌きによって瞬間的な力を発するということですね。私も塩田師範が実戦的な対人演武の中で、手先だけではなく、からだのどこからでも瞬発的な気力を発して相手を倒す場面を見たことがあります。當身の極致を身をもって描いたものと言えましょうか、実に迫力がありましたね。

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最強格闘技図鑑真伝

日本武道史に名を残す

最強格闘技図鑑真伝

松宮康生

40

柔道の木村政彦は、拓殖大学で塩田剛三の2年後輩である。そして、その木村の後輩が、極真会館の大山倍達なのである。そう見てみるとそのころの 拓大は、後の日本武道史に名を残す偉大な武道家を輩出している名門大学といっても過言ではない。 当時木村は、拓大では他にならぶ者がいないほどの腕自慢 であった。塩田に言わせると当時は「拓大最強の男」と呼ばれていたという。実際、当時の木村はアルミニウムの1円玉を親指と人差し指で半分に折り曲げたり、当時鉛でできていた電車のつり革を腕力で曲げるというようなことをしていた。ちなみに木村の一円曲げからヒントを得て、大山のコイン曲げが生まれたという説があるが、真相はさだかではない。 そんな木村が「おれは、腕相撲では負けたことがない」と 塩田に言ったので、塩田は「じゃぁ、自分とやってみるか」ということになった。勝負は3回勝負であったが、最初の2回を 塩田が勝った。塩田は、3回目は木村に花を持たせる意味もあり、わざと負けてやったという。木村にもそのことはわかったようで、塩田の合気道の技術はすごいと後に自分自身の 講演でも話していたようである。 この話には後日談があり、その話を聞いた大山(倍達)が、塩田とぜひ会いたいといったため、3人であったことがあるという。3人の話題は、いかにして相手の力を応用し自分の力とできるかというような武道談義であった。 大山の話では、当時木村先輩も塩田先輩も武道家として尊敬すべき先輩であったのでなんでも学んで自分のものに取り入れていこうという考えであったと、当時のことを語ってくれた。確かにこの3人には、しいて言うならば武道による垣 根が低かったような気がする。大山は、その技術書(秘伝極真空手や続・秘伝極真空手など)を読んでもわかるように、自分の技術のなかに柔道や合気道の要素も自分なりにアレンジして取り入れているのがわかるのである。木村にしても同じようなことがいえる。また、塩田にしても合気道以外の武道を熱心に観察していたことはよく知られている。これら三 人に共通しているのは三人が三人とも研究熱心であり、ものの考え方に偏りがないということである。自分のやっている武道だけが最強というのではなく、自分のやっている武道にもっと役立つことはないかとよく研究しているのである)

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最強格闘技図鑑真伝

三拍子に中心線を合わせる

最強格闘技図鑑真伝

松宮康生

35

かつて一度だけ塩田剛三が雑誌(月刊フルコンタクトKARATE 1981年11月号より )で木村政彦と対談した事がある。その中で塩田は、無意識で戦えるというのは合気道の極意であるという意味の事を語っている。ただし、極意に到達するためには何より基本をしっかりマスターする事が大切であるという。そしてその対談の中で呼吸について重要な事を語っている分があるので引用したい。 「技を徹底して体に浸み込ませれば、あとは相手に対しても自然に技が出る。木村が無意識で戦ったというけど、それは徹底し て技を浸み込ませた上でのことだ。ああして投げてやろう、こうして投げてやろうと思っているうちはダメだ。 ​ 合気道ではそれを呼吸と言う。力で無い力、相手に合わせて自然に出る力だ。リズムと言ってもいいね。呼吸は3種類あって「吸う」「吐く」「止める」がある。吸う息は相手を誘うが、吐く時は極限の力を出す時。止める時は瞬発的な動きをする 時なんだが、この3拍子に中心線を合わせる。 どんな時でも頭と足の先を結ぶ中心線を崩さなければ相手に投げられない。自分の方からこの技をかけてやろう、と気が先走ると技が後に来るから、そこにズレができる。息との関連性が無い。しかし、呼吸と動作が一致すれば、あとは相手との呼吸を合わせるだけで良い。相手の動きに応じて自分が反応できるわけだ。 ​ 知らぬ間に相手を倒し、投げることができる。これが自然体である。

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中心力の時代

武術的な合気道

中心力の時代

安藤毎夫

34

普通の武道や格闘技であると、体が小さいことが不利になる。しかし、塩田館長は、154センチと体の小さい方だが、それでも圧倒的な実力がある。ということは、どのような人でも動き方、体捌きを知っていれば戦える、しかも勝つことが出来るということだ。武道でも格闘技でもない、人々が誰でも持っている「武術的な」身のこなしができればいいのだ。 武術というのは、実際触れ合った時というのが勝負である。面と打ったその瞬間に勝負が決まっているのである。 (中略) 武術的な要素にばかり目が行くことも問題があるが、この要素をいつも忘れてしまっていることも問題だ。今、伸び悩んでいる人、毎日の稽古に刺激が欲しい人は、ぜひ武術的な合気道にチャレンジしていただきたい。

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合気道「抜き」と「呼吸力」の極意

気配

合気道「抜き」と「呼吸力」の極意

井上強一

33

植芝盛平先生の稽古で、木刀を持たせた相手に打ち込ませるということを行っていました。塩田剛三先生は、「自分にもやらせてください」と言って木刀を持って打ち込んだのだそうです。そうしたら植芝先生は難なく左へとかわしました。もう一度、正面に打ち込んだら、再び左へかわされたそうです。そこで、塩田先生は「正面に打つと見せかけて左へ打ち込んでやろう」と思って打ち込んだそうです。そうしたら、驚くことに植芝先生は動かなかったそうです。 (中略) 私はこの話が最も重要だと思います。 植芝先生と塩田先生が、大本教の本部にある大きな庭を歩いていたときのことです。木の枝が落ちてきて、植芝先生の頭に当たりました。普段から、気配を読まれる体験をしている塩田先生が不思議がっていたところ、植芝先生はこう言われたそうです。 「だって自然に落ちてきたんだから、避けられるはずがないよ」

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スーパーボディを読む

中心軸からの力

スーパーボディを読む

伊藤昇

32

武道の達人に、中心軸からの力を「中心力」と名づけて非常に重視した方がいる。合気道養神館を創立された故・塩田剛三師範である。 機動隊を指導し続けたことでも知られる塩田だが、その動きは老齢に達しても衰えなかった。特筆すべきなのはスピードである。 (中略) ときには、自分から飛び込んでいって弟子が反応したところでカウンターをとる。身のこなしが実に機敏で、泰然と構えた達人のイメージからはほど遠い。この機敏さは、中心軸の確かさ、塩田の言う「中心力」から生まれるのだ。 塩田が移動するとき、一本の細い棒、いや一本の針のような中心軸の感覚があり、それをただ前方に移動させていく、というイメージだろう。中心軸に力が集中するということは、身体の幅をもっとも狭く使えるということだ。

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合気道 呼吸力の鍛錬

相手の力を抜く

合気道 呼吸力の鍛錬

井上強一

24

開祖は与える呼吸力ばかりではなく、相手の力を無力化し、吸収してしまう力の使い方を身につけていたから、晩年になって力の強い人間を相手にしても、楽に制することができたのだ。 しかし、どうやれば相手の力を抜くことができるのか、そのコツを具体的には教えてくれなかった。だから若い頃の塩田宗家は「お願いします」と何度も開祖に技をかけてもらい、受けを取る中から、自分の体でつかんでいったのだという。 (中略) 塩田宗家は呼吸力という言葉を使いながらも、晩年には与える呼吸力と相手の力を無くす技の両方を使いこなしていた。無くす技は、本来の意味から言うと呼吸力の定義からはみ出すかもしれない。したがって、「抜きの技」「合わせの技」「とらえの技」などという表現を使う場合もある。

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合気道 呼吸力の鍛錬

気力

合気道 呼吸力の鍛錬

井上強一

23

たとえば、体の変更(二)は前進運動ではなく力を流す操作であるだけに、心も体も受身になったり、相手をすかすような気持ちで行ってしまいがちだ。相手からもらった力を全部こちらの力として生かし切って発揮するという意識が弱くなりがちである。 そのため塩田宗家はよく、「自分の指先から出て行った気が、地球を一周して自分の尻にぶつかるぐらいの気力を出せ」と、命じていた。回転してから静止し、まさに力が指先から無限にほとばしるつもりで、姿勢を維持し続けるのである。

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考えるな、体にきけ!

体重そのものを力にする原理

考えるな、体にきけ!

日野晃

21

塩田宗家は身長150センチ、体重45キロほどだ。そして何よりも重要視したのは、私が拝見した時、すでにご高齢であったということ。 (中略) 腕力や痛みでなければ何なのか? ここに「体重」そのものが力になっている、ということを確信したのだ。もちろん、それは「どのように」するのかは分からなかったが。 その後、宗家の姿勢を徹底的に研究した。養神館合気道としては、私が拝見した演武の数々は「技」の一つずつかもしれないが、私にとっては体重そのものを力にする原理に見えたのである。

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合気道と中国武術はなぜ強いのか?

実戦では折りながら

合気道と中国武術はなぜ強いのか?

山田英司

19

塩田氏はイスから立ち上がり、「じゃ、やってみよう」と言う。私は、えっ突然ここで?と思ったが、わざわざ私を館長室に呼んだのは、それが目的だったのだなと思った。 (中略) 私はワンツーの要領で右ストレートを思い切りぶち込んだ。 と思った瞬間、塩田氏の姿は一瞬消え、次ぎに私の目には、後ろ姿の塩田氏がいた。 ボキリ!と私の右肘はいい音をたてた。 「あいてッ」と思わず叫ぶ私。 私の右腕はいつの間にか甲が下向きにひねられ、その肘の下には塩田氏の肩があった。いわゆる一本背負いの姿勢のように、私の身体は浮き、投げられる寸前の姿勢で止まった。 私は右肘をさすりながら、「今のが先生が中国で使った技ですか?」と聞くと、先生は「そうだ。実戦では腕を折りながら投げんと、また起き上がってくるからな。イッヒッヒ」と笑った。

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武田惣角と大東流合気柔術

大東流と合気道

武田惣角と大東流合気柔術

スタンレー・プラニン

17

大東流合気柔術と合気道の関係については、ここで特に述べる必要がある。武田惣角と植芝盛平の約20年間にわたる交流によって、この二つの武道の関係は不即不離のものとなり、お互いに繁栄をもたらしあう関係となった。 先にも述べたように、長年武道界で受け入れられてきた武田惣角観と大東流合気柔術観は合気道界から発生したものである。ここで考えなければならないのは、惣角と盛平の関係についてはかなり早い時期から確執があったことである。 (中略) 惣角の教授代理として盛平は、自分の弟子に1930年代の半ば頃まで武田惣角の名を記した大東流目録を授与していることである。大東流目録を授与されたのは、富木謙治、望月稔、白田林二郎、塩田剛三などの他に数百名の者たちだったと思われる。 1922年の英名録には盛平が教授代理を許された記録があるが、そこには盛平が今後の新しい弟子一人につき入門料として三円を惣角に支払うようにと記されている。盛平の広範な教授活動から、それは相当な額にのぼったと思われる。合気道、大東流の両サイドからの証言およびまわりの状況から、盛平に課せられたこの経済的な義務とその金額の大きさが両者の大きな確執の原因だったのではないかと思われる。

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中心力の時代

武術的な合気道

中心力の時代

安藤毎夫

16

普通の武道や格闘技であると、体が小さいことが不利になる。しかし、塩田館長は、154センチと体の小さい方だが、それでも圧倒的な実力がある。ということは、どのような人でも動き方、体捌きを知っていれば戦える、しかも勝つことが出来るということだ。武道でも格闘技でもない、人々が誰でも持っている「武術的な」身のこなしができればいいのだ。 武術というのは、実際触れ合った時というのが勝負である。面と打ったその瞬間に勝負が決まっているのである。 (中略) 武術的な要素にばかり目が行くことも問題があるが、この要素をいつも忘れてしまっていることも問題だ。今、伸び悩んでいる人、毎日の稽古に刺激が欲しい人は、ぜひ武術的な合気道にチャレンジしていただきたい。

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合気道の解

気を外す

合気道の解

安藤毎夫

13

塩田先生の前に立つと、塩田先生は集中力の説明をし始めた。「指一本でも力が集中すれば…」と言って近づいてきた。例の人差し指で喉を突く技を見せるつもりらしい。「ようし突いてきたら、避けてやろう」と待ち構えた。この時は何故か避ける自信があったのである。普段は完全に緊張して固まっていたが、この時だけは違った。突ける間合いに来たが突いてこない。一瞬私の眼を見て何か感じたらしい。塩田先生は顔を葉梨自治大臣の方に向け合気道の説明を再びし始めた。 「おや」と思ってこちらの気持ちが一瞬途切れた瞬間、振り向きざまに突いてきた。「あっ」と思って、点・点・点・と塩田先生の突き出された人差し指を見ながら受け身をとった。先生の突きはスローモーションに見えた。自分で言うのも何だが、素晴しい後方飛躍受け身だった。 塩田先生は私の眼を見て、今突くとかわされると読んだようだ。そこで気を外し、振り向きざまに突いてきたのだ。

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合気道 絶対に崩せる無力化の手順

抜きとは何か?

合気道 絶対に崩せる無力化の手順

井上強一

12

個人的な意見ですが、抜きは合気道で磨き上げられる呼吸力が最高潮に達し、崩しの動きを瞬時に、そして一挙動で行う技術であると言えるでしょう。 抜きが使われた有名な例としては、昭和三十七年にロバート・ケネディ氏(ジョン・F・ケネディ元大統領の弟)が養神館道場に来館された際、身長190センチメートル、体重100キロはあるボディーガードを塩田剛三先生が抑えつけた逸話があります。 私は間近で見ていましたが、その時は抜きを使って崩し、四ヶ条で抑え込んだのだと思います。四ヶ条は痛みを感じるのですが、ボディーガードは痛がる様子もなく、ビックリしたような表情をしているので、間違いなく痛みを感じていません。

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